◆3


 初めて乗ったブルフォード公爵家の黒い馬車。俺の知っている馬車といったら茶色や白の馬車だが、黒い馬車ときた。金色の装飾がされていて、真ん中にはブルフォード公爵家のカッコいい家門が描かれている。だいぶ高級感があるな。さすが公爵位を持つお貴族様の馬車だ。


 中は思ったより広く乗りやすい。そして極めつけはこの椅子だ。このふわふわ感はたまらない。長時間座っていてもお尻が痛くならなそうだ。やはり金持ちはいいな。


 馬車に揺られつつ俺が向かう先。それは……



「困ります、ブルフォード公爵様」


「どうせ中にいるのだろう、ルアニスト侯爵は。なら通せ」


「ですが……」



 元婚約者の家であるルアニスト侯爵邸だ。とは言っても、元婚約者に会いに来たわけではない。


 だが、門の前で足止めされてはな。どうしたものか。と、考え込んでいたのだが……



「何よ、ダンテ」


「……」



 元婚約者のご登場だ。まさか出てくるとは思わなかった。新しい婚約者のいる皇城にでも行ってるのだと思っていたんだが……もしここにいたとしても数日前に婚約破棄をした間柄の為顔を合わせるのは避けるのが普通だ。だが出てきたという事は……



「今更謝りに来たところで、婚約なんて戻さないんだから」


「ルアニスト侯爵はいらっしゃいますか?」


「……は? お父様?」


「えぇ、ご用件がありましてね。急を要していますのでご連絡出来ず申し訳ない。出来れば、入れてもらえると嬉しいのですが」


「……」



 いきなり俺が態度を変えて敬語を使ってきたからか、疑っている……というよりかは珍しがっている、と言ったところか。でも、何やら嬉しそうにも見える。


 一体どんな心境なのかは分からないが、これはいけるのでは? と思ったらビンゴ。早く門を開けなさい、と衛兵に指示をしてきた。意外とすんなりいったな。



「別にアンタのためにやったんじゃないんだから。お父様のためにやったんだから」



 これは、よくあるツンデレ系女子というものなのだろうが、俺には全く関係ないな。さらっと流そう。


 何度か来たことのあるルアニスト侯爵邸は、いつも華やかだ。大きな庭園があって、他にも噴水に石像にと目に入る。一体誰の趣味でどれだけお金をかけたのやら。流石この国の名家、と言ったところだろうか。


 幼少期にダンテは母に連れられここに何度も訪れたことがある。母とルアニスト侯爵夫人の仲が良かったからだ。9年前に俺達の婚約の話が上がったのは、それが理由だ。そのまま成立し、今まで婚約関係を築いてきた。


 とはいえ、今はお二方どちらもこの世を去っているがな。


 ダンテのご両親は馬車の事故で帰らぬ人となり、その後、ルアニスト侯爵夫人は病に伏しその後この世を去った。婚約が成立し1年後の話だ。


 俺達の婚約がこのような結果となってしまった事をご両親達3人が聞けば、どう思うだろうな。


 元婚約者は俺を屋敷内に入れ、客間に案内した。周りの使用人達は、俺が来たことにだいぶ驚愕しているようだ。まぁ、どうせ婚約破棄の噂を聞いていることだろうし、その反応が正解だな。



「で? 何か言いたいことがあるようだけど、言ってみなさいよ」



 俺が座るソファーの、ローテーブルをはさんだ向こう側のソファーに座った元婚約者。怒っているていを見せたいのか腕組みをしてこちらをジト目で見てくる。とはいえ、俺はこの元婚約者には全く用がない。


 口を閉じ、周りにある本を眺めていたらしびれを切らしたのか元婚約者が何かを言おうとしていたが……ようやく来た。ルアニスト侯爵が。


 客間に入りすぐに俺に向けた表情で、俺を不審がっていることがうかがえる。まぁ、そうだろうな。何も言わずにいきなり訪問してきたんだから。


 とりあえず……強気でいこう。弱気でいったら足元をすくわれる。俺の斜め後ろにカーチェスがいてくれてるから心強い。


 ルアニスト侯爵は、娘である元婚約者の隣に腰を下ろした。



「連絡もせずに押しかけてしまって申し訳ありません」



 俺のこの一言に親子揃って驚愕しているようだ。まさか謝ってくるとは、とでも思っているのだろう。ダンテは、自分から他人に謝ったことなどないからな。



「今日は、侯爵に預かっていただいていたものを返していただきたいと思い来た次第です」


「預けたもの……?」



 侯爵が眉を動かした。預けたもの、の予想が付いたようだ。



「ブルフォード公爵領の帳簿と、シグネットリング、他ブルフォード公爵家に関するもの全てを返していただきたい」


「っ!?」


「えっ……?」



 俺のその言葉に、侯爵は顔を強張らせた。それもそうだ、ダンテは今までそういったものには全く興味を示さなかったのだから。どうせ婚約破棄しても取りに来ないだろうと高を括っていたのだろうが、残念だったな。


 ダンテの両親が亡くなった後、婚約者の父であるルアニスト侯爵にブルフォード公爵家の実権を握られてしまっていた。今から8年前の事だ。その時のダンテは17歳。この国では成人が20歳の為、当時のダンテはまだ未成年だった。


 だが、あろうことかダンテは、君はまだ若いから私が代理人になってあげようという侯爵の提案に、何も考えることなくその場でOKしてしまったのだ。


 普通に考えて、ブルフォードの者でない人物に実権を握らせるなんて事はあってはならない。法律的には問題ないのだが、なんせブルフォード家は貴族の中でも最高位である公爵家。その中でも皇族の血が流れている為他の公爵家よりも格上の家なのだ。


 ダンテの父親が亡くなったとあれば、未成年であっても嫡男のダンテが継がなければならないところだ。それなのに二つ返事であっさりとルアニスト侯爵に譲ってしまったのだ。お前ブルフォード公爵家の後継者だろ。アホか。と言いたいところである。


 ではダンテは何をしていたのだろうか、となるだろうが、ただ本を読んで毎日を退屈に過ごしているだけだった。そう、それだけ。とはいえ、酷い不眠症を患っているからというところもあるが。


 そういった事があったため、今日はそれを返してもらいに来たというわけだ。ダンテの記憶上、ルアニスト侯爵が簡単に、はいどうぞと返してもらえる事は期待しないがな。



「今朝、婚約破棄に関する書類を皇帝陛下に提出しましたから、もう侯爵とは何の関係もありません。ですから、返してもらうのは当然の事でしょう?」


「君は25とまだまだ若い。経験もないのだから私が代わりにしてやった方が領民達も幸せだろう」


「侯爵はお忘れですか。帝国憲法を」


「……」



 帝国憲法の中にある、領地管理に関する法律だ。ダンテは本ばかり読んでいた為色々と物知りだ。何の役にも立てていなかったのが残念なところではある。



「領地管理を当主ではなく、代理人に任せる事は可能です。その代理人は、本人の家族、または将来家族になると約束された者。そして、本人が相手を選んで頼んだ者が選択肢に入る。ですが、私はそれを望んでいません。これがどういう意味を持つのか、分かりますね」



 これは、返さなければ法律違反として国に訴えるという脅しだ。さっさと預かったものを返せ、と言っているようなものだな。



「……お前の両親が亡くなってからずっと、長い間私が代理人として勤めてきた。その恩を忘れたとは言わせないぞ」


「恩? どういう意味です?」



 そう言いつつ、口の端を釣り上げて足を組んだ。俺のこんな態度が気に入らなかったのか、侯爵は声を荒げた。



「この若造がっ!! 何もせずただ呆けていたくせに今さら何を言い出すかと思えばっ!! お前のような奴が領地管理を始めたところで失敗するのが目に見えているだろう!!」


「やってみなければ分からないでしょう。それとも、何か後ろめたいことがあるのですか?」


「そんなものっあるわけがないだろうっ!!」



 いや、俺は知ってるんだが。貴方のお隣に座ってらっしゃる元婚約者のおかげだが。



「侯爵、貴方は今紡績業ぼうせきぎょうに力を入れているようですね。今では国内で有名となるほどの名声を持ち、貴族の中で名を知らぬ者はほぼいない」


「それは今関係ないだろう」


「侯爵領の管理の他に、広大なブルフォード公爵領の管理まで担い多忙の事だというのに、ここまで急激に成果を出し今では業界を牛耳るほどの人気を誇っているのだから、秘訣でも教えてもらいたいくらいだ」


「っ……」



 俺は知っている。有り余るブルフォード公爵家の財産を横領し、それを資金としてどんどんつぎ込んだ事を。


 この異世界では、お金さえあれば大体は何でも出来てしまう。大金をつぎ込めばそれくらい簡単に出来るという事だ。まぁ使い方によるがな。


 ダンテが横領の件を知っていたのは、お前の娘がペラペラしすぎたせいだ。その情報を計算すれば、賢いダンテなら横領している事が簡単に分かってしまう。


 まっ、ダンテ本人は分かっていても面倒臭いからと右から左に流していたがな。


 数年前に侯爵が代理人となる際、契約書を国に提出している。その中には、公爵家の財産他諸々には私用で手を出さないという約束事があった。それをあっさりと侯爵は破ったのだから自業自得だ。



「さ、どうします?」


「っ……」


「それとも、私はこのまま皇城に向かった方がいいのかな?」


「……~~~~~っ」



 そして、血管が切れるのではないかと心配してしまうぐらいの興奮気味でこちらを睨みつけ、使用人達に持ってくるよう指示を出していた。さ、いっちょ上がりだ。



「帳簿が一冊足りませんよ」


「……持ってきなさい」


「は、はいっ」



 バレないとでも思ったか。アホだな。


 侯爵の隣に座っていた元婚約者は、何が何だか理解出来ておらず困惑しているような様子だった。俺としては彼女に用はない為黙っていてくれると助かる。



「これで全部ですね。では、私はこれで失礼します」



 さ、必要なものは手に入れたのだから、もうここに用はない。さっさと帰るとしよう。ブルフォード公爵家の財産を横領した大金には、目をつぶってやろう。お金などは湧き水のように湧いてくるのだから俺には関係ない。数年間代理人として管理してくれたお礼とでもしておこう。


 横領の件に関しては口には出さず、ソファーから腰を上げ客間のドアに向かった。侯爵が俺の名前を呼んだが、俺にとってはもう用がないため無視をした。


 普通ならこの屋敷の使用人がドアを開けるはずだが、誰も開けないためカーチェスが代わりに開け、俺達は部屋を出た。



「さっさと帰ろう」


「かしこまりました」


「待ってっ!! ダンテっ!!」



 俺の名を呼びつつ後ろから追ってきたのは俺の元婚約者だ。今度は何だ。もう疲れたから早く帰りたいんだが。



「どういう事よ、さっきのは!」


「婚約破棄したのだからもうあなた方とは関係ないでしょう。ただそれだけの事です」


「っ……そう、だけど……」



 彼女を残してその場を去った。ダンテの怖い睨み方を真似したから、萎縮している事だろう。


 それに、俺はそんなのに構っていられるほど暇じゃない。勘弁してくれ。


 とりあえず、ミッションはクリア。俺が乗ってきた馬車にさっさと乗り込んでルアニスト侯爵邸を後にしたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る