忍び寄る影<2>

−−午後


仕事が始まる時間が迫り、美咲はオフィスに戻った。しかし、いつもは集中できるデスクワークでさえどこか上の空だった。社内の会議でも資料を読む目がどこか泳いでいた。


「気持ちを落ち着かせないと」


会議が終わると美咲は書類をまとめてリフレッシュスペースに向かった。冷たい飲み物でも飲んで気分を切り替えようと思っていた。その時、スマホに通知が表示された。


「新しいメッセージが届きました」


通知の送り主がSNSの運営だった事に気付いて彼女は一瞬ほっと息をついた。対応について何か進展があったのかもしれない。そう思い、メッセージを開く。


「添付ファイル・・・?」


運営からのメッセージに画像が添付されているのはそう珍しい事ではない。ユーザーサポートに関連する説明画像なんかはたびたび目にする事がある。念の為確認しようとファイルをタップして画面に広がった画像を見た瞬間、美咲の全身が硬直した。


「え・・・?」


そこに映っていたのはシャワーを浴びている自分の写真だった。肌に当たって流れ落ちる雫がリアル過ぎてもはや加工画像には見えない。体型も今の自分かと思える位同じに見える。


「何これ・・・どうして・・・?」


震える手でスマホを持ちながら美咲の思考は混乱の中に投げ込まれた。誰かが盗撮した?誰かが私の部屋に入り込んだ?誰かが自分を監視しているのではないかという感覚が彼女の背筋を冷たくさせた。


「そんな・・・こんなの、どうやって・・・?」


冷たい汗が美咲の額を流れ、リフレッシュスペースの静かな空気が一層彼女の不安を引き立てた。美咲は急いでメッセージの内容を読み直すが、文章は運営のテンプレート的な挨拶文であり、画像に関する説明は一切ない。彼女の心臓は激しく鼓動していたが、冷静に考えようと努めた。


「これ運営のアカウントを装った偽装メッセージなんじゃ・・・」


これは単なるいたずらではなく、誰かが巧妙に彼女をターゲットにしている可能性がある。しかも正規の運営からのメールに見せかける手口の巧妙さに彼女はさらに不安を覚えた。偽装メッセージを送ってきた人物が何を目的としているのか分からない以上、何に警戒すべきなのかも分からない。


美咲は顔を上げ、リフレッシュスペースにいる他の人々を見渡したが、誰も自分に注目している様子はなかった。それが逆に不安をあおった。




−−夕方


仕事を終えた美咲は電車の中でいつもの様にスマホを手に取りSNSを開いた。彼女にとってフォロワーからのメッセージが唯一元気が出る物だった。


しかし、画面に映し出されたタイムラインを見た瞬間、彼女の心臓は再び激しく鼓動を始めた。


「・・・何これ?」


そこには美咲が投稿した覚えのない写真が表示されていた。それは薄暗い路地裏の様な場所で、ぼんやりとした街灯の下に自分が立っている画像。何よりも驚いたのは写真に写っている場所自体が彼女自身が投稿した事がある周辺エリアと一部重なっていた事だった。


「これも例のアイコラ写真なの・・・?」


投稿には一言だけ添えられていた。


「見てるよ」


言葉に具体的な意味はなく、それが逆に美咲の不安をあおった。今まではメッセージで送られてきただけで済んだが、今度は自分のアカウントに直接投稿されている。美咲はすぐに投稿を削除しようとしたが、ボタンを押そうとする手が止まった。投稿にはすでに複数のコメントがついていたからだ。


「どこで撮った写真ですか?」


「雰囲気ありますね」


「見てるよってどういう意味ですか?」


何も知らないフォロワー達の反応が彼女にさらに奇妙な感覚を与えた。


「どうしてこんな事が・・・?」


彼女は手早くメールを確認した。他のデバイスからログインしていればただちにログイン通知が飛んでくるはず。しかしその様なメールは見当たらない。自分以外はログインしていない事になる。


「一体どうやって・・・」


美咲は呆然と画面を見つめた。この投稿が誰による物か、どの様にしてアップされたのか、まったく見当がつかなかった。唯一の救いは差出人不明のメッセージに添付されていた裸の写真の類ではなかったという事だ。


コメントがついているだけにもったいない気持ちを抱えながら彼女はすぐにその投稿を削除した。不安と恐怖が胸に広がり、美咲は手が震えているのを感じた。




投稿を削除した事で一度は沈黙したかに見えたが、その事が逆にフォロワーの関心を集めた。美咲が削除した投稿についてのコメントやメッセージが続々と届いてくる。


「さっきの投稿、どうしたんですか?削除されてますけど・・・」


「あの写真、何か意味があったんですか?」


「雰囲気が素敵だと思ったのに、なんで消したんですか?」


フォロワーの中には削除された事自体に興味を持ち、憶測や質問を次々と送ってくる人もいた。さらに削除前に写真を保存していたユーザーが再びその画像を別の場所で共有し始めた。


「これ、さっき@misaさんが投稿してたやつ!削除されてるけど保存してた!」


その投稿が拡散されると、美咲のフォロワー達はますます盛り上がりを見せた。


「なんで・・・なんでこんな事に・・・」


美咲は焦りと混乱の中で再びSNSを開いたが、もはや削除した投稿をコントロールする術はなくなっていた。拡散された画像はコメント付きで再投稿され、


「不思議な雰囲気の写真」


「隠された真実を示しているかも」


等と彼女の意図しない形で広がっていく。さらに少しずつ不安を煽るようなコメントも現れ始めた。


「この写真、怖くないですか?どこかで見た事ある気がする」


「背景、ちょっと不気味だよね。心霊写真っぽい?」


美咲はスマホを握りしめて息苦しさを感じ始めた。投稿を削除する事で収束すると思っていたのに事態は逆にフォロワーの興味を引き、収拾がつかなくなっていた。


美咲はしばらく深呼吸をして冷静になろうとした。しかし画面に次々と流れるコメントが彼女の心を重くさせていた。




寝ている間も謎の投稿は続く。


ある投稿では部屋のカーテンの隙間から何かが覗いている様に見える写真が貼られている。しかしよく見るとぼんやりしていて正体が分からない。


ある投稿では美咲のキッチンの写真が貼られている。普段見慣れた調理道具の中に見覚えのない錆びたナイフやスパナの様な工具が混ざっている。


ある投稿では美咲の部屋の中の写真が貼られている。ただし美咲が立っているだけで家具が何一つ置かれていない。


ある投稿ではバスルームの鏡の写真が貼られている。曇りで浮かび上がる「人間は自由の刑に処されている」というジャン=ポール・サルトルの言葉が書かれている。


「怖いんだけど・・・」


「不気味すぎる・・・」


「どうしてこんな写真が?」


「加工してる?ちょっと気味悪いよ」


次々と心霊写真の様な気味悪い投稿が次々と行われていた。


「誰が起こってるの・・・?」


美咲は一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとした。運営からの返信が来ない今、できる事は限られている。焦る気持ちを押さえながら彼女はすぐにパスワードを変更し、セキュリティ設定を確認する為にアプリの設定画面を開いた。

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