第15話 その1
天乙たちが鯰料理に舌鼓をうちはじめると同時に、摯は無造作に桶の中に手を突っ込んだ。
大きく弧を描いて水が跳ね上がり、床を濡らす。
「おおっ?」
天乙たちが目を見開く。
摯が、尾を持って引きあげたのは鯉だった。
「これ、そこな烰人よ。その鯉は何とするつもりか」
「はい、なますにいたします」
摯の前に、さばくための板が運ばれてきた。横では、方丹が大蒜と生姜と葵とを刻み始めている。
洗い清めた料理刀を手にした摯は、鯉の脳天に一撃を与えた。
続いて、えら付近にもう一度刀を入れ血をぬいていく。
血をぬき終わったら、両方のえらから刀を入れて頭を落とす。
今度は尾のほうから刀を入れ、一気に身を剥ぐように切り分ける。
これで、頭、骨、身、そして臓物が、完全に分かたれた。
ちら、と方丹が摯の手元を覗き見る。
摯捌き方は、伊風のやり様を踏襲したものではない。
伊風は先ず、鱗を丁寧に剥がす事を徹底させていた。
そもそも客人の前で鱗を飛ばしては危険である。
――肆よ、どうするつもりなのだ。
方丹は固唾を呑んで見守っている。
その中で、肆は慎重に身と鱗の間に刀を入れた。
「おっ!」
皮が、一気に削ぐようにして剥ぎ落とされた。
目にも留まらぬ刀捌きである。
「おお!」
実に見事な腕前であると、料理の何たるかを知らぬ天乙たちにも伝わる技法に歓声が上がる。
――こういう事なのだな、結局。
方丹は安堵しつつ、溜め息を吐いた。
始めから皮ごと鱗を剥ぐつもりであったのか。
それとも突然の閃きによるものなのか。
恐らくは両方であろうが、どちらにせよ、こういう思い付きは方丹にも仲間たちにも、誰にも出来ない。
よしんば、実行出来るだけの技と腕前があったとしても、この様な場で披露する胆力も度胸も持ち合わせていない。
おのれこそが伊風の跡目を継ぐのだ、という決意と誇りがあればこそ、方丹は必死になって鍛錬を続けてこられた。
努力が実り、伊風の次席にまで登りつめる事も出来た。
しかし鍛錬で得られた技は、結局、誰もが体得出来る技である。
そこに独創性はない。
眼を見張るような思い付きは、やはり、天から愛された才能ある者が独占するものなのだ。
羨む心がないとは、おこがましくて言えない。
むしろ、妬み嫉みに近い感情だと言っても過言ではない。
肆ほどではないが、幼少時からこの道しかないと何十年も厳しい修行に耐えてきたのだから当然である。
伊風と何が違うのだ、何処が違うのだ、どうしてどのように違うのだ、と地団駄を踏む易堅の気持ちも理解できる。
だからこそ言えるのだ。
凡庸なる者の役目とは、天才を支え、助ける事に骨頂を求めるべきなのだ。
天賦の才を惜しみなく世に知らしめ、広めてゆく事に注力すべきなのだ。
――凡人が到達できるかどうかの境地など、軽々と超越していく存在に嫉妬したとて、おのれの身を醜く焦がして外道へと堕ちていくだけなのだ、易堅よ。
※
取り分けた内蔵を探った摯は、湖底で腐った葉のような色をした円柱形の塊、鯉の肝を抜き取った。小さな壺に静かに収めると、更に腹に仕舞う。
綺麗な身となった鯉を、今度は、薄く削ぎ切りにして、皿に並べていく。
なますは、まるで花弁のように並べられた。
「おお、美しい」
皿の花紋様の一つの様になったなますを見て、天乙は感じ入った声を零す。
「先程、豚の丸焼きを供しました折、熱さも味のうちと申し上げましたが、新鮮な程、味が良いなますも同様であるかと」
「うむ、成る程な、飾られて行く過程を披露するのも、また味のうちと言えような」
全ての鯉を捌いて皿に並べ終えた摯は、方丹から刻み終えた大蒜と生姜、葵を受け取ると、小さな鍋の中に入れていく。
次に取りだしたのは柚であった。
半分に切り、実を搾った汁も加えていく。
塩と、黒焼きにした梅漬けを潰した物と梅酢も足すと、摯は、黒っぽい粒上の物が煮崩れたような品を匕で加え、混ぜ合わせはじめた。
もう、天乙たちの目は、摯のほんの僅かな動きにも釘つけとなっていた為、目敏く気付いた。
「これ、そこな烰人よ、それそこの黒いような粒のようなものは、何ぞや」
「はい、これは、穀醤を搾る前の状態の塊にございます」
「ほう」
天乙が、ずい、と身を乗り出してきた。
少年のように、興味津々である。目がらんらんと輝いている。
「搾っておらぬとなると、汁とはまた、違う味わいとなるのだろうな」
「それは、食してのお楽しみ、と致しましょう」
「ははは、そうか、お楽しみか」
和え衣を作りあげた摯は、天乙の前に捧げるようにしてみせた。
そして、目の前で、飾り盛りをしたなますの上に回しかけてゆく。
花のように盛られたなますだったが、益々、生き生きとしていく。
「ほう、ほう、ほう」
「公子」
手を打って、天乙は面白がった。もう殆ど子供である。
家臣たちに袖を引かれても、無邪気に楽しむのをやめようとしない。
「そちらも、よう見てみよ。皿の上に野原があるぞ。まるで、まじないのようではないか」
「公子、お控えなされませ」
すっかり童心にかえった公子の無作法に、家臣たちは内心、びくびくしているようである。
「どうぞ、お召し上がり下さい」
「待ちかねたぞ」
許しが出るのを待ちきれなかったのか、ほぼ同時に天乙は箸を持ち、急いてなますを口に運んだ。
「おおっ」
「公子、落ちつかれなさいませ」
「これが落ちついていられるか。そちらも食してみよ。われのようになるに決まっておる」
命じられるまでもない。
家臣たちも本当は、早く食べたくて仕方がなかったのであるから、これには我先にと従った。
なますを口にした途端、その芳醇な味の広がり方に驚愕し、大の大人どもが恍惚となった。
「香りの芳しさもさる事ながら、斯様に味わい深く、そして生臭みのない鯉をわれは食した覚えがない」
「これも、先程の肉のなますと同様でございます。酢と酒の力を借りて、臭いを押さえ味わいを豊かに広げたように、大蒜と生姜、酢と柚と梅漬けで押さえられた香りに味を足し、穀醤にて鯉の持つ粗削りなれど濃い味を全面に引き出させました」
「うむ、そこよ」
天乙は膝を打って感心ししきりである。
「これほど多くの味を和え衣としたのならば、いくら力強い鯉の味であろうとも薄れて濁り、味わえぬものと思うたのに、そうならぬ」
興奮状態の天乙は、上半身を乗り出してきた。
「よりはっきりと鯉の味が舌の上でたなびき、純粋に味わえるようになった」
「はい」
「これが、穀醤の力の成せる技か。強烈な力に対して同等の力を敢えてぶつける」
「はい。答えは、互いを滅しあうのではなく、互いをより引き立て、より昇華しあう、でございます」
「うむ、嫌味な程おのれを主張し合う味わいが、こうまで変わるのか。面白い、実に面白い」
天乙は手をたたいた。
「料理とは、何と面白きものよ」
「はい」
「ははは、わらし、いや、伊摯よ、どうやらわれも、そちのように阿呆の仲間入りをしたくなってきたぞ」
涙を堪えつつ平伏した摯の頭上を、天乙の笑い声が駆け抜けて行った。
※
鯉のなますを食べ終える頃、摯は粟の粥を配しはじめた。
小さな椀によそわれた粥に、例の、見かけない品を添えていく。
これはなんだ、とは、もう家臣たちは尋ねようとはしない。
摯が答えると、その分食べる楽しみが遅れてしまうからである。
「どうぞ」
摯は粥を供していく。
天乙も家臣たちも、摯の説明が待ちきれず、うずうずした表情でいる。
「添えてございます品は、鶏の鶏冠を揚げた物と鴨の舌を、酒の汁気が飛ぶまで煮つめた一品にございます。食する直前に、塩と葱を塗しつつ、粥と交互にお食べください」
「鶏冠と舌だと?」
言われてみれば、そのような形に見えなくもない。
しかし、問題は味である。
旨いのか? と本来であれば逡巡するところだ。だが、摯たちが用意した饗応の品々は、どれも思いもよらぬ味と旨さであった。
その信用が、天乙たちの匕と叉を躊躇なく進めさせた。
「ほおう」
感じ入るたびに、おうおう、ほうほう、と唸ってばかりである。ここまでくると、もはや、ほうほう鳴く鳥のようだ。
しかし、誰が黙っていられよう。
揚げてある鶏冠は、軽快に口の中で砕けていく様も楽しく、旨いのだから仕方ない。
対して、煮てある舌は、とろりとふくよかに濃厚で、噛みしめずにはいられない旨さときている。
辛口のこれらを食べた後に甘い粥を口に運ぶと、また鶏冠と舌を食べたくなり、鶏冠と舌を食べると今度は粥が食べたくなる。
夢中になって粥をすすり終えた天乙たちの前で、羊の骨と牛の乳の用意がはじまった。
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