第四章 ふたりの日々 Two Souls, One Life 4

 気が付くと、護留は小綺麗なオフィスの中に佇んでいた。

 そう、佇んでいたのだ。引瀬由美子の主観でもなく、ただ客観的に眺めるでもなく――能動的に動ける体を得て、護留はそこに存在していた。

・――昨日の、『完全起動』とやらの影響なのか、これは?――・

・――やはりあなたも来たんですね、護留さん――・

 振り返ると、そこには悠理がいた。

・――あれ? あまり驚かれないんですね――・

 正直、予想はついていた。昨日の〝声〟によれば悠理こそは『Azrael-01』、護留と恐らくは同種の存在なのだから。こうやって幻を共に見るのもおかしくはないだろう。思いついて、質問してみる。

・――ここに来る時、君にも?――・

 敢えてぼかして尋ねたが、悠理ははっきりと頷いた。

・――はい。阿頼耶識あらやしき層へアクセスすると聴こえました――・

 想像していた通りの答えだったが、続く言葉は護留の想像を越えていた。

・――阿頼耶識層は、ALICEネットの最上位領域です。澄崎市の全データが格納されている場所で、失効テクノロジーはおろか発散した技術すら喪われずにここにはあるとまことしやかに言われています。公社にいた時の私の権限では到底アクセス不可能だったエリアです――・

・――ALICEネット? ここがか?――・

・――間違いありません。今こうして行っている会話もALICEネットを介した共時性通信ですし、私の姿も魄体アバターになっています――・

 言われてみれば、悠理は先ほどまでの黒いドレス姿でなく、白衣のような公社の制服を着ている。胸には天宮の社章が刻まれたピンバッジ。周囲にはフワフワとホログラムの御使い達が浮かび揃って喇叭ラッパを吹いていた。

・――僕はALICEネットが使えない……はずだ――・

 言い淀む。悠理の乗っていたフライヤーを開いた時のことを思い出したからだ。いや、この幻がALICEネットに接続して見えているものだとしたら、護留は実はずっと以前から使えていたことになる。

・――私も接続するのは初めてですが、ここに繋がるためにはエナンチオドロミー処置と呼ばれる施術をする必要があるんです。その処置を行うと一般領域――末那識まなしき層と呼ばれる部分からは不可逆的に連結が解かれ、接続が不可能になります。処置されていない私がここに来られているのは、ALICEネットとの接続を切っているからかもしれませんし、多分――いえきっと、あなたと一緒にいるからだと思います――・

 悠理の言うことが正しければ、護留がALICEネットに接続できなかった理由も判明する。エナンチオドロミー処置なるものなど受けた記憶はないが――五年より前に受けていたのかもしれない。

・――あっ!――・

 悠理が声を上げ、指を差す。そちらに視線を向けると、オフィスのドアが開き、女性が二人入ってくるところだった。見つかるかと思い咄嗟に身を隠そうとするが、こちらを完全に無視して二人は会話を始めた。

・――動き回れるだけで、昨日の幻とそんなに変わらないようですね。こちらからの介入は無理みたいです――・

・――ならとりあえず、静かに見るとするか――・

「いやーついにあんたたちも結婚とはおめでたいわね。しかも哉絵かなえが妊娠までしてるなんて――雄輝ゆうきとあんたは見ててずっとヤキモキさせられてたけれど、やることはやってたのねぇ」

「ちょっ、由美子先輩、声、声落としてください!」

 女性のうち一人は、もはや護留にとっては馴染み深い存在である引瀬由美子。もう一人、哉絵と呼ばれた女性は――微かに記憶にある。以前護留が少年の死体漁りハイエナをしていた時に見た幻で、最期に扉の向こうから駆けてきた三人のうちの一人だった。

「もう、先輩おばさん臭いですよ! 前はもっとこう、クールビューティって感じだったのに……」

「ほほう? 哉絵も言うようになったわね? まあでも確かに私も自分で歳を取ったなーって思う時は増えたわあ」

「いえ、自分で言っておいてなんですが、由美子先輩はまだ充分お若いと思いますけど……一昨日も徹夜でみんなの実験データをまとめてくださいましたし。助かりました」

「あーあれはいいのよ。理生りおの大バカ野郎があんたたちのデータを私に渡すのを一週間も忘れてたのが悪いんだから。これから一週間あいつはみんなのドレイだから。好きにコキ使っていいわよ」

「いえ、それは悠灯ゆうひ先輩に悪いんで……遠慮しときます」

「ていうかそう、徹夜よ! まだその疲れが抜けきってないのよ! 若い頃は二徹三徹もできたのに、これが老いかーって実感するわあ」

「疲れてるのなら、第壱実験室の冷蔵庫に悠灯先輩お手製の栄養ドリンク剤がありますよ」

「本当? じゃあ後で頂くとしましょうか。先輩のは凄く良く効くからなあ。ただ成分を聞いても笑って誤魔化されるのがコワイんだけど……」

「あはは……」

「そう言えば、子供のもう名前は考えてあるの?」

「いえ、まだですけど、先輩達に倣って眞由美まゆみちゃんみたいに私たちの名前から一字ずつあげようかなと」

 平和で楽しそうな会話。今まで護留が見てきた幻――そのほとんどは断片的な物だったが――からは感じられなかった雰囲気に戸惑いを覚える。隣の悠理は真剣に見入っていた。

 その時、オフィスの扉が騒々しく開け放たれると、嬌声と共に子供が一人駆け込んできた。

・――あれは……――・

 悠理が思わず駆け寄った。護留も一歩遅れて後を追う。

 新たにやって来たのは、五歳前後の女の子だった。だが、どことなく見覚えがある。

・――眞由美……――・

 悠理が震える声で呼ぶ。そう、昨日の幻で見た引瀬由美子の娘だった。

 悠理は感極まった様子で肩を震わせている。一体どういう関係だったのかは知らないが、大切な人だったのだろうということは話ぶりからは護留にも分かっていた。

 だが悠理は何やら「はぅっ」と吐息を漏らし、

・――か……――・

・――か? どうした大丈夫か――・

・――かわいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!――・

 力の限り叫んだ。

・――かわいい! かわいい! かわいい! え、うそこんなに小さい眞由美とか! すごいちょこまか動いてるし! あー抱きしめたいよーこねくり回したいよー――・

・――お、おい、とりあえず落ち着け……――・

 眞由美を何度も捕まえようとする悠理を制止し、それ以上の凶行をとりあえずはやめさせる。

 悠理は我に返ったのか、深呼吸をし、

・――……お見苦しいところをお見せしてすみませんでした。以降気をつけます――・

・――本当にな――・

 半眼でめつける護留から目を逸し、悠理はアバターに概念上の汗を垂らしながら幻のほうに視線を固定する。

「おかーさんおかーさん! まゆみがここにかくれたこと言わないでね!」

「はいはい。誰とかくれんぼしてるのかな、眞由美は?」

「えへへーあのねー花束はなたばおねーちゃん!」

・――えっ……――・

 眞由美が緩みっぱなしだった顔を一気に青褪めさせた。表情すら消え失せていく。

・――どうした。花束って名前に心当たりが?――・

・――はい、それは……――・

 カーテンの後ろに眞由美が隠れると同時に、またもやドアが開き笑顔の女性が入室してきた。

「まーゆーみちゃん! って、あら、由美子先輩と哉絵、ここにいたの?」

「プロジェクトも大詰めだからねー。たまにはこうしてのんびりしないと。あんたはなにしにきたの、花束」

「ああ、眞由美ちゃんとかくれんぼしてたんですよ。来ませんでした?」

「んー? さあ見なかったなあ。哉絵は?」

「私も見てませんね」

 二人がそう答えると、カーテンからくすくすと笑い声。花束はにっと笑うとカーテンを大げさにめくり上げた。

「きゃーっ」

 嬉しそうに叫ぶ眞由美。それを見ながら悠理はついに口元を抑え床にうずくまってしまった。

・――おい、大丈夫か?――・

・――すみません、これ以上は……駄目みたいです――・

 悠理のアバターが揺らいだかと思うと、辺りの景色も薄らいでいった。

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