第22話 俺、どうにかなっちまったのかも知れない……。

◆◆◆◆


 灯里さんと俺は温泉街の駅近くにある小さなカフェへと入り、二人掛けの席に座る。


 今日も夏真だという事を主張するように太陽が凶悪な輝きを放ち、我々の身体を熱線で焼き尽くしていたが、室内に入ってしまえば空から降り注ぐ文明の利器による冷風が素肌を撫で、生きた心地がする。


 俺と灯里さんはテーブルを囲みながら、メニューとにらめっこしていた。ここのお店はフワフワのパンケーキで有名なのだが、メニューに乗っているカレーも捨てがたい……。


 灯里さんの様子をチラッと見ると、もう既にメニューを決めたようでメニュー本をたたみ、肩ひじを付きながら優しい表情でこちらを眺めている。俺は灯里さんの視線を遮るようにメニューで顔を隠しながら店員さんを呼んだ。


 俺は結局”欧風カレー”を注文した。灯里さんは”塩キャラメルのパンケーキ”だ。


 俺と灯里さんは何事も無かったかのように目を覚まし、旅館で用意をしてくれた朝食を食べた後、大浴場で一風呂を浴びてから10:00にチェックアウトをした。その後、知り合いへのお土産を見て回り昼食のため、このお店に入ったのだ。


 俺は朝、目を覚ましてから、なるべく悟られないように気をつけてはいるが、灯里さんのことを意識してしまっている。


 たかが夢だ。夢の中の灯里さんと、今、目の前にいる灯里さんは別人だ……そんなこと、頭では分かっている。そのはずなのに……。


 彼女がおもむろに俺そばに寄ってきた時に香る優しくて甘い香り――。


 俺の腕に抱きついた時の少し汗ばんだ肌の感触――。


 そして、天使のようにさえ感じる、無防備な彼女の笑顔――。


 昨日まで全然気にしていなかった彼女の一挙手一投足が、俺のことをドキドキとさせる。


 そもそも、俺と灯里さんは一体どのような関係なのだろうか……親子――これが正解だろう。血の繋がりは無いが灯里さんは俺の母親で、俺は灯里さんの息子だ。つまり灯里さんから俺に対する好意は男女の”ソレ”ではなく、家族としてのものだ。そんな彼女の思いを裏切るわけにはいかない。


「……くん。……いちくん。お~い。大地く~ん。」


 心配そうな顔をした灯里さんが俺を覗き込む。


「どうしたの大地。今、ぼーっとしていたわよ。もしかして具合でも悪いの?」


 灯里さんは俺の前髪を手で掻き上げ目を瞑る。そしてテーブルに乗り出して、ゆっくりと顔を近づけ、おでことおでこをくっつけた。少しだけ震える灯里さんの長い睫毛の一本一本が見え、灯里さんの甘い香りが鼻腔をくすぐる。


「熱はなさそうね。」


 灯里さんはおでこを離し、ゆっくりと目を開く。そして、俺の頬をそっと撫でた。


◆◆◆◆


 注文した料理が目の前に並べられる。


「「いただきます。」」


 俺は手を合わせてから、ご飯とカレールーの境目を崩して口へと運んだ。ビーフの香りが効いておりメチャメチャ美味しい。灯里さん作るカレーも美味しいのだが、こちらのカレーは洋食屋さんで提供されるカレーと言う感じがする。


 灯里さんを見ると片手でフォークを持ち、もう片方の手で頬を抑え、幸せそうな顔をしている。俺は思わず「灯里さん、美味しい?」と聞いた。すると、灯里さんは俺がパンケーキを欲しがっていると解釈したようで、「一口交換しよっか?」と言う。

 

 灯里さんはフォークに付いた生クリームを舐め取り、パンケーキを一口大に切り分ける。俺は「いいよ。」と遠慮する。正直、今の俺は灯里さんの食べている皿のものを食べるなんて、とても耐えられそうに無い。


 しかし、そんな俺の状況など微塵も理解していない灯里さんは「大地にも食べてもらいたいの。駄目?」と首をかしげた。


  そんな表情をされたら断れる分けがない。俺は新しいフォークを持とうとするが、それよりも先に灯里さんが喋った。


「あーんして上げるから口を開けて。」

「は……恥ずかしいから。」

「え~。いつもやっているのに。」


 そう、普段は全く意識せず、外食時でもお構いなしに料理を食べさせ合っている。それに今は店内にお客さんが居ない。誰かに対して恥ずかしがる必要は無い状況だ。


 俺は観念して口を開けた。パンケーキと一緒に、灯里さんが使用しているフォークが俺の口の中に入る。


 今まで灯里さんとの間接キスを意識したことなど一度もない。にも関わらず、たった一晩――たった一回見た夢のせいで、ここまで変わってしまうのか……。その時に食べたパンケーキは普段食べているものよりも何倍も甘く感じた。


「どう? 美味しいでしょ?」


 灯里さんは”にへらぁ~”と気が抜けるような笑顔を浮かべながら、こちらを覗き込む。俺は甘くとろけるような口の中のものを全て飲み込み、


「うん。美味しかったよ。」


と話した。灯里さんは満足をしたような微笑み「でしょ~。」と、まるで自分が作ったかのように話す。


 「今度は私に頂戴。」


 灯里さんは目を瞑り、両手をお椀のようにして顎の下に着け、少し上を向いて口を大きく開けた。恐らく顎の下の手はカレーがこぼれた時に、服につかないようにしているのだろう。


 絶対に普段は考えないのだが、薄っすらとリップが塗られ、家にいるときよりも更に瑞々しい唇を大きく開き、真っ白で虫歯のない歯をあらわにしてカレーをせがむ表情がいやらしく見える……。


「早く頂戴♡」


 話すたびに灯里さんの舌がいやらしく上下する。


 俺は急いで一口分のカレーをスプーンですくい灯里さんの口に入れた。彼女は両手で両頬を抑え「ん~♡」と唸り「とっても美味しい♡」と言って、口の端に付いたカレーをピンク色の舌でペロリと舐め取った。


 俺、どうにかなっちまったのかも知れない……。

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