僕は君を溺愛は出来ないと言ったが愛せないとは言ってない

稲葉 すず

僕は君を溺愛は出来ないと言ったが愛せないとは言ってない

 王城の中庭に誂えられた見合いの席で、ヨアキムはあくびを噛み殺していた。正直時間を貰えるのなら、仮眠が取りたい。

 しかし王太子殿下に婚約者が決まった以上、その側近の一人であるヨアキムも婚約を早急に整える必要があった。ヨアキムはヒエッカランタ伯爵家の次男である。従って、婚約者はいなかった。


「失礼。このところ、忙しくて」


 側近仲間の一人である、ダーヴィド・フィルップラに縁談が持ち上がったのである。陛下の側近であるアハマニエミ伯爵の三女であり、フィルップラ侯爵家で一週間見合いがてら住み込み云々。その彼が抜ける穴を全員が交代で埋めたため、今ちょっと疲れが貯まっていた。

 やはりもう一人か二人、優秀なのを入れるべきだと進言するべきだろう。問題はその、優秀なの、にかかるのだが。

 この中庭には、多くの人間がいた。彼女――見合い相手のフローラ・フフタ嬢の連れてきたメイドたち、それから王城のメイドたちに、従僕までひしめいている。


「伺っております。殿下に婚約者が決まったことによる、急ぎの婚約者裁定であるとも」


 フローラ嬢はお淑やかに、形だけカップに口をつけた。彼女は総領娘だ。それも一人娘なので、フフタ伯爵家を継ぐのは彼女になる。つまり騎士になるか文官になるか、はたまたどこかの貴族家の婿になるかしかない男たちから求婚がひっきりなしのはずである。

 すなわちヨアキムと見合いをする必要はない、はず、なのである。

 先ほどこの中庭に強制連行される直前に渡された釣り書きをざっと脳内で反芻する。フフタ伯爵領についての情報は、業務上頭に入っていることであるし。

 王家の忠臣に分類されるし、領民への税率も高くはない。低すぎもしない。今年は豊作というほどではなかったはずだが不作でもなく。

 まあ、安定した領である。それこそ本当に、ヨアキムとの見合いを受けるほど困っているはずもない。

 フローラ嬢はそれほど年嵩でもない。適齢期だし、高根の花というほどの美貌は持ち合わせていないが、ブルネットと称されるこげ茶の髪も彼女の淑やかさを後押ししているような印象だ。


「ああ」

「どうされました?」

「いや、なぜ見合いを受けてくれたのかと思いましたが、君はダーヴィドの、フィルップラ侯爵家の、ダーヴィドの婚約者殿のご友人か」

「はい。ビルギッタ様とは親しくさせていただいております」


 なるほどそこに繋がりか、と。ヨアキムは頷いた。だめだ。眠くて頭が回っていない。こんな状況で見合いをしていいのか。いや逆か。この状態の自分でいいと思ってくれる相手でなければいけないということか。


「では。あー……頭が回っていないことを先に謝罪させていただく」

「このところお忙しいようだと伺っておりますから、どうぞ楽になさって」


 優しさが身に染みる。

 そう思いながら、ヨアキムは紅茶のカップに手を伸ばした。喉が渇いているというよりは、頭を多少でもはっきりさせたかった。何を話し出すか、自分でもちょっとコントロールに自信がない。


「ご理解いただいていることに甘える形で申し訳ないが、私はあなたを溺愛できないと思う」

「…………と申されますと?」


 中庭のあちこちから咳払いが聞こえる。フフタ伯爵家のメイドたちの気持ちは分かる。しかし聞こえてきた場所から察するに、これは王城の執事の咳払いも入っているな。言いたいことは分かる、とヨアキムは頷く。でも是非聞いて欲しいんだ。


「ここに連れてこられる前に、色々と言い含められてね。昨今の女性の間では溺愛物が流行っているのでしょう」

「ええ、そう。そうですわね」


 フローラ嬢の顔が少しひきつっているようにヨアキムには見えた。まあ、いきなりこんなことを言われたら、ひきつるだろう。分かる。


「実家の兄の話なんですが」

「はい」


 ヨアキムは次男だ。殿下の側近職をいただいているから、一代限りの子爵位は持っている。そしておそらく生活に困ることはない。子供の事を考えなければ、どこかの貴族家に婿に行く必要もないのだ。


「長らく片思いしていた相手と婚約してから、まあ酷くて。一人でやってくれればいいものを、私と妹も巻き込むものだから、一生分のドレスのカタログを見ましたよ」

「一生分の?」

「ええ。父が言うには、婚約者や妻にドレスを送る際のカタログは、流行のものかそのサロンのおすすめのものだけだそうです」


 新規にデザインして貰ったものは除くそうだけれど、その辺りは淑女であるフローラの方が詳しいだろうから説明はしない。する必要もないだろう。

 フローラは紅茶のカップに手を伸ばした。


「で、どれが愛しの彼女に似合うか私たちに聞くわけですよ。最終的には毎回自分で決定するくせに、こちらにも話してくる。それを何年か繰り返した結果」

「どうなりましたの?」

「義姉上からも、サロンの方からも、お前には才能がないと言われました」

「才能が?」

「ええ。センスがないと。だからお前はもしも結婚するのであれば、相手にそれをきちんと伝えなさいと言われました。いいものを贈られるのを期待するなと」


 ヨアキムにとって溺愛とは、兄のあれを指す。いやまあ、他にも兄は色々とやらかしているのだけれど、そのどれも自分には無理だな、とも思っていた。

 溺愛物が流行している、といわれるとどうにもあれを思い出す。苦々しい記憶として。そうしてあれは自分には無理だと思い知らされるのだ。財力の問題もある。兄はヒエッカランタ伯爵家の嫡男だから、まああれだけのことが出来たけれど、自分は単なる王城の文官だ。


「例えば、そう例えばですけれど」

「ええ、何なりと聞いてください」


 ヨアキムはそういって、紅茶のカップをまた手に取った。さっき飲み干した分は、すでに補充されている。流石王宮に仕えているだけあって、優秀なメイドたちだ。いつ注いでいったのかも気が付かなかった。


「ここに、二着のドレスがあるとします。私が、妻になった私がどちらがいいか聞いたとしたら、どう答えられます?」

「そうですね。冬に夏のドレスである、とかならそれはよくない、と答えられますが。そうじゃなければどちらも似合っているのだから、と答えてしまいますね。今日その時の気分でこっちの色、とかでいいなら答えられますよ」

「……答えては、くださるのですね」

「もちろんですとも。ああ、そうだ」

「まだなにか」


 アクセサリーを選ばせるのはやめてくれと続くのかしら、とフローラはぼんやりと考える。愛せない、という割に、誠実そうな殿方だ。


「王城での夜会は、全てをエスコートすることが出来ません」

「そう、なんですの」


 それは愛しい人がいるからですか、と。フローラがヨアキムに問う前に大きくヨアキムが頷いた。


「ビルギッタ嬢から聞いているかもしれませんがね。私達は殿下や陛下の側近として、その側に侍る必要があるのです。持ち回りにしようという話にはなっておりますから、全ての夜会でエスコートできないわけではありませんが」


 例えば他の者に何かがあれば、立て続けにヨアキムが担当することになるだろう。他の側近たちの奥方が立て続けに産気づくとか。

 フローラは、ぱちり、と瞬きをした。長い上まつげと下まつげが、溶け合い、しかし難なくほどける。良く絡まないな、などと、半分くらい眠った頭でヨアキムは考えた。

 そういえば、確かに。ビルギッタから聞いたことがある気がする。彼女の父親が、陛下に離して貰えなくてここのところずっと夜会に母がエスコートして貰えていないと言っていたな、と。

 近衛騎士が夜会に奥方をエスコートできないのと、同じ話である。彼らは仕事として、その場に立っているのだから。


「ええ、存じておりますわ」

「寂しい思いをさせる制度であるとは思うのですが、こればかりはどうしようもなく」


 代々の愛妻家たちの手でどうにかならないかと色々調べられてきているが、どうにもならないらしい。王家の方々のお誕生日会程度なら問題はないが、異国の方をお迎えした場ではどうしようもないそうだ。

 奥方同伴にしてはどうだ、という意見もあったし、それが通った夜会もある。すなわちそうではない夜会も存在するのだ。もう手を入れられる場所はなさそうだった。


「後、あとはええと」


 ふふ、と、フローラは思わず笑みがこぼれた。

 見合いの席でここまで、自分を売り込んでこなかった殿方は初めてだ。彼にとって、フローラは何としても射止めたい相手ではないのだ。フフタ伯爵家のあれもこれも、彼にとっては魅力がない。

 伯爵の夫となり、フローラに献身的に尽くすつもりもなければ、彼はそのまま王宮で殿下に、そしていずれは陛下に尽くすつもりなのだろう。


「私から、質問させていただいても?」

「ええ、是非」

「私は伯爵位を継ぎますから、ずっと王都にはおられません。お手紙を書いたら、お返事を頂けますか?」

「受け取ったタイミングや内容によっては即日その場でお返事は難しいかもしれませんし、カードだけのお返事になるかもしれませんが、善処いたしましょう」


 また、メイドたちの咳払いが聞こえる。

 だってそうじゃないか。例えば、先日行われた通商会談のための準備期間中に、とても長い相談の手紙を貰ったらその場での返事などできるものではない。その場合は一旦受領証代わりに何か可愛いカード送付し、そこに手書きで、いい? 絶対に代筆をさせては駄目。あなたの手書きで、猶予を乞いなさい。と、義姉に念を押されているのだ。

 見せる必要があるのは誠意である。と。


「ハンカチに刺繍をしたものを贈ったら、使っていただけるかしら?」

「使用を前提とするのであれば、洗い替えをねだっても?」


 以前妹が、婚約者のためにイニシャルを刺繍する練習をしていた時だ。彼と同じイニシャルを持つ父の秘書の所に、失敗作が大量に押し付けられることとなり。

 彼は、他の使用人仲間にお嬢様から頂いたのだと見せて回っていたのを思い出してしまう。

 確か、妹から成功品を貰った婚約者殿は額装していたな、などと割とどうでもいい事を思い出す。やはり頭のかなりの部分が寝ているようだ。

 フローラは微笑みながら、少し首をかしげる。この方は、私を愛さないと言ったのでは?

 いいえ? ちょっとニュアンスが違ったかしら?


 フローラはあまりにも眠そうなヨアキムに根負けをして、この日のお見合いを一旦終了することにした。後日彼が時間を取れるかどうかは分からないけれど、ひと眠りした方がいいだろうと判断したのだ。

 その日の夜、フフタ伯爵家にヨアキムからカードが届いた。それは最近貴族子女だけではなく適齢期の女性全般の間で流行っているカードだ。色々な詩集から恋の歌だけを集めていて、一枚から購入できる。

 ヨアキムが選んだのは詩人ユハのカードだ。四十年くらい前の詩人で、まだ存命だったかどうかは自信がないが、世代を超えて大流行している詩人だ。恋する乙女は、いつも、常に、どの時代でもいるのだから。


 書かれているヨアキム自身の言葉は、「今日はありがとうございました」だけだけれど。


「ねえ、ねえ。これ。これどういう意味かしらっ?!」


 それは、ユハの詩の一節の途中で。

 もしも婚約者から来たカードであるなら、「またお茶でもしよう」という意味になる。フローラとヨアキムは婚約者ではないからまた会えませんか、になるのだろうか。


「なにも考えずに、選ばれただけでは?」

「その線が濃厚ですけれども!」


 微笑ましげにこちらを見ているメイドに、思わずフローラは頬を膨らませた。特に意味もなく今流行しているし、と選んだ可能性は大いにある。

 けれど。


「私だって年頃ですもの! そう思いたいではありませんの!」


 ユハの詩は確かに大流行したししているけれど、それは子女の間で、とつく。男性陣の教養には含まれないのだ。

 けれど、と、フローラは考える。

 本日のお見合いが嫌であったのならカードなどわざわざ送っては来ないだろう、とも思う。悩ましい。

 人となりを知らないから、とても悩む。


「奥様と旦那様に、ご相談されてはいかがですか」

「そうするわ」


 メイドに促されて、フローラは頷いた。幼い時からまるで姉妹のように側にいて、困っている時は一緒に悩んでくれたメイドだ。きっと彼女には、当事者である自分には見えていないものがあるだろう。

 例えばそれが、両親に相談した方がいい、とか。

 フローラの相談を受けて、フフタ伯爵は行動を起こした。ヨアキム本人ではなく、ヒエッカランタ伯爵家へと手紙を書いたのだ。


 そうして。

 ヒエッカランタ伯爵家次男のヨアキムは、フフタ伯爵家の長女に婿入りをした。彼自身はフフタ子爵となり、殿下に、そして陛下に生涯仕えた。一代限りの子爵位を返上し、フフタ伯爵を名乗ってもよかったし、フローラもそれを提案したことがあるけれど、それは相も変わらず眠そうなヨアキムによって拒否された。

 当然、あちらからもこちらからも咳払いが聞こえたが、ヨアキムは気にしていないようだった。

 フフタ伯爵はフローラが継いだ。彼女が悩んだ時、ヨアキムはそっとカードを贈るにとどめた。君が望むのなら。君が望むのなら、君の問いに答える用意も、共に悩む用意もあるが、君が自身の力で切り開きたいというなら、それを支持しよう。ヨアキムのスタンスはずっとそうだった。

 ありがたいことに子宝には恵まれた。フローラは一年の大半を領地で過ごし、ヨアキムは一年の大体を都で過ごしていた。だから、フローラは殿下の乳母にはなれなかったし、子供たちは殿下のご学友に選ばれなかった。


「あなた、私の事を愛さないと仰ったではないですか」

「言っていないよ」

「いいえ、そんなはずは」

「僕は溺愛を出来ない、と言ったんだ。愛を育まない、とは言っていない」


 愛は生まれるものでも訪れるものでもなく。出会うものでもなく。

 育むものである。

 それは、どの詩人の言葉だったか。

 ヤーコンサーリ王国は、まだもう少し、滅びそうにない。

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