忍び寄る影<3>

土曜の休みの日。美咲はカーテンを開けて差し込む柔らかな光を浴びながら深呼吸をした。昨夜の不穏な投稿への不安は夜の静寂の中でさらに膨らんでいた。


「このまま騒ぎに流される訳にはいかない」


フォロワーの関心をそらす為、そして自分の存在感をさらに強調する為、目を引く投稿を考えた。


「よし、お高いディナーを予約してインパクトある写真をアップしよう」


美咲はスマホを手に取り、評判の高いレストランを検索し始めた。選んだのは都心の高層ビルに位置するラグジュアリーなフレンチレストラン。上から下までガラス張りの窓から見える東京の夜景とアートの様な料理で有名な店だ。予約サイトには豪華な内装の写真が並び、そのどれもが完璧にSNS映えすることを物語っている。


「ここならフォロワーの目を引けるはず」


彼女はすぐに予約を確定し、ディナーの準備を始めた。


夜、美咲はお気に入りのワンピースを着て髪を丁寧にセットした。鏡の前で微笑むと、その姿は完璧に見えた。フォロワー達が絶賛する姿を想像しながら彼女は小さな満足感を感じていた。


「完璧なディナーの投稿で流れを変えてやる」


予約時間より少し前に美咲はレストランに到着した。美咲はその豪華さに一瞬息を呑んだ。シャンデリアが優雅に光を放ち、ガラス張りの窓からは東京の街が一望できた。テーブルには上品なリネンが敷かれ、カトラリーが輝いている。彼女はまるで映画のワンシーンのような雰囲気の中にいる事に気持ちがたかぶった。


「これよ、私が求めていたのは」


最初に運ばれたのは鮮やかな彩りのオードブル。薄くスライスされたサーモンがバラの様に盛り付けられ、キャビアが上品に添えられている。次に来たメインディッシュはソースがアートの様に描かれた豪華なステーキ。


「見てろよ謎の投稿者。シナリオをひっくり返してやる」


美咲は料理を様々な角度から撮影し、理想的なショットを厳選した。背景には都会の夜景をぼかし、料理の美しさが際立つ様にフィルターを調整して投稿した。


「特別な夜に訪れた素敵なフレンチレストラン東京の夜景と一緒に一流の料理を堪能しました。#フレンチディナー #映える夜景 #美食の時間」


投稿ボタンを押すと、すぐにフォロワーからの反応が増え始めた。


「いつもの@misaさんが戻ってきた!」


「美しい!どこのお店ですか?」


「素敵なディナーですね!」


「@misaさんらしいセンス!」


コメント欄は称賛の言葉で埋め尽くされていた。謎の投稿にざわついていたフォロワー達の関心が美咲が意図した通り、ディナー投稿へとシフトしていくのが分かった。彼女はスマホの画面を眺めながら安堵の溜め息をついた。


美咲は心を落ち着けようとするかの様に一口ワインを味わった。窓の外に広がる夜景は美しく、まるでこの瞬間だけは彼女を祝福している様に感じられた。




しかし、束の間の幸せはそう長くは続かなかった。スマホが一度震え、新たな通知が表示された。


「新しいメッセージが届いています」


美咲は軽い気持ちで画面をタップしたが、そのメッセージを見た瞬間、胸の鼓動が早くなるのを感じた。


「まだ始まったばかりだよ」


美咲はその言葉に込められた意図を考えようとしたが何も思い当たらない。誰がこんな事を?目的は何?「始まったばかり」という言葉の意味は一体何?SNSのアカウント乗っ取りが目的ではないのか?


彼女はグラスを置いてディナーの雰囲気を楽しもうとしたが、このメッセージの存在がその裏側に広がる影を暗示している様に感じられた。


周囲の人々はディナーを楽しんでいて、このレストランの中で動揺しているのは彼女一人だけの様に感じられる。その孤立感が不安をさらに増幅させた。


美咲はワインを一口飲んで気持ちを落ち着けようとした。しかし口に含んだ液体の味が妙に苦く感じられた。




自宅マンションに戻った美咲は郵便受けを開けた。中には一通の不在票が入っている。何だろう?実家から何か送られてきたのだろうか。美咲は首をかしげながらも不在票を手に宅配BOXへ向かった。記載された番号でBOXを開けてみると中から現れたのは美咲の予想を遥かに超える物、光沢のある黒くて高級感漂う紙袋が置かれていた。


「クリスタリア・・・?」


紙袋の表面には聞き覚えのあるブランド名「クリスタリア」のロゴが刻印されている。それは彼女が一度も買った事がない高級ブランドの一つだった。クリスタリアの様な高級ブランドは彼女にとって憧れであり、手が届かない存在だった。いつもスマホで眺めてはうらやむだけの存在、アカウントだけ作って買った気になっているだけの存在。紙袋を開けると中にはやはりブランドのロゴが刻印された黒い箱が。その中から現れたのはクリスタリアの新作バッグ。シンプルながらも洗練されたデザインで、細部にまでこだわりが感じられる。


「・・・どういう事?」


彼女の頭の中に浮かんだのは一つの疑問。自分はこんな物を注文した覚えは一切ない。


同封されていたメッセージカードにはシリアルナンバーと共に「特別なお客様へ」とだけ書かれていた。美咲はバッグに同封されていた納品書を見て愕然とした。そこには彼女の名前と住所、そしてクレジットカードの番号の末尾がしっかりと記載されていた。


「私が買った事になってる・・・」


疑念を抱いた美咲はまず購入完了メールが届いていないか確認した。しかし受信トレイにはそれらしきメールは見当たらない。念の為迷惑メールフォルダを確認すると、そこに「クリスタリア公式サイト」から「購入ありがとうございます」という件名で購入完了メールが入っていた。


「迷惑メールフォルダに入っていた・・・?」


もしこれが公式のメールであれば迷惑フォルダに入る可能性は低い。美咲は恐る恐るメールを開いたが内容は簡潔で、公式サイトから送られる一般的な購入確認メールの様に見えた。内容自体はどこもおかしな点がない。


次にクリスタリアの公式サイトにログインして購入履歴を確認する。マイページにはバッグの購入履歴が記載されていた。値段が十数万円もする様な物を思い付きか何かで買おうとするはずがない。


彼女はスマホを手に取ってクレジットカードの明細を確認する為にアプリを開いた。スマホの画面には確かにそのバッグの購入記録が残っていた。購入日時、金額、そしてオンラインショップ「クリスタリア公式サイト」の名前が表示されている。


「どうして・・・?」


美咲は購入した覚えが全くない。にもかかわらず、全ての記録がまるで自分がバッグを買ったかの様に残されている。美咲は頭を抱えた。


「なんで私の個人情報が使われてるの・・・?」


バッグの購入について美咲がいくら調べても、どこにも不審な痕跡は見当たらなかった。購入完了メールも公式の物に見えるし、クレジットカードの明細にも問題はなく、全てが「美咲自身がバッグを購入した」という流れを裏付けていた。


「私が買ったって事になってる・・・でも、本当にそうなの?」


美咲はバッグを見つめながら冷たい恐怖が背筋を走るのを感じた。自分が知らない間に購入手続きをした可能性を考えたが、そんな記憶はどこにもない。


「記憶違い?そんな訳ない」


考えても解決しない状況に疲れた美咲は、このバッグをSNSに投稿する事でフォロワー達の反応を見ようと考えた。ディナーの時に送られてきたメッセージの送り主が何か反応しないか感触を確かめる為にも。


彼女はバッグをきれいに撮影する為にリビングのテーブルに置き、照明を調整して映える写真を撮影した。


「ついに手に入れました!憧れだったクリスタリアの新作バッグ!自分へのご褒美にちょっと奮発!これからの季節、大人っぽいデザインで、どんなコーデにも合いそう!どんなコーデに合わせようか楽しみです #クリスタリア #大人女子 #憧れブランド #自分へのご褒美」


投稿を公開するや否や、すぐにフォロワー達からコメントが寄せられた。


「メチャクチャうらやましい!」


「さすが@misaさん!バッグも映えますね!」


「次の投稿でコーデも見せてくださいね!」


投稿が拡散されるにつれて美咲は一時的にフォロワーの好意的な反応に安堵を覚え、好意的なコメントに心が軽くなるのを感じた。


「今度は何も送られてこない・・・?」


それは喜ばしい事のはずだったが、美咲にとっては逆に不気味だった。これまで彼女の一挙手一投足に反応してきた投稿者が何も動かないという状況が違和感しかなかった。「まだ始まったばかりだよ」。この言葉が特に胸に突き刺さり、離れない。


美咲はベッドの上で膝を抱え込みスマホの画面を見つめていた。目の前の世界はいつもの部屋、いつもの夜のはずだったが、彼女の心のどこかで疑念と不安が消えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る