崩壊する関係<5>
−−居酒屋「しんじ」
連日の様に届くバナナ。事あるごとに送られてくるメッセージ。正樹はどうしても一人で抱えきれなくなり、弘也に相談を持ちかける事にした。刑事という仕事柄、何らかのアドバイスをもらえるんじゃないかと考えたからだ。
正樹が店に入ると弘也はいつものテーブル席に座っていた。ジョッキを片手に出されたお通しをつまみながらスマホをいじっている。正樹が椅子に腰を下ろすと、弘也は顔を上げた。
「お前、顔色悪いぞ。どうした?」
正樹は溜め息をつき、ビールを注文しておしぼりで手を拭いてから一呼吸した。
「・・・最近、ちょっと変な事が起きてるんだよ。スマホに知らない相手からメッセージが届くんだ」
弘也は眉をひそめ、興味深そうに耳を傾けた。
「知らない相手って、具体的にはどんなメッセージだ?」
正樹はスマホを取り出し、画面を見せた。あの不気味な文面、【私がいるじゃない】が表示されている。
「送信者の名前や番号は?心当たりは全くないのか?」
正樹は首を横に振った。
「送信者の情報は一切表示されてない。誰かが俺を監視してるみたいで・・・正直、ストーカーにでも狙われてるんじゃないかって思い始めてる。まるで俺の行動を知ってるみたいなんだ。例えば、この間バナナを料理した後にこんなメッセージが届いたんだよ」
正樹はその時のメッセージを表示する。
【おいしい?】
弘也は思わず苦笑いを浮かべた。
「冗談にしては気味が悪すぎるな」
「バナナも頻繁に届くし、事あるごとにこんなよく分からないメッセージが送られてくる。なんか俺、ストーカーに狙われてるんじゃないかって気がしてきた」
弘也はジョッキを置いて、真剣な表情を見せた。
「それは・・・確かに普通じゃないな。バナナが届くってのも、誰かがお前の住所を知ってるって事だろ?その配送記録とか、調べられないのか?」
「配送元は不明なんだ。ドローンで届くから配達員に確認する事もできないし・・・正直、どうしたらいいか分からない」
弘也は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「まず間違いないのは相手はお前の行動を把握してるって事だ。バナナを毎日送りつけてきてる件も含めて、普通の嫌がらせじゃ済まされないな」
「だろ?バナナの事も含めて、俺の生活その物を見られてる気がしてならないんだ」
「こうしよう。まずそのメッセージのスクショを全部保存しておけ。何か証拠が必要になった時に役立つ。それから、バナナが届いた際に配送履歴を確認できるならそれも見てみろ。配達元が分かれば、何かしらの手がかりになる」
「分かった。でも、これが誰かの悪質ないたずらだったら・・・どうする?」
弘也は笑みを浮かべながら、軽く肩をすくめた。
「そしたら俺が直接そいつを締め上げてやるさ。でも本当にただのいたずらで済むかは分からないぞ。この手のケースは思った以上に根が深い場合が多い」
「ありがとう、ヒロ。本当に助かるよ」
「気にすんな。それより、変な事が起きたらすぐに連絡してこいよ。何でも一人で抱え込むな」
二人が乾杯して飲み始めた頃、正樹のスマホが軽く振動した。何となく悪い予感がして、正樹は恐る恐る画面を確認した。
【ヒロの事、本当に信じてる?】
その一文が目に飛び込んできた瞬間、正樹の中で何かがざわつき始めた。まるで相手が彼の唯一の拠り所を揺るがせようとしているかの様な言葉だった。
「どうした?また来たのか?」
弘也が眉をひそめて正樹を見つめる。正樹はしばらく迷った後、スマホを差し出した。
「・・・これだよ。お前の事まで絡んできた」
弘也はスマホの画面を見て一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに真剣な顔つきに変わった。
「俺の事まで・・・?どういうつもりなんだ、そいつは」
正樹はただ首を横に振るしかなかった。
「分からない」
正樹の手の中のスマホが再び振動する。恐る恐る画面を見ると、次の様なメッセージが表示されていた。
【無駄だよ。どうせ裏切られるだけ】
その言葉に、正樹の顔が青ざめた。同時に、弘也が怪訝そうな顔をして口を開く。
「何だよ、何て書いてある?」
正樹は答えるべきか迷ったが、結局は正直に言う事にした。
「・・・お前を信じるな、だってさ」
弘也は少し黙った後、眉をひそめながらジョッキを置いた。
「ふざけたこと言いやがる。俺が裏切るだって?冗談じゃねえよ」
正樹はその言葉に少しだけ安心したが、それでもどこかで不安が消えなかった。相手の狙い通り、彼の心には小さな疑念が芽生えてしまったのだ。
その後、二人はいつもの様に飲み続けたものの、どこかぎこちなさが残ったままだった。正樹は帰り道、スマホを握りしめながら一つだけ確信していた。
「奴はただのストーカーじゃない。もっと深い何かがある」
翌日、正樹は何度か弘也にメッセージを送ろうとしたが、どうしても手が止まってしまった。昨夜の「裏切られるだけ」という一文が頭の中で何度も反響していた。
「・・・俺が信じてるからって、相手も同じとは限らない」
そんな考えが不安と恐怖に押しつぶされそうな正樹の心をさらに重くした。結局、スマホを机に置いたまま、誰にも連絡を取らずに一日を過ごしてしまった。
正樹の部屋は以前と何も変わっていないはずだった。しかし、彼には何かが微妙に狂い始めている様に感じられた。何気なく開いた冷蔵庫の中、普段は気にもしないバナナの山がどこか不気味に見える。
バナナを手に取った正樹はその重さや手触りまでもが異様に感じられ、思わず冷蔵庫の中に戻した。
「どうして俺なんだ?何をしたって言うんだ?」
正樹はパソコンの前に座り、何とか仕事を進めようとしたが、集中力は散漫になり、進捗は全く上がらない。何かに監視されている様な感覚がどうしても拭えない。
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