第四章 ふたりの日々 Two Souls, One Life 6

西暦2199年7月4日午後3時00分

澄崎市南西ブロック海面下居住区内、第三階層中央通り、〝物乞い市場〟


「護留さん――あなたは無計画さが目立ちます」

 二人で市場へ向かいながら、悠理は断言した。護留は言い返しもせず、悠理より半歩下がって周囲を警戒しつつ歩く。

「私の誘拐の状況が、聞けば計画外の出来事が重なった結果じゃないですか。それで私を隠れ家にまで連れてきて――備蓄の食料が切れたなんて。まさか二日連続で有機発電機をお出しされて、しかもそれが最後の食料なんて思ってもみませんでしたよ。武器を買うより先に食べ物を買ってください」

「君の分の食料まで気が回らなかったんだよ。普通の人間はALICEネットからエネルギー供給されてるから」

「確かにALICEネットからのエネルギー供給は自動に行われますが、公社がその気になれば供給を閉じることもできますし、供給した相手の場所の特定も可能です。だから私はフライヤーの中で即座にネットから切断しました。……もしかして、私がこの処置してなければ、今頃もう市警軍に踏み込まれてたんじゃないですか?」

「……かもしれない」

「はぁ……。護留さん、本当にあなたは天宮が――父が私を殺すために雇った凄腕暗殺者なんですか?」

「凄腕暗殺者なんて自称した覚えはないぞ僕は。多分、『Azrael-02』だから選ばれたんだろう」

「ああ、なるほど。でもそれ以前には護留さんはその――悪いことをして、お金を稼いでたんですよね? そんなドジっ子で大丈夫だったんですか今まで」

「一昨日の意趣返しのつもりか、その言い草は……。別に悪いことなんてしてない。死体漁りハイエナとか、紹介屋経由で受けた市警軍の輸送車襲撃の仕事とか――」

「輸送車襲撃は充分悪事ですよ!?」

 複雑に入り組んだ路地。辺りはほぼ闇で、護留の持つ高輝度ライトが無ければすぐに道に迷ってしまいそうだ。

 地下居住区は90年前から公式上は無人――どころかその存在すら抹消されている。だが実際は護留のように、地上の廃棄区画すら追われた人間がナノマシン汚染の比較的少ないエリアに点在して住んでいた。複数階層が存在し広大な延べ面積のため人口密度は低いが、総人数はそれなりの数がいるらしい。

 土地の少ない地表は基本的に高層建築がそのほとんどを占めていたが、地下居住区は高くても五階程度のマンションがあるだけだ。天井を見上げると、かつては機能していたであろう巨大な太陽光採光パネルが、増光素子が増幅させた街灯の微かな明かりの中に浮かんでいる。

 護留のねぐらがある第二階層やこの第三階層は比較的人口が多く、代々の住人の努力によって除染も進められてきたためガスマスクなしでも出歩けるらしい。これ以上深層になるとナノマシンの影響で奇形化した動植物や元人間が徘徊する魔境が広がっているとのことだが、誰も確かめたわけではない噂だ。

 二人が歩く左右には民家やマンションが立ち並ぶが、当然灯りはついていない。しかし悠理は時々家の中から強い視線を感じ取り、身を硬くした。護留曰くここの住人たちは相互不干渉を徹底しており自治体や自警団なども存在しないとのことだったが――何度か見えない不審の眼を向けられるうち、知らず護留の手を握りしめていた。護留も、握り返す。

 市警軍はもちろん、犯罪組織シンジケートや企業も進出していない、文字通りの治外法権世界。地表でも金品のため、あるいは快楽のために殺人は頻繁に行われていたが――ここではむしろそのような理由で殺されることは稀であるという。

 今目指しているのは〝物乞い市場〟と呼ばれるこの地下居住区唯一のマーケットだ。

 住民が回収してきた地上のゴミや、地下で長年放置されている品物を辛うじて稼働するリサイクル・プラントを用いて再利用し、売買が成されている。食料も故障寸前の小規模なバイオーム・プラント数基から創りだされており、地下住人のか細い生活基盤を支えていた。

「着いた、ここだ」

 護留に言われなければそのまま通り過ぎていたであろう、それくらい今までの景色と違いがない場所だった。だが言われてみれば、灯りがわずかに多く、炊き出しの煙がところどころで上がっている。

「あの――そう言えばここでお金って使えるんでしょうか?」

「基本は物々交換だけど、エネルギー源や生体素材としての価値もあるALCアルク紙幣なら使用可能だ」

「ALCは擬魂が入っているのは知っていましたけど、素材としても使えたんですね」

「造幣も君の会社が担っているはずなんだが」

 護留のツッコミに、悠理は目線を逸らしながら答える。

「……私はお金って普段使いませんから」

「そういう問題じゃないだろう」

 食料品店を探しながら歩く。ここに来るまでは誰ともすれ違わなかったが、市場だけあってかぽつりぽつりと人を見かける。だがそのほとんどはあらぬ方向を見つめぶつぶつと呟いていたり、上半身を極端に曲げて歩いていたり――まともそうな人間は一人としていない。

「地下住人のほとんどは、ゾンビなんだ。精神や魂に著しい損傷を負って地上にいられなくなった人間の、吹き溜まりなんだよここは」

 悠理も知識としては地下居住区やゾンビのことは知っていた。だが実際に目にするのは当然初めてだったし、ましてや澄崎市の足元にこのような世界が広がっていることは想像出来なかった。

 自分は〝内〟と〝外〟と二つに世界を分けて考えていたが――その〝外〟にすらこうやって別の世界が広がっている。

 五年前に立てた誓いは無駄だとは思いたくないが、なんだか自分はずいぶんと矮小なことをしていたのではないかと、少し気恥ずかしくなった。

「僕もゾンビなのかと昔は思っていたが、どうもそうでないらしい。だからねぐらにはほとんど寝に帰るだけで基本は地上で暮らしていた」

 居場所を逐われた者達の避難所ヘイヴンでも疎外感を覚える生活。徹底的に世界の外に立つ者であると思い知らされる日々。

 でも、

「今は、私がいますよ」

 悠理がぽつりと漏らした言葉に、護留は一昨日のように茶化したりはせず、悠理の手を握る力を強めることで答えた。

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