壊される日常<2>

美咲の部屋ではスマート家電の暴走が毎日続いていた。それは不規則な時間に突然始まり、エアコン、照明、冷蔵庫、テレビが一斉に異常をきたす。


エアコンは急に最大出力で冷風を吹き出し、部屋全体を凍える様な寒さにする。数分後には逆に熱風を吐き出し、室温が一気に上昇する。


その激しい温度変化により、美咲は夜通しまともに眠る事ができなかった。布団にくるまっても寒さは防げず、熱風に汗ばむ身体を冷やそうとしても、安堵する暇はなかった。


エアコンだけでなく、照明も急に点滅し始める。暗くなったり明るくなったりを繰り返し、まるで部屋全体がパニックを起こしているかの様だった。


テレビは音量が急に最大になり、画面には見覚えのない番組やノイズが流れた。その中で時折自分の名前が呼ばれる様な気がして、恐怖で胸が締め付けられる。


冷蔵庫は勝手に開閉を繰り返し、冷蔵庫内のライトが不気味に明滅していた。中身が揺れる音が響き、美咲はキッチンに近付く事すらできなくなった。


不規則な家電の暴走により、美咲は日中も夜間も気を休めることができない。


特に夜中、エアコンの暴走で極寒の部屋に取り残された時には身体の震えが止まらず、毛布を何重にも巻きつけても寒さを感じた。


その一方で、突然熱風に変わると身体中が汗でびっしょりになり、息苦しさに目を覚ます。


時計を見ると寝始めてからまだ一時間も経っていない。目を閉じてもまた暴走が始まるのではないかという恐怖で眠る事ができなかった。


不眠が続き、彼女の体力と精神は限界に近付いていた。日中も頭がぼんやりし、身体は重く、意識が混濁していく。


「私の部屋が私の敵になってるみたい」


助けも呼べないまま、美咲は孤独の中でその恐怖を耐え続けていた。




美咲はもう何日会社に行っていないのか分からなくなっていた。出勤の準備をする気力もなくなり、だるい日々を過ごす。


ただソファに寄りかかるだけの一日を過ごすようになった。


シャワーを浴びようとしても、水は冷たすぎたり熱すぎたりしてまともに調整ができない。結局、身体を洗う事をあきらめる日が続き、髪はボサボサに乱れたままだった。


ソファに深く沈み込みながら何度も深呼吸を試みる。吸って、吐いて・・・それでも胸の苦しさは一向に和らがない。


目を閉じれば過去の出来事が次々と脳裏に浮かぶ。自分のSNSに投稿された謎の動画。勝手に届いたバッグやコート、職場での不審なメール、交差点での不気味な信号、それらが重なり合い、心に突き刺さる。


「もう許して・・・」


そうつぶやいた瞬間、涙が頬を伝い落ちた。気付かないうちに両手は拳を握り締め、全身が小刻みに震えていた。


何を食べたいのか分からない。温かい食事を作る事もできず、コンビニに行く気力さえ出せない。水道の水を少し飲むだけで一日を過ごす事もあった。


スマホを手に取る気力も湧かない。振動するたびに恐怖が襲い、画面を見る事さえできなかった。


「私の生活は・・・どうしてこんな事に・・・」


頭を抱えながら、美咲は自分の無力さに打ちのめされていた。


部屋の中はカーテンを閉め切ったままで薄暗かった。時計の針が刻む音だけが響き、時間が止まったかの様な感覚に陥る。


「このまま消えてしまいたい・・・」


その思いがふと胸をよぎるたびに美咲は自分の心が壊れ始めていることを実感する。


「誰か・・・助けて・・・」


心の中でそう叫ぶ声は、薄暗い部屋に吸い込まれていく様だった。


薄暗い部屋の中、美咲はソファに沈み込み、虚ろな目で天井を見つめていた。身体は疲れ果て、心は崩壊寸前だった。その時、静寂を破るようにペットロボットのリリィがぎこちなく歩み寄ってきた。


「ゲンキ?ミサキ、ゲンキ?」


その声はいつもと変わらぬ、無機質ながらも愛嬌のある音声だった。だが、美咲にとってそれは、かつての癒しではなく、嫌悪と恐怖を呼び起こす存在に変わっていた。


「こいつも・・・機械・・・」


スマート家電の暴走が続く中、リリィもまた同じ「機械」であるという認識が美咲を支配した。いつ壊れ、暴走し、自分を傷つけるか分からない・・・そんな考えが脳裏を巡る。


普段と変わらぬぎこちない動きが、どこか不気味で、まるでリリィまでもが自分を監視している様に感じられた。


「ゲンキ?ミサキ、ゲンキ?」


リリィの目は美咲の顔をフォーカスする様にピント調整をしている。


「やめて・・・やめてやめてやめて近付かないで!」


心の中で叫びながらも美咲はその感情を押し殺す事ができなかった。


突如、美咲の中で積み上がっていた恐怖と絶望が限界を超えた。


「あああああああああっ!」


彼女は叫び声を上げながらリリィを両手で掴み上げると、全力で壁に投げつけた。

リリィは壁に激突し、床に落ちる。プラスチックのボディが割れる音が部屋中に響いた。


床にあおむけになったリリィは、しばらく手足をぎこちなくバタつかせていた。それはまるで首を絞められて苦しんでいる様な動きだった。


「ピ・・・ピ・・・ピ・・・」


断続的な電子音が続いた後、突然リリィの動きが止まった。部屋には静寂が戻り、その小さな身体は無防備な姿で横たわっていた。


美咲は肩で息をしながら壊れたリリィを見つめた。胸の中には罪悪感と安堵が混じった複雑な感情が渦巻いていた。


「私・・・何をしているの・・・?」


彼女は自分の行動に驚きながらも、それを止める事ができなかった。孤独と恐怖に押し潰され、正常な判断ができなくなっていたのだ。


部屋は再び静まり返った。しかし、その静けさは美咲にさらなる孤独を感じさせた。

リリィはただのロボットだった。美咲に話しかけ、寄り添おうとする唯一の存在だったはずなのに、自らそれを壊してしまった。


彼女の視界は涙でぼやけ、壊れたリリィのシルエットが薄暗い部屋にただ横たわっていた。

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