迫りくる脅威<3>

職場で美咲は同僚達の視線を感じた。明らかに彼女に対する態度が変わっている。誰も直接的に非難する言葉を投げかける事こそしないが、その視線は明らかに距離を取ろうとする物だった。話しているふりをしながら、視線だけで彼女を観察している者もいる。


「君の動画、すごく拡散されてるよ」


その言葉に美咲は胸が締め付けられる思いを感じた。彼女がやった事がない暴力的なシーンが収められた動画が再生されていく。その動画の中の女性は確かに彼女だった。しかしその行動は完全に彼女の人格とはかけ離れた物であり、信じたくても信じられない様な映像だった。


「これは私じゃない!」


美咲は焦りながら答えたが、相手の表情は疑念に満ちていた。


「そう?でも、この動画、誰が見ても君に見えるけどね」


必死に訴えかけるが、周囲の同僚達は彼女を疑う目で見つめ返してきた。冷たい沈黙が広がる中で、彼女は自分の立場が完全に崩れ去った事を感じる。SNSでの炎上が彼女を社会的な信用を失う事に繋がっていた。




−−昼休み


昼休みになり、彼女は自分のスマホを開いた。SNSでは新しい動画が驚くべき速さで投稿されていて、コメント欄は炎上し続けていた。タイムラインを見ればまた新たな動画が投稿されていた。その内容はどれも彼女の人格を貶め、社会的信用を崩壊させる物ばかりだった。




自分が飲食店で食べ物を投げつけている動画


注意した老人を蹴り飛ばす動画


コンビニやスーパーで商品を意図的に落として壊した動画



「この女、マジやばい」


「もうフォロー外す」


「犯罪っしょ」


コメント欄はまるで火の海だった。彼女を信じていたフォロワー達すら、そのリアリティのある動画を前に離れていく。


美咲は次第に現実感を失い始めていた。自分が正しいと主張すればするほど周囲の目は冷たくなり、フォロワーも信じてくれなくなる。動画のリアリティはあまりにも高く、誰もが彼女がやったと思い込んでいる。美咲は、現実と虚構の境界が曖昧になっていくのを感じた。


「私は何もしてない。けど、この動画の中の私は確かに私・・・。でも、違う!」


自分の主張が誰にも届かない現実が次第に彼女を追い詰める。信じてくれていたフォロワー達が次々と離れていき、今や応援のコメントは一つも残っていない。そこにあるのは怒りと軽蔑、そして失望の言葉ばかりだった。


スマホに映る動画の中の「自分」は現実の彼女をどんどん破壊していく。現実とSNSが交錯し、どちらが本物の「自分」なのか分からなくなっていく感覚に、美咲は押しつぶされそうだった。




−−夕方


帰りの電車の中で美咲は震える手でスマホを操作した。アカウントの設定画面を開き、「アカウント削除」のボタンにたどり着く。


「これで私は楽になれる・・・」


これで終わりにできるかもしれない。何度もそう自分に言い聞かせた。


画面に表示された最終確認のメッセージを目にした時、一瞬ためらいがあった。自分が今までに築き上げてきた物が一瞬で崩壊する感覚。しかしそのためらいを振り切り、思い切ってボタンをタップした。


「アカウントは削除されました」


その通知を確認した瞬間、美咲は深い溜め息をついた。やっと、やっと解放された。これまで築き上げてきた物を失う痛みもあったが、それよりも解放感が勝った。


「これで私を責める声も悪質な投稿も全部消えるはず」


そう自分に言い聞かせながらスマホをバッグにしまい込むと、目を閉じて窓に寄りかかった。


家に帰り、玄関を開けるとリリィがいつもの様に出迎えた。


「オカエリ、ミサキ、オカエリ」


その愛嬌ある声が今日は少しだけ慰めに感じた。美咲は靴を脱ぎ、部屋に入る。部屋の中はいつも通り静かで、何も変わった様子はない。ただ、スマホの通知音が一切鳴らない事にこれまでにない安らぎを感じた。


ソファに腰を下ろし、テーブルの上にスマホを置く。もうSNSを開く必要はないし、非難の声に怯える事もない。それが彼女の疲れ切った心を少しずつ癒していく様だった。


夕食を取りながら久し振りにテレビをつけた。バラエティ番組の笑い声が部屋に響く中、美咲はしばらく画面をぼんやりと見つめていた。


「こんなふうにゆっくり過ごすの、いつぶりだろう」


これまでスマホに縛られていた時間がこんなにも自由に感じられるなんて思いもしなかった。これで本当に全てが終わったのだと美咲は再び自分に言い聞かせた。




−−翌朝


「オハヨウ、ミサキ、オハヨウ」


美咲は少しだけ晴れやかな気持ちで目を覚ました。昨夜の決断が正しかったと思いながら朝のルーティンをこなす。だが、スマホを何気なく手に取った瞬間、血の気が引いた。


「@misaに新たなフォロワーが増えました」


通知画面にアカウントが再び活動している事を示す通知が表示されていた。そこには完全に削除したはずのアカウントが再び復活し、新たな投稿がタイムラインに表示されていた。


「そんなはずない・・・」


恐る恐るアプリを開いてみると、削除したはずのアカウントが完全に復活していて、これまでの投稿やコメントが完全に元通りになっている。


新しくアップされた投稿に映っているのは自分が座っているソファとスマホの写真。まさに今、美咲が座っているその場所が映し出されていた。


「どうして・・・?」


全身に冷たい汗が流れ、彼女は思わずスマホを手から落とした。胸の中に膨れ上がるのは、得体の知れない誰かに常に監視されているという確信だった。


スマホを拾い上げ、震える指で画面を再び開いた美咲はコメント欄をスクロールするたびに押し寄せる怒りと悪意の言葉に圧倒されていた。かつて彼女を応援していたフォロワー達のコメントは今や完全に彼女を攻撃する内容に変わっていた。


「この女、マジで終わってるな」


「@misaさん、昔は好きだったけど、もう無理」


「こんな人をフォローしてたなんて」


だが、それだけではなかった。彼女のアカウントを冷やかす目的の見知らぬアカウントが次々と登場し、悪意をむき出しにした投稿をしていた。


「@misaさん、次は何をやらかすの?楽しみだね!」


「フォローしといて良かったわ。こんな炎上劇、見た事ない!」


「暇つぶしには最高のアカウント」


コメント欄は異様に盛り上がっていた。美咲のファンだった人達だけでなく、悪意を持つアカウントや冷やかし目的の人々が次々とコメントを投稿し、しまいには違法アダルトサイトへのリンクを貼る者まで現れた。


「私が何をしたっていうの?」


美咲は心の中で何度も問いかけた。こんな事になる原因が自分の中にあるのか、それとも外部から仕組まれた物なのか。これまでの人生を振り返り、誰かに恨まれる様な事をした記憶を必死に探ったが、何一つ心当たりがなかった。


「お前、本当にやばい奴だな。次は逮捕か?」


「@misaみたいな人間、社会にいらない」


「大炎上記念にスクショ保存しました!」


そして炎上を楽しむだけでなく、彼女をさらに傷つけようとする投稿も混じり始めた。


「これ、ただの悪意じゃない」


ふと、美咲の中で疑念が膨らんだ。これは単なる炎上や冷やかしではなく、明確な意図を持った何者かによって操作されている。そんな考えが頭をよぎる。


「誰かが私を完全に追い詰めようとしている」


その確信が徐々に形を成すにつれ、美咲は背筋が凍るような感覚に包まれた。スマホを置いて美咲は自問自答を続けた。


「どうすればこの状況から抜け出せるの?」


しかし答えは見つからない。むしろコメント欄で広がり続ける悪意が彼女をさらに深い迷宮へと追い詰めていった。


もう誰も信じられない。彼女の中でその思いが現実と向き合う気力を少しずつ奪っていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る