第9話 少しだけ大人になったみたいね。
◆◆◆◆
暫くすると彼女は落ち着きを取り戻したようで、「ごめんなさいね。こんな事を言って。」と言い顔を上げた。
メイクが崩れてしまい目の周りも真っ赤だ。そんなボロボロの姿にも関わらず、溜息が出る程美人で――先程まで憎くて仕方が無かった相手にこんな感情を抱くのが悔しい。
「こちらこそ……助けてくれてありがとう……ございます。」
俺は顔をそらしながら、ぶっきらぼうにお礼をした。今まで散々な事を言ってしまった手前、正直、どんな表情で彼女にお礼を言えばよいのか分からない。
ゆっくりと彼女の方を見ると、困ったような照れくさいような笑みを浮かべている。
そして彼女の伸ばした手を取り引っ張り上げた瞬間、彼女は小さな悲鳴を上げ、右足首を押さえて蹲った。彼女の顔を覗き込むと目をつむり辛そうな表情を浮かべている。
「失礼します。」
デニムパンツの裾をめくり上げると、彼女の足首は赤紫色に腫れ上がっていた。「全然大丈夫だから。」と彼女は繰り返すが、引きつった表情と額に浮かぶ脂汗が大丈夫ではない事を物語っている。
「ここからすぐの所に俺の家があるので、そこで手当をさせて下さい。」
「本当に大丈夫だから、心配しないで。」
彼女は引きつった笑顔を浮かべながら立ち上がり歩こうとするが、足を一歩引きずったかと思うと直ぐに蹲ってしまった。恐らく俺に心配をかけまいとしているのだろう。
俺は彼女のサンダルを脱がせ彼女に渡す。そして彼女の腕を取り強引におんぶをした。
「勘違いをしないで下さい。俺は、俺のせいで怪我をした人を、放っておく程恩知らずじゃないだけです。貴女のことを信じた分けではありませんから。」
「……ごめんなさいね……。ありがとう。」
彼女は俺の首元に回した腕に力をいれ、後頭部に顔を埋めた。
「助けて貰ったのはこちらですから……。」
「うん……でも、ありがとう……。私の知らない間に……おっきな背中になったのね……。」
消え入るような――静かな……でもはっきりと聞こえた。この時俺は、初めて実母の声をしっかりと聞いた気がした。
◆◆◆◆
家に着くなり、彼女を俺の部屋のベッドに座らせた。
そして冷凍庫の氷をビニール袋に入れ、その周りをタオルで巻いて簡易的な氷嚢(ひょうのう)を作り腫れている足首へと当てた。それと同時に、スマホで捻挫や骨折の際の応急処置の方法について検索をする。暫くしてから包帯を用意して、彼女の足首をガッチリと固定し再び足首を冷やした。
「痛みが引いたら教えて下さい。」
◆◆◆◆
「痛みが引いてきたわ。」
俺はほっとして氷嚢を外した。
「もしかしたら骨に異常があるかも知れないので病院に行って下さいね。治療費はお支払するので。」
「いいわよそんなの。私が貴方のことをもっと格好良く助けることが出来れば、怪我なんてしていなかったのだから。」
いや、今回の事はどう考えても俺が悪い。信号を無視していたのは俺だ。
「でも良いの? 私のことを貴方のお部屋に入れても。」
彼女はキョロキョロとあたりを見渡しながら話す。俺の部屋はベッドと幅の狭い本棚、それと背の低くて四角いテーブルのだけしかない殺風景な部屋だ。特に何か恥ずかしい物などはない。ただ――。
「緊急だったので――。ただ、灯里さん以外の人をこの部屋にいれるのは初めてです。」
「そうなんだ。じゃあ、私が貴方の初めての女ってことね。」
そう話すと口元に手を当てながらクスクスと笑う。俺も彼女につられてフフッと笑ってしまった。
「今日、貴方とお話をして、貴方が私のことを恨んでいることは分かったわ。当然よね……。18年間も放って置いたんだから…… 。でも私はこの18年間、貴方のことを一時も忘れたことは無いわ。これだけは信じて頂戴。」
そんなことは十分に分かっていた。もし、俺のことをどうでも良いと思っているのであれば、あの時、危険を顧みず俺のことを助けることなど出来ないだろう。それに彼女が俺のことを助けた後に、泣きながら叫んだ言葉はきっと彼女の本心だ。
「これ、俺の連絡先です。」
俺はスマホを取り出しチャットアプリのQRコードを表示する。夜空さんは「えっ……えっ……?」と目を見開いて戸惑ったような声を上げながら右往左往している。
「また会うかは分かりませんし、連絡が来ても無視するかも知れませんよ。」
そう話すと、両手で口を抑えてスンスンと泣き始めた。
◆◆◆◆
「ただいま~。……あれ? 大地~居ないの~?」
灯里さんの声が聞こえ俺の部屋の扉が開いた。俺はベッドの縁に腰をかけたまま、人差し指を唇に当てて”静かにするように”とジェスチャーを送り、ベッドの方を見る。視線の先には毛布に包まり眠る夜空さんがいた。
俺がスマホの連絡先を提示した後、彼女は涙を流し俺の枕に顔を埋めた。彼女が泣き止むまで待っていたのだが、やがて彼女のすすり泣く声は寝息へと変わっていった。
恐らく彼女は昨晩、眠ることが出来なかったのだろう。
灯里さんはソッと俺の部屋に入り、彼女の横に腰をかける俺の頭を撫でた。
「貴方、少しだけ大人になったみたいね。」
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