第一章 不正な生、負債な死 Working For Death 8

西暦2199年6月15日午前11時55分澄崎市極北ブロック第2商業区、5番街H1號通り


 ねぐらから抜け出した護留は、足早に移動していた。流石に連日で襲われるとは考えたくないが、残念ながら再整備区画にはその手の馬鹿はいくらでもいる。特に大量の現金を持ち歩いている今は厄介だ。意識して速度を調節しながら極北ブロックへと向かう。

 再整備区画を抜けると、途端に街の様子は一変する。

 商業区。現在の澄崎市では数少ない〝金を出せば物が買える〟場所だ。故に人通りも多い。ここ最近は100周年祭の準備もあり、なおさらだ。人工声帯が叫ぶ宣伝音声、食事を基本的に必要としない澄崎では珍しいレストランから漂う匂い、空中のナノマシンが凝集してスクリーンとなり宙空に様々な映像を投影している。猥雑だが建築物はきちんと等間隔で立ち並び、保守点検もされていた。

 しつこい露天の呼び込みを全て無視して幾つかの通りを抜けると、今度は死体置き場モルグのような静けさに満ちた場所に出た。店や屋台を持つものたちの利権が複雑に絡みあったここは、犯罪組織シンジケート同士、あるいは市警軍との幾度とない抗争の果てに、緩衝区として定められたのだ。まともな頭の持ち主ならまず立ち入らない。いかれた奴が踏み込んでも定期巡回している特邏に射殺されるか、犯罪組織が歩哨代わりに放っている戦闘用に遺伝子デザインされた知性犬に噛み殺されるかの二択を迫られる。

 故にその両方からお目こぼしをもらっているものや、その両方を全く意に介さないものであれば、ここは死体置き場程度には快適な場所なのだった。

 護留は遠目にこちらを窺うだけの大型知性犬を無視し、元スーパーマーケットの建物に踏み入っていく。ここの二階が、紹介屋己條きじょうの住居兼事務所だ。

「依頼が三つ入っている」

 埃と合成コーヒーの匂いがする事務所に入った途端、こちらを見向きもせずに己條は言った。

「お前さん向きの物は一つもないがな。話だけでも聞くか、引瀬」

 事務所内は薄暗く、澄崎では希少な大量の紙の書類や書籍がところ構わずうず高く積み上げられている。本の密度が比較的薄い場所で、厳しい顔つきをした小太りの男が器用に古椅子を傾がせながら何かを読み耽っていた。

「いや結構だ」

 護留が断りを入れると己條はようやく紙束を眺めるのを止めてこちらを向いた。紙束は新聞紙だ。ALICEネットが市民に送り届ける各種ニュースをそこに再構成するためのスクリーンであり、大抵の人間はデータグラスや量子コンピュータを使う。だが己條は妙に古拙趣味なところがあり、わざわざ100年以上前の新聞紙の紙質まで再現した電子ペーパーを愛用していた。

「じゃあ仕事の持ち込みか。前にも言ったと思うが報酬は全額即金前払いだ。もちろん手数料分上乗せでな。手の空いている奴がいればすぐにでもそいつに紹介するが、内容にもよるぞ」

「100周年祭の市警軍の警備データが欲しい。出来れば天宮系列の警備会社のものもだ」

 屑代が置いていった有機ディスクを持ち帰って検分した結果、それは今護留が今依頼した内容そのものが入っていた。だがそのまま鵜呑みにするには危険すぎる。別ルートから入手したデータと付きあわせ比較するためにここに来た。

「市警軍に、それに天宮か。ちと厄介だな、最近そっちの仕事は全部お前さんが受けちまってたから、やり手不足なんだ。ま、そもそもやりたがる奴が少ないからバランス悪く引瀬にばかり回してた訳だが」

 市警軍、犯罪組織、市民を問わず持ち込まれた裏や表の仕事を他の者に紹介し、報酬から手数料を取る。紹介屋とは簡単に言ってしまえばそれだけの仕事だが、どの組織からも目を付けられずに商売が出来ているのは、仕事の割り振り方のバランスや、持ち込まれる仕事から各勢力の情報に精通し、更にそれを外部に漏らさない己條の口の固さが一目置かれているからだ。

 天宮ともある程度関わりを持ち、なおかつ取り込まれてはいない人物。有能で秘密も漏らさない。護留の人脈の中ではこの男以外いなかった。

「ならちょうどいい。これは己條、あんたに依頼したい」

 己條は応えずただ眉目を僅かに開いた。

「言っておくが俺は高いぞ」

「金ならある。そして依頼主として警告しておくと、今回の件はかなり危険だ」

「危険じゃねえ依頼なんて誰も紹介屋に持ち込まねえよ」

 肩で笑って己條は傍らのすっかり冷めた合成コーヒーを飲み干した。

「下手を打てばあんたも大逆罪に問われるかも知れない」

 護留は敢えて踏み込んで発言した。今まで護留が己條のところで受けた仕事はそのほとんどが反天宮活動に関わるものだ。依頼の内容や今の発言とも結びつければ、護留が何をやろうとしているか察しはつくだろう。

「――今のは聞こえなかったことにしておく。最近耳が歳のせいか遠いんだ。依頼人の警告を聞き逃したなんてプロ失格だし、今日一日の分の人格バックアップも破棄だな」

 ALICEネットに保存される人格のバックアップは、市民の権利であると同時に、義務でもある。例え自分の物であってもそれを損ねたり改変したり、または申請無しのアップロードの故意の停止は重罪だ。

 市の法律ではバックアップされた人格も、元の人格と同等の権利を有した『人』であり、故にそれらを管理する市当局や天宮であっても勝手に利用されることは許されない、とされる。だが昨日屑代が言っていた通り、そんなものは表向きの話だ。そもそもALICEネットに繋がっていない護留は問題ないが、己條がここでの会話ごとバックアップを上げたら事の露見はすぐだろう。

「……感謝する。それと今の依頼とは別に、いつものところから装備品を仕入れてくれないか」

 護留が渡したメモを見て、流石に己條がうめいた。

「戦争でも始めるつもりか? これだけの量の武器、馴染みのルートだけじゃ手が回らんぜ」

「いくら使っても構わない。これは必要経費と、依頼料だ」

 手にしていたカバンを開ける。中には屑代から前金として受け取ったうちの100万ALCが入っていた。己條はその中から数枚抜き取るとキャッシュリーダーに食わせる。しばらく咀嚼音が続いたのち、ピッと電子音が鳴った。

「新札か、活きもいいな。いいだろう。期限は?」

「祭りの3日前までには装備一式と情報を届けて欲しい。場所は西南ブロックの廃棄区画、極南ブロックからの入り口付近で一番背の高いビルの屋上だ」

「了解だ。久しぶりの直接指名だからな、きっちりやって終わったらこの金で保養区の温泉にでも行くさ」

 そう言って早速データグラスを掛け量子コンピュータに向かう己條を後に、事務所を辞した。

 元よりそのつもりなどないが、これで引き返すことはできない。現場の下見、逃走経路の確保。まだやることは、やっておくべきことは山ほどある。

 商業区の喧騒を足早に抜ける途中、ビラを押し付けられた。トップに不鮮明な画像。恐らくはかなり遠目から捉えた天宮悠理の写真だ。その下に七色に変色するフォントで『当主継承記念出血大サービスセール実施中!』と書いてあった。店は違法デミバイオジャンク屋らしく、生々しい義手や人工内臓の画像に一々『当主継承記念特価!』と注釈が添えられており苦笑を誘う。

 誰もが、彼女を見たがっている。

 誰もが、彼女のことで浮かれている。

 だけど、

「君は、何をしたがっている。君は、何を思っている――」

 雑踏に掻き消されたその護留の疑問の答えは、祭りの日に明らかになる。

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