第四章 ふたりの日々 Two Souls, One Life 5

阿頼耶識あらやしき層からの切断処理を確認……承認)

 柔らかい感触。ついで匂いが戻ってきのを感じる。幻覚から覚めた護留はまだ悠理に抱かれて固定されたままだった。それどころかますます強く抱きしめられる。

「なんで――眞由美と〝あの人〟が、あんなに仲良く……」

「深刻になるのは構わないが、とりあえず離してくれないか」

 腕をタップしながら護留が控えめに言うと、悠理は慌てて外してソファの上で身を引いた。

「な、なんで護留さんを抱きしめてたんですか私!?」

「真剣に僕の方が聞きたい」

 護留はようやく開放されて大きく息を吐く。つとめて悠理の匂いを意識しまいと大袈裟な深呼吸をした。

「この幻覚は、いったいなんなのでしょうか」

 そんな護留の様子にも気付かず、悠理はまだ血の気の戻らぬ顔で問う。視線の焦点はあっておらず、そこに見えない誰かを求めているようでもある。

「それも――僕が聞きたいくらいだ。僕は、僕に関して何も知らない。さっきの花束って人は、誰なんだ?」

「――母です」

「え?」

「私の――母親です。五年前――あることがきっかけで病床に就き、以来ずっと意識が戻りませんが……。あれは確かに、私の実の母親です。

 天宮花束。

 憎むことすら出来ない、私の仇」

 悠理は、腐った血を肺腑から絞り出すような声で答えた。

 護留は混乱した。なぜなら以前に見た幻では、

「君の母親は――悠灯ゆうひって名前だろう?」

「ゆう……ひ? さっきの幻でも出てきた名前ですね。でも違いますよ。天宮花束――それが私の母の名です。顔も少し若かったですが間違いなく母でした」

「いや、だけど――」

 護留は少しためらってから、以前に死体漁りをした時に見た幻覚の内容や護留自身のことを告げることにした。お互いの疑問を解消するためには情報の共有は積極的にすべきだと判断したからだ。

 頭の中声。幻覚。悠理も自分と同じく『Azrael』と呼ばれる存在であること。

 今度は悠理が混乱する番だった。

「ちょ、ちょっと待ってください。今のお話の通りですと、その――私が死んでませんか?」

「ああ。でも甦った。光の胎児として――天宮理生、君の父親は『天使』と呼んでいたな。

 死んで、甦る。ここだけ抜き出すと僕にも似ている。『Azrael』ってやつの特性なんじゃないか? 『プロジェクト・アズライール』がどういう物か知らないが……君を参考に僕が造られたんじゃないかって気がする」

「……私も、私の知り得る情報をお話した方がいいでしょうね」

 そして悠理も、彼女がこの五年間で調べた知識を語った。

 眞由美ともう一人の〝私じぶん〟の死、天宮、空宮、都市救済、『プロジェクト・アズライール』――現実離れした話ではあるが、二人ともリアリティ等とはかけ離れた体験をしてきた者同士だ。護留は質問も疑問も挟まずに黙って聞いていた。

「五年前、か」

 悠理からの詳しい話を聞き終えて、護留は呟いた。

「ええ。たぶん、最初のそもそもは15年前――『プロジェクト・ライラ』と呼ばれる都市救済計画の失敗から。そして『プロジェクト・アズライール』が本格的に始動し、父が動き始めたのが五年前です」

 情報を反芻し、整理しながら悠理は喋る。

「父と母の仲は冷え切っていました。それも――本当の母が実験で死に、体裁を繕うための再婚だったと考えれば納得できます。それにしても、眞由美を殺した側の母が、昔はあんなに仲良くしてたなんて……」

「その花束って人は、なんで倒れてしまったんだ?」

「詳しくは分かりません。ただ、思い返せば母は昔から私のことをどこか恐れていたように思えます。唯一笑顔を向けてくれたのが、父が私の『機能障害を正す』と言った時でした。ただ、それは多分上手くいかなかった――そしてそれは母にとってとても不都合で、怖ろしいことで……それで一切のチャンネルを閉じてしまったのだと思います」

「その機能障害っていうのも、『Azrael』絡みか」

「きっとそうです。私が『Azrael-01』なのか、もう一人の自分わたしがそうだったのかは分かりませんが」

「引瀬眞由美は自分は人質だと言っていたな。『ライラ』失敗の原因は分からないけど、引瀬由美子博士に対する制裁とも考えられる。君と眞由美を近づけたのも、まとめて監視ができるくらいの理由じゃないか」

 悠理は顔を曇らせる。

「……悪い」

「いえ、いいんです。恐らくは、それが真相でしょうから」

「それにしても、君と出会ってから幻を見る機会が増えた気がする――と言ってもまだ二度目だが、前はそんなに頻繁ではなかったんだ。せいぜい〝声〟が聴こえるくらいで」

「『Azrael』の『01』と『02』が揃ったからではないでしょうか? 以前あなたが幻覚を見ていた状況は、お聞きしたところ特定の〝キーワード〟――例えば『母』とか――となんらかのエネルギー源、死者の残留魄はくや擬魂の残滓が揃った時に見えていたように思えます。

 きっかけとなるキーワードなら私たちはたくさん抱えているようですし――エネルギー源も特殊な擬魂であるお互いの『Azrael』があります。

 フライヤーとさっきの状況を鑑みるに、恐らく――私たち二人がその……み、密着することにより共振が起こり、幻が見えるのではないかと推察できます」

「……君は、余り動揺しないな。自分が人間以外の〝なにか〟――『Azrael-01』だと判明したのに」

「ああ――それは幼い頃から私の中にはもう一人の〝私じぶん〟が居ましたから。自分は他人とは違うものだと認識しながら生きてきました。それに――」

 悠理は護留の目をしっかりと見据え、気丈に笑う。

「今は護留さん、同じ存在である、あなたがいますから」

「……言ってて恥ずかしくならないか、それ」

「んなっ! どうしてこのタイミングで茶化すんですか!? 今はそういう流れじゃないでしょう!」

「流れと言われても……。とにかく君は立派だな。僕なんて、自分が人間じゃないということに悩み続けた五年間だったよ」

「私には――五年前までは友達がいましたから。護留さんは、友達を作ろうとは思わなかったんですか?」

「……そんなこと考える余裕はなかったよ――いや違うな。天宮に対する憎しみと、君に対する執着で他は何も見えなかった、ってのが正解だ」

「わ、私に対する執着ですか?」

「ああ、これは言ってなかったか。五年前に僕が目覚めて持っていたのはそれだけだった」

「……それも、『Azrael』がそうさせているのでしょうか」

「かもしれない。だとしたら僕はまるであやつり人形だな」

「そ、そんなことは……」

 ないです、という言葉尻は口の中で消えた。昨日出会ったばかりの少年のこれまでの人生を否定するほどの権利は、当然自分にはない。だが護留は少し笑って、

「すまない。今のは少し自嘲が過ぎた。まあ例え僕が何かの役割ロールを振られただけの人形でも、その役割を全うしようって意志は少なくとも僕のものだ。

 そして、それを命じてくるこの〝声〟――『Azrael』のことについて、僕はもっと知らなくちゃいけない」

「それを知りたいのは私も同じです。先程の過去視は私が打ち切ってしまいましたが――私と眞由美になにが起こったのか、そして護留さんの昔の記憶を取り戻すためには積極的に見る必要があります。

 もう一度、試してみますか?」

 差し伸べられた悠理の手を見つめ、護留は曖昧に首を振った。

「自分からまた『抱きしめて』くれと言ってるようなものだぞ、それ」

「~~っ! ですから! なぜ! このタイミングで冷やかすんです! 私は真面目にですね――」

「いや、すまない。でも、まだ君の顔色が悪いままだから」

 悠理ははっとして自分の頬に手を当てる。冷たい汗に反して頬は熱い。幻覚を見ていた最中のような吐き気はもうなくなったが、心拍数もいまだ高いままだ。身体制御用ナノマシン溶液の手持ちは、当然無い。

「あ、その。こちらこそ、気を遣っていただきすみません」

 素直に謝る悠理に護留はバツの悪さを覚え、少し視線を逸らす。

 確かに彼女の体調を心配したのもあるが――不可抗力以外で悠理と抱き合う決心がつかないのが実のところ本音である。

 ――バレてないよな?

「確かに抱き合うのが恥ずかしいですよね、分かります」

 バレていた。思わず視線を戻すと、悠理は最高のカウンターを決めた格闘家みたいな笑顔を浮かべてこちらを見ていた。

「まあ私は誰かさんと違って? 真実を知るという大義のためには抱き合う覚悟を持ち合わせていてあいたぁ! 叩くこと無いじゃないですか!!」

「君が五年間社内で味方が居なかった理由がなんとなく分かる気がしてきたぞ」

 仕返しにぶんぶんと振り回される悠理の腕を避けながら護留は言った。

「こっちのセリフです!」

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