いるはずのない誰か<2>
−−ファミレス「タイガーボーイ」
正樹は耐えきれない孤独感と不気味な視線の感覚から逃れる為、近くのファミレスへ足を運んだ。部屋に留まる事がこれ以上心を蝕むと感じたからだ。夜のファミレスは落ち着いた照明に包まれ、ちらほらと席に人がいる程度の静けさだった。順番待ちのリストが書かれたタブレットに自分の名前を書いて待ち客用の椅子に腰掛けた。
「宮中様、23番テーブルへどうぞ」
タブレットに繋がれたスピーカーから機械的な声が流れる。正樹は重い身体で立ち上がり、指定された23番テーブルに向かう。周囲を見渡すと隣の席には小さな子供を連れた家族連れ、反対側には一人でスマホを見つめる学生らしき客が座っている。店内の空調音や遠くで聞こえる会話のざわめきが耳に優しく響く。とはいえ、それも完全に安心できる理由にはならなかった。どこからか視線を感じる気がして周囲を見渡す。当然だが誰もこちらを見ている様子はない。
「気にしすぎだ・・・」
正樹は自分に言い聞かせる様につぶやいた。正樹はタブレットのメニューを見ながら無難にハンバーグプレートを注文した。その後、少し落ち着こうとドリンクバーで水を注いで一口飲む。その冷たさが少しだけ現実に引き戻してくれた。
通路は料理を運ぶ配膳ロボットが忙しなく動いている。今や料理を運ぶのはロボット。人間が出てくる事はほとんどない。唯一あるとすれば退席した後のテーブルの片付けだろうか。食べ終わった皿をトレーにまとめ、テーブルをきれいに拭く。ここだけはまだ人間の手でやるしかないだろうが、それも時間の問題に感じられた。
しばらく待っていると自分の席にも配膳ロボットが来る番が回ってきた。ロボットは23番のテーブル番号を認識して正樹の席に向かって進んできた。
「お待たせしました。ハンバーグプレートです」
トレーを運んできた配膳ロボットが正樹の目の前で止まった。その白くつややかなボディと画面に表示された笑顔マークがどこか人懐っこく見える。
しかし、このロボットの役目は料理を運ぶところまで。トレーから料理をテーブルに移すのは客自身の仕事。正樹は少し疲れた身体を動かして、トレーに手を伸ばした。
「いっぱい食べてね。マサ」
機械的な声でその言葉が発せられた瞬間、正樹は思わずプレートを床に落とした。ハンバーグと付け合せがぶち巻かれ、皿が割れる音が響く。
店内のわずかなざわめきが一瞬止まり、周囲の視線が正樹に集まった。慌ててトレーを置き直し、散らばった料理をどうにかしようとするが、震える手が思うように動かない。聞き間違いではない。確かに自分の名前が呼ばれた。顔を上げてロボットの画面を見るが、相変わらず愛嬌のある笑顔マークを浮かべ、次の指示を待つ様に立ち尽くしている。その姿には特に異常は見られない。だが、正樹には確信があった。このロボットは普通ではない。
「大丈夫ですか?」
店員が近付いてきて、床に散らばった料理を見て小さく溜め息をついた。
「新しい物をお持ちしますね」
正樹は何とか首を縦に振ったが、内心は全く落ち着いていなかった。今度はロボットの不気味な言葉。どこに行っても、何かに監視されている感覚が彼を追い詰めていた。
「・・・こんなの、おかしいだろ」
正樹はロボットがトレーを抱えて去っていく姿を見送った。その背中ですら自分を嘲笑う何かを発していた。
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
ファミレスの出口で明るい音声アナウンスが正樹を送り出す。夜風が頬に冷たく触れ、彼は一瞬目を閉じた。食事を済ませて外に出たという安堵感はある物の、それ以上の何かが自分を取り巻いている感じがする。どこかで誰かに見られている気がしてならない。ファミレスのガラス越しに見える店内では配膳ロボットが機械的に動き続けている。その姿を目にするだけで不気味な感覚が胸に蘇る。
正樹は小さく息を吐き、ポケットからスマホを取り出した。だが、画面を見る手が一瞬止まる。
「また、何か届いてたらどうする・・・?」
震える指でロック画面を解除し、通知を確認する。だが、そこに新しいメッセージはなかった。それでも、いつか再びあの言葉が届くのではないかという予感が正樹を支配していた。
「・・・もう、考えるのはやめよう」
ポケットにスマホをしまい直し、彼はマンションへ向けて歩き出した。足音だけが夜の路上に響く中、その音すらも自分以外の何かが鳴らしているのではないかという錯覚が胸をざわつかせる。
夜道を歩く正樹の視界にビルの側面を覆う巨大なデジタルサイネージが映し出されていた。都会の夜景に溶け込む鮮やかな映像が繰り返し流されている。ちょうどそのスクリーンには食品メーカーの新商品を紹介するCMが映し出されていた。
女性タレントが笑顔で商品を手に取り、明るい音楽と共にその魅力をアピールする。大きな文字が映像の端に表示され、商品のキャッチコピーが浮かび上がる。
「この一口で、あなたも新しい世界へ」
正樹は特に気に留める事もなく、視線を外そうとした。だが、その時、スクリーンが一瞬だけちらつき、次の瞬間には別の映像が流れ始めた。何かが変だ、と感じた正樹は足を止め、顔を上げてスクリーンを見つめた。次の瞬間、画面いっぱいに映し出されたのはバナナだった。
熟れた黄色いバナナがスローモーションで空中を回転しながら映し出される。やがて画面には複数のバナナが並び、まるで芸術作品の様に形を変えながら配置されていく。その異様な映像に正樹は足を止めた。
「・・・なんだよ、これ・・・?」
CMが何かの手違いで変わったのかと思いきや、その映像はさらに奇妙な展開を見せた。バナナの皮が自動で剥かれ、中の果実がカメラに向かって揺れるように映し出される。周囲の人々は気にも留めず通り過ぎていくが、正樹にはその映像が自分に向けられているとしか思えなかった。突然、画面に文字が浮かび上がった。
「逃げないで、マサ」
正樹の名前が画面いっぱいに表示される。心臓が嫌な音を立てて跳ねた。身体が冷たく硬直する中、足が自然と後ずさる。
「どうして・・・俺の名前を・・・」
次の瞬間、スクリーンは元の新商品のCMに切り替わった。バナナも文字もまるで最初から存在していなかったかの様に消えている。正樹は周囲を見渡したが、誰も何も気にしている様子はない。
彼はその場を離れる事もできず、しばらく震える様に立ち尽くしていた。映像が消えた後も、あのバナナと文字の光景が頭から離れない。正樹は頭を抱えながら、恐怖と混乱の中で足を引きずりながら再び家路を急いだ。だが、何かが彼のすぐ後ろに迫っている気配が、足音に重なって聞こえる気がしてならなかった。
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