白ノ宮 4

 大陸の中心には、武家国家である馬稚国まちこくが鎮座していた。


 そんな馬稚国が擁する、神威の象徴たる一大組織。――それこそが、白ノ宮だ。


 大巫女を中心とした、無数の巫女が暮らすその神域は、諸国の畏怖と尊敬を集める場所だった。




  ◇



 森に囲まれた山あいの道を、蓮二は東に向かって進んでいた。道行きは深緑と眩しい陽射し、それにとめどない蝉の声に包まれていた。そんな中で蓮二は、ふと振り返る。


 縫衣は距離を開けながらも、一応はついてきていた。憮然とした表情で前方を見据え、ざりざりと砂利っぽい道を踏んで。細い眉はやはり、百足の如く不機嫌そうにねじれていた。


 細い左腕がやはり黒ずんでいる。そのとき、縫衣はその腕を持ち上げて、口元に手を当てると、物憂げに顔を俯けた。


 蓮二は頭を右手で掻きむしりながら、


「いつまでも、九慈の親爺のことを、うじうじと考えるのはよせよ。――もう、どうしようもねえ」


 すると縫衣は立ち止まり、陰気な瞳を上げた。


「九慈郎様を、助けられなかったの? あの瘴魔に襲われたとき、おじさんは、そこにいたのに」


 蓮二はふいに右手を握りしめたのだが、ため息とともにそれを緩めた。


「間に合わなかった」

「なぜ? 九慈郎様から、認められている剣士、だよね?」

「知るか。俺ァ、かの武神の烈賀王れつがおうでも、何でもねえ。単なる人間だ。――どうにもならなかった」

「そう……」


 と、縫衣はまた歩みはじめる。


「それより、いい加減に説明しろよ。お前の左腕のこと。それに、経緯いきさつだのを」


 蓮二が立ち止まっていると、縫衣はやがて目前までやってきた。


「おじさんには、関係ない。――何でもない」

「それにしてもよォ。さっきはその腕で、あの獣を――瘴魔を喰ってるように見えた。どういうわけだ?」


 縫衣は鋭い目つきになり、左腕を隠すように、左半身を引いた。蓮二は続けた。


「別に、物珍しさで聞いてるわけじゃねえ。なるべく知っておいた方が、御しやすいからだ。俺にしても。――そうでなけりゃ、護れねえよ」

「護る……」と縫衣は訝るような目をする。

「――ッたく。父っつぁんに、ああ頼まれたら、仕方ねえだろうが。それにしても、何て置き土産だ、この小娘はよォ」

「わたしには、必要ない。護りなどは」

「そうかよ。お前の都合は聞いてねえ。――あの執念深い父っつぁんに、化けて出てこられたら敵わねえ。そういうこった」

「…………」


 縫衣は口を結んで、思索の中に閉じこもるように、山道の先に目を向けた。


「だからよォ。話してみろ。――そうでもしねえと、白ノ宮まで、間がもたねえぞ」


 すると縫衣はふいに顔を上げた。心なしか、目元の緊張が弛んでいるようにも見えた。しかしその目の奥は依然として暗く、夜の井戸を思わせた。


 ついで、縫衣は視線を自身の左腕に落とすと、薄桜色の小さな唇をほどいた。


「どこまで、遡ればいいのか……」と、縫衣は続ける。

「父上は、あの日も白花糖を、買ってきてくれた。――商いの、旦那衆の寄り合いで」

「寄り合い?」

「ええ。父上は、呉服屋を、馬稚国の都で……」

「ほう」

「寝静まったあと。屋敷で、騒ぎがあって。足音が……。叫び声がして…………」


 縫衣は両手を顔の前に持ち上げると、力をこめ、わななかせ、手のひらを見つめた。呼吸が荒くなりはじめた。


「お、押し込みの、賊が…………」


 縫衣は手のひらの向こうにある、何かを凝視しているようだった。


 蓮二は右手を伸ばして、恐る恐る、縫衣の背中に触れた。縫衣はびくりと、体を震わせた。目が醒めたように顔を上げた。


「おじさん……」

「悪りィな。嫌なことを、思い出させちまったか」


 縫衣は両手を下ろすと、ふう、と息をついて、


「忘れたくても、忘れられない……。あの夜から。九慈郎様に出会うまで、わたしは…………」


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