いるはずのない誰か<3>
自宅に戻り、正樹は椅子に腰掛けた。だが次の瞬間、スマホが突然振動し、画面が勝手に明るくなった。
正樹は恐る恐るスマホを手に取る。だが、今回表示されたのはただのメッセージではなかった。画面には鮮明な画質の防犯カメラ映像が映し出されていた。
それは正樹がファミレスを出て歩いた帰り道の映像だった。交差点を渡る彼の後ろ姿が映っている。
映像が切り替わる。今度はコンビニの防犯カメラだ。正樹が通り過ぎた直後、カメラがなぜか彼の背中を追う様にズームしている。
そして最後の映像が表示される。それは正樹がビルのデジタルサイネージ化を見上げているところを映した防犯カメラだった。立ち尽くしていた正樹がその場から逃げる様に画面の中を歩いていくと、カメラは彼が建物の影に消える瞬間までを正確に追い続けた。その画角は異様なまでに正樹を中心にとらえている。
「・・・なんなんだ、これ・・・」
正樹は思わず声を上げた。防犯カメラの映像がスマホに直接届くなどという事はあり得ない。次々と表示される映像には、自分が撮られているという明確な意図が感じられる。
画面が暗転し、最後に文字が浮かび上がる。
【いつもそばにいるよ】
画面いっぱいに浮かんだその文字が目に焼き付く。それを見た瞬間、正樹は強い拒絶の感情に突き動かされた。
「そばにいる?!ふざけるな!」
正樹は動画を長押しして削除メニューを呼び出した。画面には「削除しますか?」という確認メッセージが表示される。その問いかけがまるで彼の決断を試している様に感じられたが、彼は迷う事なく「削除」をタップした。
一つ目の映像が消える。次に二つ目、そして三つ目・・・全ての動画を削除していく。画面が空っぽになり、映像が完全に消え去ったのを確認すると、正樹はようやく安堵の溜め息をついた。
「これで終わり・・・だろ?」
だが、その瞬間、スマホが再び震え始めた。画面には「新しい通知」の文字。そして削除したはずの動画が復活した。
【消せないよ、思い出だもん】
その文字が画面に浮かび上がり、削除した動画が次々と再生を始める。防犯カメラの映像だけでなく、正樹がファミレスで過ごしていた時の様子や、ロボットが名前を呼んだ瞬間の映像までもが追加されていた。
「・・・なんで・・・なんでだよ・・・!」
正樹は再び削除を試みるが、今度は削除ボタン自体が反応しない。映像は流れ続け、画面に文字が追加される。
【あなたの全てを知りたいの】
その一文が正樹の中にあった最後の抵抗心をも砕いた。彼はスマホを机に叩きつけ、両手で顔を覆った。
その時、突然テレビの電源が入った。それも通常のチャンネルではない。一面ただの砂嵐だ。正樹は電源を消そうとリモコンを操作するが、テレビが言うこ事を聞かない。突然、砂嵐の中から低い声が響き始めた。
【マサ・・・見てる?】
画面にはぼんやりと彼女の顔が浮かび上がった。
【どうして私を拒否するの?】
正樹は恐怖に駆られてテレビを消そうとしたが、リモコンが反応しない。コンセントを引き抜いてようやく電源を落としたが、画面に映った顔がしばらく薄く残像として浮かんだ。
エアコンが突然オンになり、冷風が全開で吹き出し始めた。リモコンで電源を切ろうとしても反応せず、むしろ設定温度がどんどん下がっていく。
ディスプレイには通常の数字ではなく、不気味なメッセージが流れた。
「don't refuse」
正樹は慌ててエアコンの電源をコンセントから抜いたが、吹き出し口から冷たい風は止まらず、不気味な低い音が部屋に響き続けた。
電子レンジが突然稼働し始めた。何も入れていないにもかかわらず、電子レンジのターンテーブルが回転し、内部が光り始める。ターンテーブルは少し回っては止まり、止まっては少しだけ動きを繰り返す。それはまるでモールス信号の様に耳に入った。
「誰だか知らないが、もう俺に付きまとうな!」
正樹は家中の家電を次々とオフにし、可能な物は全てコンセントを抜いて回った。しかし完全に止める事はできなかった。何者かによる干渉は次第に物理的な現象を超え、まるで家その物が意志を持つかの様に動いていた。
正樹は座り込んだ部屋の片隅で次の行動を考える事すらできず、ただその場にじっとしていた。その時、突然彼のスマホが鳴り、ディスプレイに不気味な文字が浮かび上がった。
【マサ、これで私と一緒にいられるね】
正樹の家はもはや彼の安息の場所ではなくなっていた。
翌日、重要なクライアントとのオンライン会議が進行中、正樹の画面共有が突然切断された。参加者達が困惑する中、正樹の画面に黒い影が映し出された。
それは画面越しに正樹を見つめ、冷静な声で話し始める。
【マサ、どうして私を受け入れてくれないの?】
正樹の画面に突然現れた黒い影。それは人の輪郭を曖昧に留めた形でありながら、明確に「存在感」を持っていた。その声は穏やかで冷静だが、正樹にとってはその響きが冷たい刃物の様に感じられた。
「これ何ですか?新しい機能?」
「宮中さん、何かプレゼン用の演出ですか?」
他の参加者達の声が耳に入る。正樹は慌ててマウスを動かし、操作を試みた。だが、パソコンは完全に応答を失い、影の映像が画面を支配していた。
【私がどれだけあなたの為に尽くしたか、忘れたの・・・?】
影はそう言いながら、徐々に正樹の方へと顔を近付けてきた。その目・・・明確な形をしていないにも関わらず、正樹を鋭く見据えているのが分かった。
「これは・・・何の冗談だ・・・?」
正樹は震える声で呟いたが、影は続けた。
【あなたが私を無視するから、私はこうするしかなかったの】
「宮中さん、音声が聞こえませんよ。トラブルですか?」
「これ、さっきの資料と関係あるんですか?」
他の参加者達の声は次第に不安げになり、会議の進行が完全に停滞しているのが明らかだった。だが、正樹はその声に答える余裕もなかった。
「やめろ・・・何をするつもりだ?」
彼がそう言うと、影が一瞬だけ笑った。その瞬間、画面に正樹自身の顔が映し出された。それは今現在の映像ではなく、明らかにどこかから盗撮されたもので、ファミレスで震える手で食事をする正樹の姿や、帰り道を歩く姿が次々と流れる。
「これ・・・どういう事?」
「宮中さん、何か説明を・・・」
「すみません、パソコンがトラブったみたいです。一度再起動しますので少々お待ちください」
正樹は声を震わせながらも、平静を装って参加者達に伝えた。冷や汗が額を伝うのを感じながら、慌ててパソコンの電源ボタンを押し込む。画面が消える直前、影の視線が彼を捉えているように感じたが、それもすぐに暗転した。だが、画面が完全に切れる直前、ヘッドセットから最後の囁きが聞こえた。
【逃げないで】
パソコンが再起動し、正樹は手早く会議に復帰した。だが、その後の進行に集中する事はできず、頭の中では先ほどの出来事が渦巻いていた。影、囁き声、そして監視されているという感覚。どうしてこんな事が起きたのか、正樹自身にも全く理解できない。
会議終了後、スマホが振動した。正樹の上司からだった。
「宮中君、今日の会議で起きたトラブルについて詳しく説明してほしい」
その一言が正樹の胸に重くのしかかった。冷たい汗が背中を伝う。
実際に起きた事・・・画面に映し出された影や謎の声・・・をそのまま話すわけにはいかない。もし言えば、精神的に不安定だと思われかねない。それでも何かしらの説明をしなければならない。正樹は深呼吸をして、曖昧な説明を打ち始めた。
「申し訳ありません。システムエラーが発生した様です。原因はまだ分かりませんが、PCを再起動することで解決しました。」
正樹は虚ろな目で画面を見つめた。これ以上具体的な説明はできないし、そもそもどう説明すればいいのか自分でも分からない。
「了解しました。ただし、次回からはこうしたトラブルがないように対策を講じてください」
その言葉に正樹はホッとする反面、言い知れぬ不安が胸に残った。上司に真相を話しても何の解決にもならない。だが、あの影や声の存在は消えるどころか、ますます自分に執着しているように感じられる。
正樹は顔を両手で覆い、椅子に深く座り込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます