第一章 不正な生、負債な死 Working For Death 6

 護留は地面に転がる屑代の背中を無感動に眺めていたが、

「立てよ。なんの茶番だ、これは」

 護留の心底うんざりした言葉に、屑代はごくあっさりと立ち上がった。反降雨力場のおかげか、スーツは一切濡れていない。

「いやはや、さすがですね。――なぜ生きていると思いましたか?」

「倒れかたがわざとらしすぎる。第一、刺した時の手応えが生身の人間と全く違った。あんた、内臓も人工物サイバネティクスに置換してる重度身体改造者だな」

 屑代は鳩尾の辺りを手で拭った。手には少量の血が付着したが、それ以上の目立った出血は見当たらない。

「これも、『検分』とやらなのか」

「お察しの通りです。私はこのようなやり口には反対したのですがね。どうしてもという『上』からの強いお達しでして」

「じゃあ、その『上』とやらに不合格の通知を持ってさっさと帰れ。あんたが僕をどう評価したかなんて知りたくもないが、どうせ過大に決まっている。暗殺なんて僕には無理だ」

「しかし己條さんのところでも、殺しを請け負ったことがありますよね?」

「……なんのことだ?」

「誤魔化す必要性はございません。失礼ですが、貴方のことは調べさせていただきました。徹底的にね」

「……話が早いな、じゃあ知っているだろう。僕が過去受けた殺しの仕事に、ことくらい」

「ええ、もちろん。しかし、私どもは過去の業績などに興味はありません」

「矛盾している。それならなぜ僕の経歴を調べる必要がある」

「私どもは貴方のでは経歴ではなく、貴方の遍歴を調べました――魂魄の遍歴を、ね」

「言葉遊びは結構だ。僕になにを言わせたいんだ? 僕の通り名を知っているだろう。

 僕に、魂魄はない。生きる資格のない死者ゾンビなんだ。擬魂を使って僕は生きている――いや、生きている『ふり』をしている。だから負死者と呼ばれているし、だからALICEネットで運営されている市の公共サービスも利用できない。ネットに保存している記憶のバックアップもないから、あんたの言う魂の遍歴とやらも調べようがないんだよ」

 護留の言葉に嘘はないが、推測が多分に含まれている。

 この五年間、護留は最底辺の暮らしを送ってきた。生きるために汚れ仕事でも何でもこなすうちに、負死者などというありがたくない通称までつけられる始末だ。これは天宮やその息が掛かった市警軍とも敵対していたからであるが、実際はALICEネットを利用できなかったことの方が大きい。

 ALICEネットとは、100年前に消滅したワールドワイドウェブに代わって澄崎市中に偏在するシステムだ。生誕時に市当局から自動発効される刻印ミームパターンを施された魂と、ある程度正常な精神さえあれば、犯罪者や非市民ノーバディですら利用できる。ネットには大気中に散布されているナノマシンを介して常時接続され、かつてのインターネットをも凌駕する様々なデータベースへのアクセスやインフラ利用、人格のバックアップ、果ては活動に必要なエネルギーが――接続階級によって制限があるとはいえ――供給されるという、まさにこの街に住むモノにとっての生命線である。

 ALICEネットを利用できないということは魂を持たないことと同義だ。そういうケースは稀に存在する。極度のトラウマなどにより著しく劣化した魂を擬魂に換装した者などがそうだ。彼らは市からは存在しない者として扱われ、市民からはゾンビと呼ばれ蔑まれる。

 擬魂――擬似魂魄は澄崎市でナノマシンと同じく認可された数少ない失効テクノロジーの一つであり、人類の魂の最大公約数、誰でもあり誰でもない人工の情報子インフォルミンだ。人工であるが故に生の魂には不可能な〝加工〟が可能であり、そのためこの閉じた街の主エネルギー源として扱われている。

 五年前のあの日〝起動〟した『Azrael-02』が一体どういうものなのか、未だ護留は手掛かりすら得られていないが、恐らくは擬魂の一種――それも極めて特殊な――であると推測していた。

「ゾンビ? 貴方はそんなものではありませんよ。そんな低俗なものではない。貴方はもっと高次な存在なのですよ、引瀬護留。自分でも信じていないような憶測を口にするのはよしたほうがいい。そう、貴方は生きていない。現代医学は魂魄が存在しない者を死者と定義する。ALICEネットも使えない。

 それでも貴方は動いている。思考し志向し指向し嗜好し試行しているのです歴然と。――なぜでしょうね?」

 饒舌じょうぜつに語る屑代を睨みつけ、

「――そんなこと、僕が聞きたいくらいだ」

「ごもっともです、『負死者』さん」

 屑代のやたら挑発的で一方的な文言に、護留は口を閉ざした。この男、さっきと態度が変わってきている。どうやら本格的にこちらに仕事を押しつけるつもりのようだ。

「質問に答えてない。僕の、何を調べたというんだ」

「魂魄の遍歴です」

「だから、僕には――」

 抗弁する護留を遮って屑代は続ける。

「私どもと貴方たちでは、魂魄の考え方――見方が違うのです。市税局が取り立てる、人の精神場の中に存在する莫大なエネルギーを孕んだ『陣パターン』でも、ALICEネット接続時に認証を求められる電磁気学的な生体パルスでもありません。それらは一側面ではありますが――」

「僕は学説が聞きたいわけじゃない」

「ざっくばらんに言ってしまえば『人生の足跡』です。ALICEネットを利用している全市民の過去の記憶から、貴方に関する事柄を抽出して、更にそれを精製したもの――あなたのクオリアの統計的似姿ですよ」

 ――ALICEネットから市民の情報を得た? ありえない。そんなことが出来るのは――

「まさか、お前っ、」

 屑代の言葉に呆然とし、次いで相手を食い殺さんばかりの気迫で詰め寄った護留は、しかし屑代の六歩手前で見えない壁にぶつかったかのように立ち止まった。

「良い勘です、引瀬護留」

 ――狙撃手。2時、6時、10時の三方向からだ。距離は300、いや、350メートルか。無論、撃たれても死ぬことはないが、恐らく再生中に時間差をつけて弾を送り込んでくるだろう。麻酔弾等を使われれば、下手をすると、数分間行動不能に陥る。それだけの時間があれば、こちらを拘束することなど容易いことだろう。

「――用意周到だな」

「言ったでしょう。私どもは貴方を適正に評価しています、と」

「言っただろう。その評価は過大だ、と」

 互いにしばしの沈黙。先に口を開いたのは屑代だった。

「私どもは貴方がこの依頼を断らないことを確信しております。負死者、引瀬護留。

 いえ――〈Azrael-02〉」

 呼吸が止まった。それ以外のあらゆる動作も停止した。今までのどんな挑発よりも、その単語は的確に護留の急所を貫いた。

「どうして……『それ』を知っている!」

 屑代は答えない。護留も返答を待たなかった。

「やはり、そうか。貴様は、貴様らは、」

 ごくり、と息を飲んで、その〝名〟を口にする。

「――天宮あまのみや!!」

「ご名答です」

 その返答を聞いた瞬間、護留は姿勢を極限まで低くし、顎が地面と水平になるように上げ、ほぼ倒れこむような動きで屑代に迫った。屑代は余裕を持った動きで右腕を上げスナイパーに合図を送る。

 一歩目を踏み出したところで、右肩に初弾が命中。続く二歩目で左頬と耳が吹き飛び、三歩目で左膝が砕ける。それでも勢いで屑代の足に組みつこうと四歩目を右足で――踏みしめられない、こちらも太股を打ち抜かれた。そのまま屑代の足もとに倒れ込む。

「――っ、貴様らが……なぜ今頃になって僕に接触してくる!? この五年間こちらからいくら手を出しても無視してきた貴様らが!」

 吐息を荒げながらも、再生しつつ立ち上がろうとする護留を見て、右腕を下ろした屑代はこれまでとは打って変わった能面のような無表情で言葉を紡いだ。

「――全回復に4秒弱。やはり、貴方には資格がある」

「……なんの話だ」

「ですから仕事の話ですよ、引瀬護留。求めよ、さすれば与えられん。金枝しかくは貴方の手に既にある。後は、巫女ひめを殺すだけ」

 弱々しい微笑を浮かべた屑代を凝視しながら、護留は問い返した。

「姫、だと?」

 屑代は頷くと、大仰な身振りで両手を広げ、高らかに宣った。

「左様です。天宮家現当主、理生の一人娘。天宮家次期当主継承権序列第壱位。公社内における公的地位は研究部特殊技術開発室副室長。

 12歳で市立大学を主席で卒業し、15歳現在、三つの博士号を持つ。九八年に発表した論文で市議会より叙勲され、永久市民権と雅名がめいを賜る」

 すらすらとまるで我がことのように屑代は喋り続けながら、一葉の写真ホログラムプリントを取り出す。

 そこには一人の少女が写っていた。白銀の髪。真紅の瞳。微かに笑みを浮かべた白皙の顔には染み一つない。天宮総合技術開発公社の制服はお仕着せられたようであまり彼女に似合ってはいなかった。

 名は何度も耳にした。顔は初めて見る。なのに、何故か強い郷愁を覚えた。まるで長い放浪の果て、家族と再会したかのような。

 馬鹿な、ありえない。何故なら彼女こそが、

「その雅名を天津照宮白銀媛悠久真理命あまつしょうぐうしろがねひめゆうきゅうまことのみこと

 ――そう。我らが姫君、天宮悠理ゆうり殿下を、市政100周年祭でのお披露目に際して、貴方にしいして頂きたい」

 眩暈を覚えた。歓喜を感じた。憎悪が湧いた。

 悲哀がぎった。憤怒がおこった。驚愕を抑えた。

 筆舌に尽くせない感情が、渦巻いた。

 胸の裡の情動のままに、護留は屑代に返答した。

「――その依頼、受けよう」

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