終焉の始まり<3>

弘也はレインボーライン運行管理センターへ向かう為、車を走らせていた。国道42号線が封鎖されている影響で通常のルートが使えず、ナビの指示に従って一般道へと進む。


「渋滞ばかりだな・・・」


弘也はハンドルを握りしめ、目の前に連なる赤いブレーキランプの列を見つめた。42号線が封鎖された影響で周辺の道路はどこも交通が滞り、いら立ちを隠せないドライバー達がクラクションを鳴らしている。


ナビゲーションの画面には「渋滞エリア」と赤く表示された地図が映し出されている。弘也は一瞬溜め息をつき、窓の外に目をやった。


住宅街の道を抜けるにつれ、普段なら静かなはずのエリアにも異様な数の車が詰まっている事に気付いた。渋滞に巻き込まれた車達がまるで逃げ場のない迷路を描いている様だった。


「篠原さん、間に合うと思うか?」


「難しいかもしれませんね。でも、焦ってもどうにもなりません」


真帆は冷静に答えながら、スマホで別ルートを確認している。その表情には焦りの色はなく、むしろ状況を冷静に見極めようとする意志が感じられた。


弘也は前を向き直り、ハンドルを操作しながら小さくつぶやいた。


「42号線が封鎖されるほどの事故が起きてる。現場はもっと混乱してるだろうな」


周囲の喧騒とは裏腹に、車内には不気味な静けさが漂っていた。外の混乱を目にするたびに、運行管理センターに向かう先で待ち受けている「何か」を想像せずにはいられなかった。




−−新都区、レインボーライン運行管理センター


「警視庁捜査一課の春日と申します」


「警視庁サイバー犯罪対策課の篠原です」


二人は入口で立ち番している警備員に警察手帳を見せた。警備員は手帳をじっと確認し、少し緊張した面持ちでうなずいた。


「どうぞお通りください。ただし、現在センター内は一部エリアが制限されています。係の者が案内します」


「制限エリアか・・・」


弘也は一瞬だけ目を細めたが、何も言わずセンターの奥へと足を進めた。


篠原は警備員の案内を待ちながら小声で弘也に問いかける。


「ここ、警備がやたら厳重ですね。やっぱり何かあるんでしょうか?」


「厳重というより、慌てて対策を取った感があるな。本当にマズい状況なら、最初から俺達をここに入れるとは思えない」


篠原はその言葉に短く「なるほど」と返し、歩みを進めた。その背後で、運行管理センターの重厚な自動ドアが低い音を立てて閉まった。


二人の視界に広がったのは、無数のモニターと忙しそうに動き回る職員達の姿だった。モニターのほとんどには「WARNING」や「SYSTEM ERROR」といった赤い警告メッセージが点滅し、室内の空気をさらに重苦しい物にしていた。


「・・・思った以上に深刻そうだな」


弘也は小声で呟きながら、モニターを見渡した。真帆も同じく目を細めながら状況を観察する。


「警告ランプの点滅数が異常ですね。しかも、どれも運行管理システムの重要部分に関する物ばかり・・・完全に制御が効かなくなってる様に見えます」


真帆は冷静に分析しながらも、声に微かな緊張が滲んでいる。


「警察の方ですね」


一人の責任者らしき男性が二人に近付いてきた。顔には疲労の色が濃く、深刻な状況を隠しきれていない。


「はい、警視庁捜査一課の春日といいます」


弘也は名乗り、真帆にも目配せをした。


「警視庁サイバー犯罪対策課の篠原です」


責任者は大きく息をつきながら言葉を続けた。


「見ての通り、システムが完全に制御不能に陥っています。原因の特定にはまだ時間がかかりそうです」


「現時点で分かっている範囲の詳細を教えていただけますか?」


真帆が一歩前に出て尋ねる。その表情にはすでに頭の中で状況を整理し始めている様子が見て取れる。


「分かりました、こちらへどうぞ」


責任者は二人を奥の操作卓へ案内した。その道中、職員達の慌ただしい声が交錯し、無数の赤い光が二人の顔を照らし続けた。まるで警告その物が彼等に迫る危機を直接訴えかけているかの様だった。


「システムの混乱が目に見えますね。これだけの異常が同時発生しているなら、自然現象では説明がつかないかも」


「俺もそう思う」


操作卓に並ぶ警告メッセージの羅列をじっと見つめながら、弘也はその複雑な状況に思考を巡らせる。


「ただの故障や事故じゃない。ここまでの事態が連鎖的に起きるには、明らかに外部の意図がある。篠原さん、ログは取れそうか?」


「データログとアクセス記録、すぐに確認します。ハッキングの痕跡が見つかれば、侵入元も割り出せるはず」


弘也は真帆の後ろ姿を見送りながら、室内に目を向けた。


「テロの可能性も視野に入れて動く。篠原さん、時間が勝負だ」


「了解です」


真帆は手際よくノートPCを開き、運行管理センターの端末と接続した。その横顔には焦りは一切なく、ただ静かに、鋭い光を宿した目がモニターを追っていた。




外では列車脱線現場の混乱がますます拡大していた。救急車のサイレンが響き渡り、負傷者が次々と運ばれる中、騒然とした人々の声が絶え間なく空気を震わせる。一方で、野次馬達がスマホを掲げ、無秩序に情報を発信し続けていた。


しかし、その騒音がここ、運行管理センターの内部にまで届く事はなかった。




@breakingnews_jp

ハッキングってマジ?公式は何も言わないけど、あのタイミングでの運行トラブルは普通じゃない。どこからか不正侵入があったとか、噂が広がってる・・・

#サイバー攻撃 #レインボーライン #原因不明


@breakingnews_jp

衝撃の動画が流れてきた。レインボーラインの線路に人が転落して、それが原因で脱線したって・・・本当なのか?

#レインボーライン事故 #線路転落


@city_viewer_21

これマジかよ・・・トラックが踏切で立ち往生してて、そのまま電車が衝突。すごいリアルな映像だけど、同じ動画が複数のアカウントで違う説明文ついてるのが気になる。

#交通事故 #映像の真実


@skeptic_mind

これ、絶対ディープフェイクだろ。影の動きがおかしいし、周囲の人の反応が不自然すぎる。でもこんな映像がバズると、みんな簡単に信じちゃうんだよな・・・怖い世の中だ。

#ディープフェイク動画 #情報操作 #信じるな


@news_watch_dog

どの情報が正しいの?遅延?脱線?ハッキング?SNSがパニック状態になってる。誰かちゃんとまとめてくれ・・・公式の発表が待ちきれない

#情報錯綜 #混乱 #交通トラブル


@train_user45

結局誰が本当のこと言ってるの?写真とか動画も見たけど、加工の可能性あるし・・・。SNSの情報、全部嘘なんじゃないかって疑い始めてる自分がいる。

#疑心暗鬼 #SNS不信 #信じられない


フェイク動画が流布されることで、SNS上の混乱はさらに加速。人々は次第に目にする情報全てを疑い始める。真実と虚偽の境界が曖昧になる中、不信感だけが増幅していく・・・。




緊張感に満ちた空間では無数の赤い警告ランプが点滅し、室内の空気を重苦しく染め上げている。忙しそうに動き回る職員達の足音やキーボードを叩く音だけが不気味に響く。


突然、運行管理センターの明かりが不気味に点滅し始めた。蛍光灯の白い光が不規則に消えたり点いたりを繰り返し、不安定なリズムが空間に奇妙な緊張感を生み出す。


「なんだこれ・・・?!」


「あちこちの端末が反応しない!」


「これ、ただの障害じゃないぞ・・・!」


職員達が声を上げ、顔を見合わせる。その動きには明らかな動揺が見て取れた。


「・・・何か起きていますね」


弘也は室内の異変に鋭い視線を巡らせた。


「明かりだけか?他のシステムには影響してないのか?」


「分かりません。でも、これが偶然のトラブルとは思えません」


真帆は即座に画面に視線を戻し、指を素早く動かしてログの確認を始める。


その瞬間、モニターの一部がノイズに覆われ、どこからともなく低い電子音が鳴り響いた。モニターには不気味な赤い文字が浮かび上がる。


【YOU LOSE】


「・・・嘘だろ・・・?」


「誰か、誰か原因を突き止めろ!」


「システム全体がやられる!」


「なんだ・・・これは・・・?ウイルスか?」


弘也は目を見開き、モニターを睨みつけた。その表情は怒りと警戒が入り混じっている。


「誰かが意図的に侵入しています。これ、完全に攻撃です」


真帆の声は冷静だったが、その裏には明確な危機感が感じられた。


「春日さん、これはただのシステム障害じゃありません。侵入者が何かを仕掛けてきています」


「侵入者か・・・。篠原さん、ログを確保しろ。何でもいい、手がかりをつかむぞ」


真帆はうなずきながら手を動かし続けた。その指先は一瞬の迷いもなく、正確にキーボードを叩いている。


「ログを抽出中です。でも、このスクリプト・・・高速で自己改変を繰り返している。通常の対策じゃ時間を稼ぐのが精一杯かもしれません」


弘也は操作卓に目を向けながら、周囲の緊張した空気を吸い込む。


「なっ!」


突然真帆が声を上げ、手元のノートPCを凝視する。その顔は普段の冷静さを失い、動揺が浮かんでいた。


「どうした?!」


弘也がすかさず鋭い声を投げかけ、真帆の横に駆け寄った。


真帆は一瞬息を呑み込み、目をモニターから離さず早口で答えた。


「私のパソコンが・・・ウイルスに汚染されてます!画面が勝手に操作されて、データが次々に破壊されていきます!」


弘也は目を見開き、ノートPCの画面に目をやる。そこには意味不明な文字列と、次々と崩れていくファイルのアイコンが表示されていた。その上には、不気味な赤い文字でこう書かれている。


【OWARI OWARI OWARI OWARI OWARI OWARI】


「ダメだ、もうダメなんじゃないか・・・!」


職員達の中から絶望的な声が上がる。空気には徐々に不安が伝染し、パニックの兆しが見え始めていた。


「くそっ・・・!」


弘也は低く吐き捨て、運行管理センター全体を見回した。


「篠原さん、感染した端末は君のだけか?!他にも拡散してる可能性は?!」


「まだ分かりません!でも、このウイルス、複数の端末を狙っているかもしれない・・・ネットワーク全体が危険です!」


「止められるか?!」


「試みます。でも・・・これは高度すぎる」


真帆の声はかすかに震えていたが、指先は諦めることなく動き続けた。


「相手のウイルスは高度にカスタマイズされています。このままだと、運行システムだけじゃなく、このセンター全体が制御不能になる可能性が・・・!」


室内の赤い警告ランプがさらに明滅を激しくし、不安定な電子音が響き渡る。運行管理センター全体が、不気味な生き物の様に脈打ち始めていた。


弘也は拳を固く握りしめ、歯を食いしばった。


「最悪だ・・・!」


その声は誰に向けたものでもなく、部屋中に静かに響いた。


「時間がない。最低限、ログだけでも確保できるか?!」


「やってみます・・・!」


必死にキーを叩き続ける真帆の背中には、不安と焦りがにじみ出ていた。しかし、それ以上に何か得体の知れない不穏な空気が部屋を満たし始めていた。


その時だった。運行管理センター全体に何とも言えない寒気が漂い始めた。空調の音すら吸い込まれる様に静まり返った室内で微かに何かが聞こえた。


それは、遠くで誰かが笑うような、低く、不気味な音。


「・・・今、何か聞こえませんでしたか?」


真帆が不安げに顔を上げたが、弘也は首を横に振る。


「気のせいだ。集中しろ」


だが、胸の奥に広がる違和感は無視するにはあまりにも強烈だった。電子音が不規則に響き、モニターが赤い警告を点滅させ続ける中、何か見えない存在がこの場を支配し始めた様な感覚が二人を包み込んでいた。


遠くから聞こえたはずの笑い声は、次第に空間全体に満ちていく様に思えたが、その声の主がどこにいるのか、誰にも分からなかった。

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