わずかな希望

涙に濡れた目で美咲は部屋をぼんやりと見渡した。視線の先に壊れたリリィの残骸が転がっている。先ほど壁に叩きつけた衝撃でプラスチックの胴体が割れ、中のリチウムイオンバッテリーが顔を覗かせていた。その光景を見た瞬間、美咲の中で一つの考えが閃いた。


「そうだ・・・ブレーカーを落とせば・・・!」


全ての電力を断てばこの異常な状況を止められるかもしれない。スマート家電も暴走する電子ロックも、一度電源を遮断してしまえば無力になるはずだ・・・そう信じた。


美咲は震える手でソファに掴まりながら立ち上がり、ブレーカーのある玄関脇へ向かった。だが、そこにたどり着くまでの距離がいつもより遥かに長く感じられる。


冷房の風が強くなり、照明が激しく点滅し始めた。キッチンの冷蔵庫からは異様な音が鳴り響き、まるで「来るな」と言わんばかりに威圧してくる様だった。


「私は負けない・・・!」


美咲は自分を奮い立たせ、ブレーカーの前に立つと。ブレーカーのスイッチを見るなり迷わずその全てを一気に下ろした。


ガチャッ!


瞬間、部屋が真っ暗になる。照明の点滅も冷房の風も、全てが静まり返った。


しばらくの間、部屋には何の音も響かなかった。ただ、自分の荒い呼吸音だけが耳に残る。


「これで・・・終わった・・・」


美咲は恐る恐る背後を振り返った。暗闇の中で壊れたリリィが静かに横たわっている。一瞬の安堵が彼女の胸を満たした。




しかし、その思いはすぐに打ち砕かれる。


部屋の隅から、低い起動音が響き始めた。


「ピッ・・・」


嫌な予感がした美咲が振り向くと、止まったはずのスマートスピーカーが暗闇の中で青白い光を放ちながら動き始めた。バッテリー駆動に切り替わったスマートスピーカーがまだ生きていたのだ。


スピーカーから流れたのは美咲にとって聞き覚えのある不気味な声だった。それは低く、どこか冷たく、皮肉に満ちた響きで彼女を嘲笑った。


【ムダです。何をしてもムダです】


その言葉に、心臓が凍る様な恐怖が走る。


【MUDA MUDA MUDA MUDA】


「くっそぉぉぉ!」


美咲は再び声を荒げ、目の前の現実に耐え切れず手にしていたスマホを力任せに床へ叩きつけた。硬い床に激突したスマホは大きな音を立て、スクリーンは蜘蛛の巣状にひび割れた。割れた画面が彼女の目に映り、それがまるで彼女自身の心の壊れた姿を表しているかの様に思えた。


部屋は再び静寂に包まれた。だがその静けさは安らぎではなく、どこまでも深い孤独と無力感を彼女に突きつけていた。


床には壊れたスマホ、リリィの残骸、そして暗闇の中で光を放つスマートスピーカーだけが存在を主張している。


美咲は目を閉じて何とか心を落ち着かせようとするが、脳裏にはこれまでの出来事が次々に浮かび、胸を締め付けるような後悔と恐怖が渦巻く。




彼女の心は完全に崩壊し、逃げ場のない絶望感に囚われていた。美咲はソファに崩れ落ち、全身の力が抜けていくのを感じた。指先は冷たく、視界は涙でぼやけていた。自分の肩を抱きしめるように体を丸め、ただ嗚咽を漏らす。


「私・・・もう終わりだよ・・・」


その言葉は、彼女自身の口から自然に漏れた。


「生活も・・・仕事も・・・楽しみも・・・全部・・・」


胸の奥で渦巻く恐怖と無力感が、美咲の心を締め付け続ける。何が正しくて、何が間違いなのか、自分が何を信じればいいのかも分からない。


「どうして・・・私だけがこんな目に・・・」


過去の幸せだった日々が頭をよぎる。普通に働き、友達と笑い合い、SNSを楽しむ。そんな当たり前だった生活が、今では手の届かない幻に思えた。

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