思い出の生姜焼き
八幡太郎
思い出の生姜焼き
都内にひっそりと佇む定食屋。
無愛想な20代くらいの男性が店を切り盛りしている。
特別おしゃれでもなくどこにでもある定食屋に1か月に一度、由美子は生姜焼き定食を食べにくる。
「店長さん、ここの生姜焼き定食はいつ食べても美味しいわね!」
「そうですか? 余所と変わりませんけどね……」
店長はいつ来ても無愛想である。
由美子がこのお店に来たのは20年前、当時は不景気で青森から上京した由美子は化粧品会社の派遣社員として働いていた。
時代は不景気で女性の就職は特に厳しく、由美子にとって優しい時代ではなかった。
由美子が仕事に就いて3年くらい経った頃のある冬の夜、由美子は会社帰りにひったくりにあい、財布の入ったかばんを盗まれてしまった。
直ぐに警察に届けを出したが、その晩はお金もなく2時間はかかる道のりを歩いて帰ることになった。
冬の夜は寒さが厳しく、傷心の由美子に追い打ちをかけるように冷たい雨が降り注ぐ。
傘を買うお金もない由美子は雨に濡れながら、夜の街を歩く。
由美子は悔しさやら情けない気持ちで涙が止まらなくなった。
「ちょっとあんた! ずぶ濡れじゃないの!」
由美子は誰かに話しかけられたことに気づき振り向くと、60代くらいの定食屋の女店主がお店の暖簾をしまっており、ずぶ濡れの由美子を見て、驚いたような表情で見ていた。
「何があったかわからないけど、とにかく中に入りな!」
女店主は由美子をお店の中に入れると、タオルを渡してくれた。
「生姜焼き定食でいいかい?」
「いえ、私、ひったくりにあって今日はお金を持っていないんです」
「あら、それは災難だね。でも、うちは貧乏人からお金を取るほど落ちぶれちゃいないから、安心しな。お腹空いてるだろ」
女店主はそう言うと厨房で調理を始める。
「はいお待たせ! 熱いからゆっくり食べるんだよ!」
由美子は女店主の出してくれた生姜焼き定食の味噌汁を飲むと、その温かさに再び涙が止まらなくなった。
「あれあれ、よく泣く子だね~」
女店主は泣きながら生姜焼き定食を食べる由美子をニコニコと母親のような表情で見つめていた。
「私、何をやってもダメなんです。職場でも自分より若い社員にバカにされて、今日もひったくりにあって、生きる価値がないんです……」
「馬鹿言うんじゃないよ! 人間生きているだけでも上等なもんさ。それに人間そんなに偉くならなくていいんだよ! そうだね、いつもうちの定食が食べれるくらいの稼ぎがあるくらいがちょうどいいのよ」
女店主はそう言うと、お店の奥から財布を持ってきて、タクシー代として由美子に1万円を渡した。
「これはいただけません! 食事までご馳走になって、その上タクシー代までお借りするなんて……」
「馬鹿だね、こんな寒い中歩いて帰れるわけないだろ! あとこのお金は返そうなんて考えなくていいから! これからは辛いことあっても下を向くんじゃないよ!」
由美子は何度も女店主に御礼を述べ、ありがたくタクシー代を借りることにした。
それから由美子は起業のための勉強を行い、ネット販売の化粧品の通販会社を立ち上げた。
最初は苦戦もしたが時代の波にも乗り、由美子の会社は世間でも知られるような大きな会社に育っていった。
由美子が定食屋の女店主に立派になった姿を見せに行った時には、既に女店主はこの世にはなく、無愛想な孫が店主としてお店を切り盛りしていた。
由美子はあの時のことを忘れないように月に一度はこの定食屋に生姜焼き定食を食べにくる。
先代の店主と違い、今の店主は無愛想だが生姜焼き定食の味はあの時と変わらない。
「社長、そろそろ行きませんと午後の会議に間に合いません」
「わかりました。店長さん、お勘定いいかしら。今日もとても美味しかったわ!」
「まあ、いつもと変わりませんけど……。毎度、ありがとうございます!」
無愛想な店主は笑顔一つないが、お店の扉を開き、由美子を見送る。
「社長、このお店気に入ってますね。あの生姜焼き、そんなに美味しいですか? 余所と変わらない感じもしますけど……」
「とても美味しいわ。あと、変わらない所がいいのよ……」
由美子は会社に向かう車の窓から街を眺め、女店主のことを思い出しながら、これからも上を向いて頑張ろうと自分に誓うのであった。
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