第一章 不正な生、負債な死 Working For Death 1
西暦2199年6月14日午後5時15分
澄崎市北東ブロック第23都市再整備区域、6番街A8号通り
――いったいどれだけ走ったのだろう? いったいどこまで走ればいいのだろう?
解体を待ち続ける灰色のビル群の隙間を縫って、少年がひとり疾走する。
雨が降っている。霧のようなしみったれた雨だ。細かい滴が視界を遮り、衣服に絡みつき、体温を奪う。偽の歯がかちかちと鳴っている。偽の筋肉は強張り、偽の関節は震え、偽の肺は酸素を求めて狂った伸縮を繰り返す。
それでも少年は決して立ち止まらない――止まれない。全身の人工筋肉に「動き続けろ」という信号を外部端末から送っているからだ。そんなことをしたら、偽の手足――
少年は極限の恐怖に晒された者の表情で背後を一瞬、確認する。そこには、先の疑問の答えを知るモノがいた。黒色の貫頭衣、黒い仮面、同じく黒いマント。それが何であるのかを知らない子供が見たら、指を差して笑うだろう
澄崎市税局貧民救済課所属強制執行員、『
逃げても無駄だ。あれは諦めない。あれは疲れない。あれは見失わない。
(じゃあ、なぜ逃げる?)
諦めろ。疲れたろう。市税局からの通知を受け取ったときから、自分は終わりだと確信していただろう。自分は収めるべき税を収めなかった――収められなかった。金がなければ体で払えばいい。だが少年の身体は毛髪一本までもが既に差し押さえ済みで、安価で低性能な人工物に置換されていた。つまり、自分には差し出すべきものがなく、支払う方法もない。
――たった一つの最低なやり方をのぞいて。
(諦めろ)
自分の内なる囁きを無視して、少年はひた走る。
――スキャン完了。
グリムリーパーは、周囲の空間条件が『強制救済』を行う基準を満たしていると判断、己が
次の刹那、グリムリーパーの手には、長大な
体で払えないのなら、魂で払えばよい。魂の取り立て。それが徴魂吏の任務。
その任務のためにグリムリーパーは己の魂が自己同一性を保てない程までに身体改造を施され、制御を全て内蔵擬魂に預けているのだ。
グリムリーパーは副脳を介して自身の二つある人工心臓を全力稼働させる。同時に全身の人造筋の出力もリミット限界へ。残る八つの擬魂と各種薬物による身体の内外環境の並列操作も開始。それらは少年のものとは比べものにならない推力を生み、グリムリーパーの体を爆発的に加速させる。
雨の中、死神の姿が消失した。
爆音が響き渡り、追ってくる足音が消え、少年は愚かにも再度振り返る。可能性すら信じていなかった奇蹟が起こったのを期待して。振り返った先には、期待通り何者もいなかった。
だが。
「? か、はっ、……」
ずんっ、という衝撃。そして、燃え盛る氷が体内に侵入してくるかのような、耐え難い苦痛。少年は己の胸から生えた白銀の刃を見下ろす。血は全く流れていない。なのに、自身の最も根幹的な部分が強制的に引き剥がされていく。流出していく。自分が自分から離れていく……。
少年は強く痙攣すると、泥溜まりの中に崩れ落ちた。
最後に母のことを想う余裕さえ、残されなかった。
マント――有機素材で出来た動作補助機構――を蝙蝠の翼のように広げ、30メートルの距離を一息に跳躍したグリムリーパーは少年の背後に着地、同時にリヴサイズで少年の心臓を一閃した。対象の肉体にはかすり傷一つつけずに、鎌は魂の剥ぎ取りに成功。少年は即死。
外部生体バッテリーから信号を送られている手足だけがバタバタと動いているが、グリムリーパーが青黒い肉の塊にも見えるバッテリーを踏み殺すとそれもぱたりと収まる。少年から湯気が立ち昇り、全身が内出血により一瞬で腐った果実のように黒く染まった。
死神の鎌先には深い群青色をした光球が宿っていた。少年の精神場から摘出され、ALICEネットを行き交う思念と相互作用し高熱を発している魂だ。その見た目は擬魂とほぼ変わらない。
正規の手続きを経ず――即ち〝死〟によらず引き剥がされたそれは、少年の体に戻ろうと時折か細く震え、その度に
強制救済、完了。
グリムリーパーの顔面が仮面ごと縦に二つに裂ける。割れた顔面に開いた穴にケージを装填すると再び仮面が閉じた。その場で少年の納税証明書を作成し、ALICEネットを介し市税局へ送信。次いでマントを巡航形態に変形させ、ビルの屋上へと跳躍、轟音と長い水蒸気の帯を纏いながら、また別の屋上へ。三秒足らずでその場から姿を消した。
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