第一章 不正な生、負債な死 Working For Death 7

 護留の受諾を得た瞬間、自らの情念に飲まれている護留では気づけない程の刹那、屑代はわずかに――かなしそうな顔をした。

 だがそれが表情として固着することはなく、すぐに仮面のような張り付いた笑みを浮かべる。

「感謝いたします。我々は助力を惜しみませんよ。足りないモノがあれば気軽に声をお掛けください。これはあなたと我々との信頼の証です」

 そう言って護留に写真と有機ディスクを手渡す。

「……情報は貰うが、お前たちの協力はいらない。僕の方で人材も機材も用意するから、依頼達成後まで二度と姿を現すな」

「それがお望みならば、もちろんそうさせていただきます――それでは、失礼いたします」

 舞台から下りる役者のような大仰な礼をすると、屑代は近くにあった廃ビルの中にすたすたと入っていった。

 試しに後を追ってみるが、出入り口のない閉鎖されたエントランスホールに屑代の姿はなく、かわりにトランクが一つぽつんと置かれていた。

 注意深く調べ、開けてみると中には前金の150万ALCが入っていた。1枚抜き取ってキャッシュリーダーに食わせてみれば、使用履歴が白紙の新札だった。

 どこまでも芝居がかった男であった。信用など欠片でも抱ける訳がない。だがそんな些末事など今はどうでもよかった。

 天宮悠理。

 やはり消えてなどいなかった。その名を忘れたことなど片時もない。『Azrael-02』の起動と共に、過去と名前を失くした護留にとって唯一依って縋るべきものであり、そして奪い取るべきものだった。

「あは、」

 堪え切れず、笑いが出た。酷く陽気で清々しい、底抜けに明るい声だった。

「ははは、あははははは――そうか、」

 笑いに呼応するかのように、雨がその勢いを増した。

「やっと、できるんだ」

 助力を惜しまないという屑代の言葉は、端から当てにしていなかった。この計画が終わったら――それが成功裡であれ失敗であれ――自分は確実に消されるだろう。こちらの手の内を読ませないためにも、天宮からの支援に頼るべきではない。

 澄崎市は二つの組織によって実効支配されている。

 空宮そらのみや文明維持財団と天宮総合技術開発公社。この二つの組織の仲は極めて険悪だ。

 空宮は、現状こそが文明の最先端であり、それを上回ることも下回ることも人類自身に対する冒涜だと主張している。

 100年前に人類を蝕み、澄崎市が孤立する契機になったと云われる『技術的発散テクノロジカルダイバージェンシー』の発生を防ぐことを至上命題とする組織だ。新技術を吟味し、その技術が水準以上か以下かを検証する。基準をクリアできなかった場合、それは〝失効テクノロジー〟と呼ばれ、市議会の審議にかけられた後、少数の例外を除き大抵は廃棄、若しくは半永久的に封印されてしまう。

 一方の天宮は社名の通り、種々の技術開発を行う。それが一方的に〝なかったこと〟にされてしまうのだからたまったものではないだろう。

 だから身内の暗殺を依頼するのなら空宮を偽装する方が理に適っているが――癪に障るが護留を動かすのなら天宮の名を出す方が有効だと分かっていたのだろう。そしてそれは正しい。あれだけ巨大な組織で、かつ複数の当主継承権保持者がいるのだ。嫡子で、継承権序列壱位の天宮悠理のことを疎ましく思う連中は星の数ほどいる。屑代が自ら天宮を名乗ったのはブラフでなく恐らく真実だ。

 間違いなくこれが最初で最後のチャンスだった。

 来月の市政100周年祭で、次期当主のお披露目がある。街は今その噂で持ちきりだ。今まで公の場に一切姿を見せなかったゆえに、その実在すら疑われていた天宮悠理だが、それを利用して他の当主候補たちが台頭してきていた。ここで内外にその存在をアピールし、地歩を固めておきたいのだろう。

 しかしそれは敵対している候補にとっては、悠理のガードが解ける絶好の機会でもあるわけだ。今回の依頼がなくとも自分でこの時宜を狙うつもりだったが、まさに渡りに船――いや文字通りの『天佑』か。

 ぱしゃり――水たまりを叩く音に護留は振り返る。

 そこには、護留を襲った臓器強盗団たち――がいた。

 四方八方に飛び出した膚色の触手が、ゆらゆらと揺れている。肉の襞の隙間から充血し、涙を流しているいくつもの眼がこちらを瞬きせずに見つめていた。

 護留がこれまで殺人に失敗し続けてきた理由が、これだ。

 紛い物の生を過ごす自分には、紛い物の死しか与えられない。

 護留が致死傷を負わせた対象は、護留と同じように再生を開始する。だが護留のように人型には戻らず、この哀れな男たちのような肉塊へと成り果てる。

 たいていの場合、肉塊は特邏とくらが持ち去ってしまうが――まれに発見されない時もある。その場合は悲惨だ。餓死を待つか、鴉や犬に喰われるか。もっとも、特邏に持ち去られた連中がどうなるのかは護留も知らないので、どちらが幸せかはわからない。

 こいつたちは天宮の監視下でこうなった。恐らく自分が去った後に処理場だか研究所だかへと連行されるだろう。同情は全くできないが、不愉快だった。

 ――だからあの負死者に関する噂は間違っている。僕は不正な生と、負債な死をまき散らすだけの存在だ。

 だけど。魂魄制御技術に関する全てのノウハウを持ち、そして母を奪った天宮。奴らなら、自分の負死の呪いを解くこともできよう。

 一人娘を抑えれば、有利な条件でことを運べる。天宮の暗殺計画を逆利用した誘拐。お膳立てはできている。これが天宮の内輪争いとすれば、反天宮の企業や空宮の消極的・間接的協力が望めるはずだ。

 ついに、やれるのだ。

 俯けていた顔を上げる。見据えるは澄崎市の象徴たる超高層建築物。この五年間常に見上げ続け、呪詛をぶつけ続けた塔。天宮総合技術開発公社、本社ビル。

 そこに向け、決意を胸に、護留は吼える。

「返してもらうからな……母さんと、僕の生死を――!」

 手の中の悠理の写真に、涙が一粒落ちた。理由は、自分でも分からなかった。

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