最後の晩餐
ある時、お店に顔色の悪い老人が生姜焼き定食を食べに来た。
老人の名は
昭雄はお店に来たことがあるらしく、生姜焼き定食を食べると、昔と変わらず美味しいと店長を褒めちぎった。
「お客さん、うちに来たことあるんですか?」
「先代の女将さんの頃にな。あんたはまだ小さかったから覚えていないと思うよ」
「今日は久々に来てくれたってことですか?」
「ああ、最後の晩餐ってやつだな……」
店主は昭雄の言っている意味がよくわからず、水を出すと厨房に引っ込んだ。
昭雄はかつてこのお店の辺りに住んでいたことがある。
昭雄は銀行員で妻と娘と3人暮らしをしていた。
娘が10歳になる頃に妻を亡くし、その後は男手一つで娘を育てた。
今でこそ一人親は珍しくないが、当時は一人親は少なく、その当時の男性は家事にも不慣れなことが多く、昭雄は悪戦苦闘しながら娘を育てた。
母親を亡くし、昭雄が作る食事に娘が不満を漏らせば昭雄はこの定食屋に連れてきて食事をしたり、娘が反抗期に入って口をきいてくれなくなった時も一人でこの定食屋に来ては、女店主とよく話したのであった。
「父親なんて、そんなもんだよ」
女店主がよくそう言って、昭雄の話を聞いてくれたことを思い出す。
娘が大人になり結婚して家を出ることになった時も昭雄は女店主に話を聞いてもらい、他では一切見せなかったが、この店でだけは涙を見せた。
「子供なんてそのうちみんな出ていくんだから! これからは自分のために楽しく生きるといいよ!」
女店主はその時もニコニコしながら、昭雄にそう言葉をかけて話を聞いてくれた。
昭雄も定年退職になり、年を取ったので15年ほど前に娘の家の近くに引っ越し、以降はこの店に来ることはなくなった。
「いや~ここの生姜焼き定食はやっぱり最高だね!」
「まあ、余所とあまり変わりませんけどね。ありがとうございます」
昭雄が生姜焼き定食を褒めちぎるが、店主は相変わらずの無愛想。
昭雄は生姜焼き定食を完食し、店長にこれからも頑張るように伝えるとお勘定をしてお店を出ようとする。
「どうぞ、またお越しください!」
無愛想な店主は昭雄が気になり、珍しく声をかける。
昭雄は店主の言葉に返事をすることなく、軽く笑みを浮かべると、そのままお店を出て行った。
それから昭雄がお店に現れることは二度となかった。
一年くらい経ったころ、50代くらいの中年夫婦がお店に訪れた。
「生姜焼き定食2ついいかしら?」
「はい。生姜焼き定食2つですね」
夫婦は座席に着くと、かつて現れた顔色の悪かった老人のことらしきことを話し始めた。
「お父さん、最後の外出許可でこのお店に生姜焼き定食を食べに来たらしいのよ」
奥さんの方から聞こえる声に不愛想な店主も思わず聞き耳を立てる。
「お父さん末期がんで最後の外出許可の日にどうしてもここの生姜焼き定食が食べたかったんだって! 日記には最後の晩餐なんて書いてあったわ」
店主は最後の晩餐という言葉を聞いて、やはり1年前に現れた顔色の悪い老人のことだと思った。
「生姜焼き定食2つです。お待ちどうさま」
店主は夫婦に定食を運ぶと、奥さんの方が店主に話しかける。
「1年くらい前に80歳くらいの痩せて顔色の悪い男性が生姜焼き定食を食べに来なかった?」
「……。はい、確かにそんな方が来られました」
「やっぱりお父さんここに来てたんだ! 死ぬ前にここの生姜焼き定食が食べたいって言っていたのよ! 日記にも本当に美味しかったって褒めてたわ!」
「そうですか……。まあ、余所とあまり変わらないですけどね……」
店主はいつもどおりの無愛想。
その無愛想な様を見て夫婦は顔を見合わせ笑う。
「何かおかしなことでも言いましたでしょうか?」
「違うのごめんなさい。でも、お父さんの日記に書いてあったとおりだから!」
奥さんはそう言って、昭雄が書いていた日記を店主に見せてくれた。
最後の晩餐の日の日記の末尾にはこう書かれていた。
『生姜焼き定食は昔食べた味と変わらず、とても美味しかった。でも、今の店主はとても無愛想である……』
夫婦は日記を見てまだ笑っており、店主は恥ずかしくなり厨房に戻るのであった……。
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