第7話 ”正しく恨む”ために

◆◆◆◆


 実母に会いなさい……か……。


 正直、俺は実母のことが嫌いだ。育てることも出来ない俺のことを無責任に産んで、案の定一緒に暮らすことが出来ず、その結果俺は親戚の家をたらい回しにされて――自分勝手過ぎるだろ。その上、今更会いたいなんて……。

 

 もしあの日、灯里さんと出会うことが出来なければ――灯里さんの手を取らなければ、今でも俺は何も無い虚無の時間を生きていたかもしれない。


 それに――。


「灯里さん。申し訳ないんだけれど、俺、”俺のことを産んだ人”には会わないよ。だって、俺の母親は灯里さんだけだから――。」


 そう、俺の母親は灯里さんただ1人だ。彼女は俺が5歳の頃から13年間もの間、女手一つで育ててくれた。きっと辛いことや苦しいことも沢山あっただろう。しかし彼女は、俺の前ではいつも笑顔でいてくれたのだ。


 そんな灯里さんを差し置いて――今更、実の母親だから会いたいなど到底許される分けがない。


 灯里さんが俺の頬にそっと手を当てる。


「怖い顔をしないでよく聞いて頂戴。私のことを母親だと思ってくれることは、とても嬉しいわ。でも――だからこそ、大地は彼女に会わなくては駄目よ。だって、貴方が認めなくても、彼女は貴方を産んだ実の母親なのだから――だから彼女に会って、しっかりと話しをして、親子の問題に決着を付けないと駄目よ。そうしないと大地はこれから先の人生ずっとお母様のことを恨んで過ごすことになるわ。」

「でも、もし彼女がどうしようもない人で、彼女と話しても彼女への恨みが消えないかもしれないよ。」

「そうね。話をしたから彼女への恨みが消えるとは限らないわね。でも、話さなければそれも分からないわ。そしてもし、話をしても恨みが消えないのであれば、彼女のことを”正しく憎む”ことが出来るでしょ。まあ、私が少し話した限り彼女は碌でもない人間って感じはしなかった――というか、もし、碌でもない人だと感じたのなら貴方に合わせないわよ。」


 確かに俺は彼女のことを何も知らない。顔すら見たことがないのだから……。しかし何度考えても、彼女のことを許せる程の器が俺には無いと思う。だから俺は……。


 俺のことを産んだ人のことを”正しく恨む”ために、彼女に会おうと決意した。


◆◆◆◆


 昨日は眠れなかった……緊張ではなく、今日これから会う”俺のことを産んだ人”と何を話すのか考えていたのだ。俺はどれだけ考えても、やはり彼女を許すことは出来ない。


 幼い頃に叔父さんから、「彼女は男遊びが激しくて、お前の父親は誰なのか誰も知らない――彼女自身も分からないのだろう。」と聞いたことがある。


 つまり、そういう人間なのだ。発情した猫のように身勝手に交尾をして、無計画に子供を作る――そんな人間なのだ。

 

 しかも、相手がわからない――誰彼構わずに股を開く卑しい女性ということだ。自分の実の母親がそんなヤツで、18年間も放っておいたのに今更になって会いたいだなんて、どういう神経をしているのか分からない。


 そんな事を考えながら、待ち合わせ場所の近所のファミレスへと付いた。時間は待ち合わせ時刻の5分前。ウエイトレスに名前を伝えると、直ぐに座席に案内された。


◆◆◆◆


 時刻は13:55――ランチを終えた人々が退席をして人が少なくなる時間帯だ。空いているテーブルがポツポツと見える。それでも席が埋まっているテーブルの方が多い中、一人だけ特有の雰囲気を醸し出す女性がいた。


 丈の短いベージュのブラウス――確かカシュクールブラウスと呼ばれているトップスだったか――Vネックの胸元を隠したブラウスを身に着けた女性が俯いて座っているだけなのだが、その佇まいが妙に上品で他のテーブルよりも華がある。


 ウエイトレスはその女性の方へと吸い寄せられるように進み、彼女の座るテーブルの前で静止した。


「こちらのテーブルへどうぞ。」


 ウエイトレスは、その女性の座るテーブルを手で示しながら笑顔で話す。それと同時に席に座っていた女性がゆっくりと顔を上げた。しっかりと整えられた彼女の黒い前髪がふんわりと揺れる。切れ長の瞳が少しキツそうな印象を与えるが顔立ちは整っており、もしこれがドッキリで彼女が女優だと言われても信じてしまうだろう。

 

 そして、上目遣いで俺を見上げる彼女の表情は、まるで恋に落ちた瞬間の乙女のようだった。


 雰囲気に気圧されテーブルの横に立ち尽くす俺に、彼女が声をかける。


「座らないのですか。」


 透明感のある澄んだ声。俺は「ええ座ります。」と返事をし、ウエストポーチを外して彼女の対面に座った。

 

 その後、暫く沈黙が続く。何か話しかけた方が良いのだろうが私が思い浮かぶ話題といえば「どうして今更、俺の前に現れたのか 。」とか「俺の父親は誰なのか。」とか、右ストレートでぶっ飛ばすような話題ばかりだ。


 そんな沈黙の中、彼女が口を開いた。


「一ノ瀬 大地さん……ですよね。私、九条 夜空(くじょう よぞら)と申します。」

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