第四章 ふたりの日々 Two Souls, One Life 3
食後。あまりたくさん食べることはできなかったが(顎が疲れる!)、それでも困憊の窮みにあった体に滋養の補給は殊の外効いた。悠理は体重を預けると沈みっ放しになる底なし沼のようなソファに座り、波状に押し寄せてくる睡魔と戦っていた。
眠るわけにはいかない。
ここで眠るのはだけは、いけない。
「眠りたければ好きにして構わない。僕は見張りをしているから」
護留はこんなことを言っているが――しかしさすがに、ほぼ初対面の異性の前で眠るのは女の子としていかがなものだろうかいやここにきた時も眠ってしまったけれどあれは不可抗力みたいなものでというかお祭りが愉しみすぎて前日ろくに眠れなかったからだし市長さんの話は長くてたいくつだったしねむるのはいけないのにさっきも寝たばっかりだけどごめんやっぱりねむいちょっとめをつぶるだけだから……
すー。
「……寝つきがいいな」
考えてみれば当たり前だ。人生で一度も家の外に出たことがなかった少女が、爆破テロ直後の凄惨な現場や、銃を持った兵士たちに追われたりしたら疲れもするだろう。雨の中をそのまま走り抜けてきたから体力の消耗だって相当なはずだ。弱音を吐かないだけでも称賛物かもしれない。
出入り口やその周辺にハリネズミ(かつて陸にいた生物)のように仕掛けてあるセンサーの数値が送られてくる手元の計器をちらりと見やる。異状無し。
ここは廃棄区画の地下100ートルにある地下居住区の廃墟だ。はるか昔に大規模なナノマシンの暴走事故が起こり封印されたらしい。それでもナノマシン汚染の少ない地域にわずかに人は住んでいる。護留がここに住み着いてから四年と半年、地上ではあれほど傍若無人に振舞っている市警軍が侵入してきたことは、一度もない。
もし当局が護留たちが地下に逃げ込んだという手掛かりを掴んでも、幾つもの階層に分かれ、地上の空間より遥かに広いここを全て探索するのには相当な人手と時間がかかるだろう。
悠理暗殺のためにあそこまでやった天宮が相手だと、確実とは言えない。だが少なくとも即座に発見される恐れは低い。
「しかし、これから先どうしたものかな……」
悠理の言うことが事実ならば、確かに天宮との交渉など無駄だろう。悠理がこちらにいれば、空宮やその他の大手企業ならば取引に応じるかも知れない。だが、
「――気が、進まないんだよな……」
頭を掻き毟り、ため息をつく。そういう問題でないことは無論理解していた。しかしフライヤーの中で聞いた、〝『Azrael-01』の守護を第一優先事項として行動せよ〟という頭の中の声に従わなければという気持ちがどんどん湧き起こってくる。
護留は彼女に対して既に親しみさえ感じている自分を発見して呆れ、苦笑する。
頭の中の声に従うなんて、まるで
いや、悠理なら――天宮の当主であり、『Aarael-01』であるらしい――彼女なら、あるいはわかってくれるのかもしれない。
当面は悠理から情報を聴取していく必要があるだろう。それが終わってからは――それから考えよう。
ソファの正面に置いた錆びついたパイプ椅子に深くもたれる。室内にある家具らしい調度はこの椅子と今悠理が寝ているソファ、そして作業台としても使っている木製の机くらい。流し台は部屋の隅で古道具の地層に埋もれていた。
生活臭が酷く乏しい空間。それはこの五年の護留の生活を象徴するようだった。
暇なので悠理の寝顔をなんとなく眺める。口からよだれを垂らして熟睡している。
……果たしてちゃんとした情報を彼女から得ることができるのだろうか。
「眞由美……」
そこはかとない懸念を護留が浮かべた時、悠理が寝言を呟いた。先ほどまでは日向で眠る猫のような顔をしていたのが、苦悶に満ちた表情に変わっている。
今にも泣きそうな顔をしているにも関わらず、涙は溢れず目元は乾いたまま。まるで、夢の中ですら泣くのを我慢しているかのように。
「大人なんだか、子供なんだか……」
フライヤーの中で見せた威厳、先の会話での稚気。天宮悠理がどういう人間なのか良くわからない。五年以上追い求め、様々な情報を調べてきたが、自分は本当に彼女のことはなにも知らないのだなと改めて気づく。
「――もまる」
「えっ?」
唐突に名前を呼ばれ、焦る。続けて不明瞭な寝言。思わず聞き取ろうと護留は身を乗り出す。
「――っておい!?」
そこに狙い澄ましていたかのような動きで、突然悠理がガバっと護留のことを抱きすくめた。
地下は地上とは違い、人の体表面の老廃物や増えすぎた常在菌を捕食分解する善玉ナノマシンがいない。そのため、ほとんど嗅ぐ機会のない他人の――それも年頃の女の子の体臭が鼻孔いっぱいに広がる。
細い腕のどこにそんな力があるのか護留が身を捻ろうとしてもびくともせずどうにか外そうと足掻いていると、
(阿頼耶識層へのアクセスを確認……承認)
頭の中で声。同時に周囲の景色が捲りあげられていく。
「はあ!? なんでこんな時に! ちょっと待て、おい!」
幻覚が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます