第8話 血が繋がっているだけの他人

◆◆◆◆


「もう話題もなさそうなので、それじゃあ、さようなら。もう二度と俺の前に現れないで下さい。」


 九条さんと話し始めてから約30分、俺はテーブルの上に自分の注文したコーヒーの代金だけを置いて席を立った。

 

 会話を始めた頃は九条さんから「今は何をしているの?」とか「好きな食べ物はなに?」等といった、何でもないような質問をされ、俺は相槌に近い適当な返事を繰り返していた。


 その後、俺の方から九条さんに「父親は誰なのか?」「男遊びが酷かったことは本当なのか?」「何故、今になって俺の前に現れたのか?」等、畳み掛けるように質問をした。彼女は俯き「ごめんなさい。本当に申し訳ないことをしたと思っているわ。」と謝るばかりで俺の望んだ答えは返って来なかった。


 俺はこの時、彼女に対して酷い言葉を浴びせていたと思う。


 俺が席を立った瞬間、彼女は飛ぶように席を立ち俺の手首を掴んだ。


「お願い。もう二度と会わないなんて悲しいことを言わないで。時々で良い。年に数回でも良いから私と会って、そして、お話をして頂戴。どんなお話でも良いの。本当に他愛のない会話で良い。私に対する憎悪の言葉だって構わない。それにもし迷惑でなければ、お小遣いだって上げるから。」


 雪のように白く――そして冷たい手。俺の腕を握る彼女の手から彼女の必死さが伝わってくる。しかし彼女が必死なことなど俺には何の関係ない。何が目的なのかは知らないが、これ以上話をした所で不快なだけだ。


「嫌ですよ。もう気がついているでしょう。俺は貴女のことが嫌いなんです。」

「私のことが嫌いでも良い……。憎んでいても良い……。だから……だから、もう少しだけ一緒にお話をさせて頂戴。」


 彼女は目の端に涙を浮かべながら叫ぶ。しかし俺の心には驚くほど響いてこない。


 俺の質問に対して答えられなかったという事は、肯定していることと同義なのだ。つまりこの女は叔父さんの言っていた通りの女だと言うわけだ。


「血が繋がっているだけの他人と話すことなんてありません。それじゃあ、さようなら。」


 そのまま彼女の腕を振り払い店の出口へと向かった。彼女はレジで支払いをしている。その間に俺は店を出た。


 こうなるとは予想していた。しかし心の底では若干――ほんの少しだけ、実は彼女がしっかりした人間で、”俺の実の父親のこと”や”俺を産んだ理由”を話してくれる――。そして彼女は誰にでも股を開く分けではなく、彼女が愛した人との間に授かった子供だと言ってくれるのではないか……と期待していた。まあ、結果はこのザマだったのだが……。


 今日、俺は淫売の母と誰か分からない父親の間に生まれた雑種であることが明確になった。


「待って!!!! 待ちなさい!!!!」


 後ろから大きな悲鳴にも似たあの女の声が聞こえる。周りの人が注目しそうなほど大きな叫び声だ。人目も憚らず大きな声をだして恥ずかしくないのだろうか。


 俺は後ろを振り「もう付いてこないでくれ。」と言おうとした瞬間、彼女の叫び声と同じくらい、大きなクラクションが鳴った。


◆◆◆◆


 何が起きたのか全く分からなかった。


 稲妻にも似たクラクションの音が聞こえ、そちらを見るとトラックがすぐ近くまで来ていた。(もう駄目だ。)と思った次の瞬間、俺の横から物凄い衝撃を感じ、それと同時に空が見えた。そして今、向かい側の歩道に仰向けで倒れている。


 軽く身体を動かしてみたが、倒れた際に打った背中意外これと言った痛みはない。


 地面に手をついて身体を起こそうとしたところ胸元に柔かな感触を感じた。あの女だ。あの女が俺の胸元にしがみつきながら泣きじゃくっている。


 彼女の頭を抑えながら身体を起こし天を仰ぐと、歩行者用の信号機が赤から青に変わった。


 どうやら俺は……考え事をしながら歩いていた所、赤信号を渡ってしまったようだ。そしてトラックに撥ねられそうになったところを彼女が身を挺して助けてくれたという分けだ。


「どうして俺なんかを助けたんですか。一歩間違えたら、死んでいたかもしれないんですよ。」


 彼女は俺の胸にしがみつき、顔だけを上げて嗚咽混じりに叫ぶ。


「貴方を失うくらいなら、死んだほうがマシよ!!!! 私がどれだけ貴方に会いたかったことか――貴方に会ってお話をしたかったことか――。私はまだまだ貴方に伝えたいことが沢山あるの!!!! それに、もっと貴方のことを知りたいの!!!! だから――。」


 そして彼女は俺の胸に顔を埋め、叫び声にも似た声を上げて泣いた。俺は周りの目など気にせず、彼女に胸を貸して彼女の頭を撫でた。

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