失踪者<1>

−−新都警察署


結局何をする事もできず、失意のうちに弘也と真帆は最寄り署である新都警察署に入った。


署内の照明は冷たい白色で、外の喧騒とは無縁の静けさが漂っている。しかし、その静けさが二人には重くのしかかっていた。


「何か手がかりを掴めると思ったが・・・完全に翻弄されたな」


弘也は小さく息を吐き、眉間に深いシワを刻んだ。


「運行管理センターでのあれは、ただのシステム障害じゃありません」


真帆は疲れた表情を浮かべながら別のノートPCを起動している。ウイルスを仕込まれた方のPCは、あれはあれで本庁に持ち帰った後、解析に回せば新しいウイルスとして研究サンプルになるかもしれない。


「相手はプロです。痕跡を残さないよう徹底しています」


弘也は机に手をつき、しばし無言で考え込んだ。


「運行システムだけじゃない。この騒ぎの裏で、何者かの本当の狙いが隠されてる気がする」


「最初の侵入経路すら特定できない以上、現時点では推測するしかありません」


真帆は冷静を装いつつも、肩の力が抜けているのが分かった。街の遠くでまだサイレンが鳴り響き、列車脱線の混乱が続いているのが分かる。


弘也は少し間を置いてから口を開いた。その声には、どこかためらいのような物がにじんでいた。


「こんな時に言うのもなんだが・・・調べてほしい事がある」


「なんでしょう?」


「SNSで@misaというアカウントを調べてほしい」


真帆は一瞬、眉をひそめて弘也を見た。


「@misaですか?どうしてそのアカウントを?」


弘也は視線を窓の外に向けた。


「知り合いがストーカー被害にあった。その鍵を握るのが@misaの可能性が高い」


真帆はわずかに目を細めながら、弘也の言葉を待った。その表情は冷静だったが、内心ではさらなる詳細を求めていた。


「具体的にどういう形で関与していると?」


「そこまでは突き止めていない。しかし相手が最後に出したメッセージ、109・105・115・97を調べたらそのアカウントに行き着いた」


「109、105、115、97・・・?」


「そうだ。侵入したシステムがシャットダウンする直前、この数値がメッセージに表示された。最初はただのコードだと思ったが、ASCIIコードに変換すると文字が浮かび上がった」


真帆は瞬時にキーボードを叩き、画面に数値を入力する。


「109、105、115、97・・・『misa』ですね」


「そうだ」


弘也は厳しい表情を崩さずに続けた。


「偶然の一致かもしれないが、@misaのアカウントが出てきた以上、無視するわけにはいかない」


真帆は画面に映るアカウント情報を確認しながらつぶやいた。


「システム侵入の痕跡とストーカー被害との関連性・・・このアカウントがどれだけ深く関与しているか、調べる必要がありますね」


「頼む、篠原さん。これは個人的な事情も絡んでいるが、それだけじゃない気がしている」


弘也の声には、事件解決への強い意志が込められていた。真帆は短くうなずき、画面に集中する。


「了解です。このアカウントの履歴と関連する投稿内容を洗い出します」


部屋の静けさの中で真帆のキーボードを叩く音だけが響いていた。その音は徐々に真相へと迫る足音の様でもあり、また深い闇へと踏み込む前触れの様でもあった。


「@misa・・・異様なまでに炎上動画をアップしていますね」


真帆は画面を凝視しながら、小さく息をついた。その眉間にはわずかにシワが寄っている。


「炎上動画?」


「例えば国道の炎上爆発事故やレインボーライン無人車両脱線事故に関連する暗示的な映像や、不安を煽る様なサウンドを使った編集。それが事件が公になる前に投稿されています。一貫性がないというか・・・何か得体の知れない衝動に突き動かされている様な印象を受けます」


「得体の知れない衝動・・・。つまり、@misaは意図的に事件を仕掛けているというより、何かに巻き込まれている可能性が高い、という事か?」


「そうかもしれません」


真帆は画面を見つめながら慎重に言葉を選ぶ。


「ただ、このアカウントを乗っ取った『誰か』が、意図的に利用している可能性も否定できません。この異常な炎上の仕方は確実に誰かの注意を引こうとしている様に見えます」


弘也は短く頷き、視線を真帆のノートPCに向けた。


「@misaの裏に隠れているものを突き止める必要があるな。そのアカウントの背景を掘り下げてくれ」


真帆は画面を切り替えながら答えた。


「了解しました。この炎上の動機と投稿者の足跡を調べます」


真帆はしばらく投稿内容を流し見していった。


「半年前・・・ですかね。炎上動画と普通の人がアップしたと思われる画像が混在しています」


「どんな投稿だ?」


「クリスタリアのバッグの写真ですね。それにファンガイアのコート。このあたりの投稿には一貫性・・・高価なブランド品を強調している様に見えます」


弘也は眉をひそめた。


「つまり、ここまでの投稿者は同じ人物か、同じ意図を持っている可能性があるという事か?」


「そうですね。そして重要なのは、この写真のメタデータです」


真帆は画面を切り替えながら手早く操作を進める。


「投稿された画像には撮影時のGPSデータが含まれている場合があります。それを解析すれば、どこで撮影されたかが分かるかもしれません」


「それが分かれば、@misaの居場所に繋がる可能性があるな」


弘也の声には期待と警戒が入り混じっている。


「そうです。ただし、メタデータが削除されている可能性もあります。すぐに調べますね」


真帆は集中した表情でキーボードを叩き続けた。その姿には、この突破口を逃さないという強い意志が感じられた。


室内に響くキーボードの音は、謎の糸口を掴むための探求の足音だった。弘也はその横で目を細めながら、真帆の作業を見守る。その中で、わずかに希望が見え始めていた。


「新都区内の住宅街ですね。具体的には新都区南桜町の・・・13番地付近です」



「炎上動画がアップされている背景・・・何か、この住所に関連する情報があるかもしれない」


「署のデータベースにアクセスして確認してみますか?」


弘也はうなずき、すぐに近くの端末を使える場所を探した。


「念の為、この住所と過去の事件の関連性を調べておきたい」


署のデータベースにログインした真帆は指定した住所「新都区南桜町13番地」を入力し、関連する情報を検索した。


「何か出たか?」


弘也が横から画面を覗き込む。


「佐藤美咲27歳会社員。大手広告代理店に勤務していますね。ですが半年前に捜索届が出されています」


「佐藤美咲・・・か」


真帆はデータをスクロールしながら続けた。


「捜索届が出されたのは彼女の家族からです。『ある日突然、連絡が取れなくなった』と記載されています。ですが、成人女性という点から捜索は後回しになっているみたいです」


「その佐藤美咲と@misaのアカウント名・・・偶然にしては一致しすぎているな。住所の一致、アカウント名、そして捜索届。全てが繋がりを示している様に思える。もしこのアカウントが彼女の物だとしたら、行方不明の原因や動機が見えてくるかもしれない」


「彼女のSNSの投稿内容を詳しく解析すれば、失踪直前の行動やその背景が分かる可能性がありますね」


「それもやってほしいが、まずはこの住所に行ってみいよう。佐藤美咲の失踪がそれに繋がっているなら尚更だ」


「でもいいんですか?所轄の仕事をこっちが奪って。向こうにもメンツがあると思うのですが」


「後回しにしてるんだ。文句は言えないだろ」


「まあ確かに」


「この住所に何が待っているのかは分からないが、少なくとも何か手がかりがあるはずだ」


「先に管理会社に連絡してマンションを特定してもらいます」


「そうしてくれ」 


弘也は真帆とともに新都区南桜町へと向かう事にした。白い車のボンネットには青い空が反射して輝いている。


「いたいた。刑事さーん」


駐車場の向こうから間の抜けた声で女性が走ってくる。


「なんだ、向井か」


「なんだとはなんですか、失礼な」


「誰ですか?」


困惑する真帆に向井は名刺を出した。


「週刊グリム社会部の向井佐穂といいます。以後お見知りおきを」


「それで?何しに来た」


佐穂は早速ボイスレコーダーを弘也に向けた。


「レインボーラインの事故は無人運転車に限って起きてますが、システム障害が原因でしょうか?」


「さっき見に行ったばかりだ。まだ原因の特定はできてない。警察の公式発表を待て」


「それじゃ他を出し抜けないじゃないですか」


「来るのが早すぎんだよ」


「新鮮なネタが欲しいんですよ。私は」


それはそうと、こいつはどうやって来たんだ?電車は動かない。国道は通行止めで付近は渋滞ばかり。そうなる前から新都区に入り込んでいたのか。別の取材でたまたまここにいただけなのだろうか。


「とにかく、何か分かったら知らせるから、それまで待ってろ」


「じゃあ、期待して待ってますね、刑事さん」


その明るい声を背に受けながら弘也と真帆は再びマンションの方へと向かった。佐穂の言動が単なる好奇心なのか、それとも別の意図があるのか、判断するのはまだ早い。だが、今は佐藤美咲の手がかりを優先すべきだった。

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