第一章 不正な生、負債な死 Working For Death 2
「……行ったか」
グリムリーパーの姿が消えたのを確認し、
痩身中背の体を、市警軍の放出物資であるデジタル迷彩が施されたタイトな防刃防弾服が覆っている。肩まで伸びた髪は、白でも黒でもない、この街の空と同じ灰色をしていた。無造作に垂れる前髪から覗く薄紅色の瞳には強い警戒の色が浮かび周囲を油断なく見渡している。
手には白銀のナイフが一振り。全体的に老成した雰囲気を漂わせているが、顔の諸所のパーツは彼がまだ10代半ばであることを告げていた。
護留は死体へと歩み寄る。死んでいたのは、10歳前後の子供だった。
最近になって、
護留は、まだ温かい屍骸を仔細に点検する。毛髪、歯、眼球、皮膚、血液、四肢。目につく限り、死体は全て低品質の人工物で構成されていた。恐らく中身も似たようなものだろう。わざわざ開腹する手間のほうがもったいない。服も一山幾らの合成繊維製。唯一金になりそうだったバッテリーはグリムリーパーに殺されている。
魂も、すでに取り立て済みだ。
ここにあるのはただの抜け殻、何の役にも立たない
今日
――おかあさん。
子供の声が聞こえた気がした。途端。視界が。くしゃりと潰れ。捲れあがり。ああ、これはまた、あの幻覚が――
(
・――幻覚の中、決まって僕は私となり、僕は私じぶんの記憶を追体験するような、盗み見るような、奇妙な不快感に襲われる――・
なにかが、私を急かしている。オキロ起きろおきろ。
薄らと目を開ける。網膜に映し出された視界は赤い。赤が明滅している。そして煩い。これは――警報?
『――します。第一級アラート。研究部第壱実験室にて、クラスAAAの
「――なんですって?」
研究部第壱実験室。私が現在いる場所だ。それが、
顔を上げようとして、躊躇した。私はなにか重大なことを忘れている。なんだ、なにを? 顔を上げるのに、なぜこれほどのプレッシャーを感じなければならない。それは私たちが実験を、あの計画の要の、
私の混乱に追い討ちをかけるように、ふ、と室内が暗くなった。すぐに橙色の非常灯に切り替わる。その時になって私は警報を除いて、不気味なほど音がしないことに気づいた。
耐え切れなくなって顔を上げた。
正視できない光景がそこにあった。私は長く高い悲鳴を上げた。叫びながら、今見ているものへ近づこうとめちゃくちゃに手足を動かす。備品や機器に体中を引っかけ、至るところ傷だらけになりながらも私は辿り着いた。
そこは実験用チャンバー内を見下ろすことができる、封印シールドの壁があるはずの場所だった。だが今は、床と天井の一部を巻き込んで回転楕円形に、恐ろしく滑らかな断面を見せながら抉り取られていた。そして――ああ、なんということだ。
光ひかりヒカリ……夥しい
嬉しそうに、躍っている。
呆然と座り込んだ私の傍らに人が立った。私はがくがくと震えながらその人物を仰ぎ見る。
「り、
理生は私の呻くような呼びかけには全く反応せず、ただ光の乱舞を静かに眺めていた。
「あれは、ハイロウ現象です」
理生がぽつりと呟いたその言葉は戦慄に値するものだった。
「――ハイロウ……あれが、あんなものが……?」
それは私たちの計画、『プロジェクト・ライラ』が予言した魂の反粒子、
だけど、今。
ユークリッド幾何学を超越した角度に傾いた光の粒子たちは収束を始め、蛇のようにうねりながら環状となり空間に再配置されていく。ハレーションを起こしているその優美な外見は確かに〝
だけど――!
「あれだけの反魂子が放出されていたら、一体どうなるのよ!?」
「わかっているでしょう?」
「わからないわよ! なにがどうなってるの!? なんでこんなことになっちゃったのよ!」
「『プロジェクト・ライラ』が失敗したからですよ。ごらんの通り、ハイロウが現実
「そんなことを聞いているんじゃない! 悠灯先輩はどうなったのか質問しているんだ! 答えろ天宮理生ぉっ!」
「消失しました」
あまりにも衝撃的なその言葉は、あまりにもあっけらかんと、まるで明日の天気を答えるような調子で言い放たれた。
「素粒子一つすら残っていません。阿頼耶識ALICEネットの、更に上位の階層に〝発散〟したと推測されます」
私は立ち上がり、理生の襟首を掴み揺さぶった。
「そんなあっさりとよくも言えるわね! 先輩はあなたの妻でしょう! それに――それに、ユウリちゃんも消えたってことになるのよ!? あなたたちの娘が!」
「そうなりますね」
理生のその言葉に、私は心の底から冷え上がった。体中の血が流れ出ていったようだ。
〝これ〟は――何だ?
少なくとも、天宮理生という男ではない。彼は常に冷静であることを己に課していた皮肉屋だったが、少なくともきちんとした人間だった。笑い、泣き、悔い、喜び、怒り、哀れみ、嘆く、まともなヒトだった。だが、〝これ〟は――。
「しかし、問題はありません。我々には、まだ択るべき道が残されている」
異常事態を前に、感情が一時的に焼き切れているわけではない。そんな、生温いものではない。そう、感情はきちんとある。声の調子にそれが現れている。ただ、私にはその感情の種類が推し測れないだけだ。異質過ぎる。異常過ぎる。異形過ぎる。
私はどうしようもない恐怖に取り憑かれ、理生だったものから手を放す。
「生まれ変わり、産まれ堕ちた『彼女』が、私たちには残されている」
恍惚の表情を浮かべながら彼が見つめる先には、ハイロウ。
光輪の中心には暗黒が拡がっている。無だ。完全なる虚無だ。なんだ、あれは。あんなもの、シミュレーションでは発生しなかった。
暗黒の奥に、光が――反魂子とはまた別の、鈍い輝きが生まれる。
徐々に、成長していく。
「我々は、まだ救えるのです。この都市を、我々の魂を――我々の生きた証を!」
光がはっきりと視認できる大きさになった時、私は声なき絶叫を上げた。
それは、胎児の似姿をしていた。
嵐のような恐慌を辛うじて制したのは、僅かに残留していた私の科学者としての矜持だった。
「――っ、……答えて、理生。あれは。なに?」
理生は即答した。
「我々の
即ち、〝
そして晴れやかな笑い声を上げて私に告げた。
「貴女には、やってもらう仕事があります――
ぐったりとした私は、理生を見ずに答える。
「……仕事ですって? これだけの失敗を犯した私に、次はなにをさせるつもりなの?」
すると理生は初めて私を見据え、答えた。
「『プロジェクト・ライラ』に続く澄崎市救済計画、『プロジェクト・アズライール』。そのシステム中枢の開発・運用です。――ああ、安心して下さい。今度は、失敗させません」
ハイロウが放つ
封鎖されていた隔壁が固定ボルト爆砕の音を立て無理やり開かれる。そこから駆けてくる人影は三人。
ああ――よかった。無事だったんだ、眞言さん……
ふ、と膝が崩れ、支えてくれた眞言さんの腕を強く握り締め、その温かさだけを感じながら――私の意識は無に融けていった。
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