序章 かなしみに満ちた楽園で Sorrowful Shangri-La 7
・――それで、結果は? 成功ですか?――・
・――はい……いいえ。ユウリ様の魂魄及び
・――一つ?――・
・――ユウリ様の魂魄――『Azrael-01』の覚醒は成功しています。
・――それを完全なものにするのが貴方たちの仕事だったはずでは? 貴重な二週間の期間では足らなかったと? そして、その挙句に失敗ですか? 仮想人格を消さなければ、彼女の開放は成されないわけでしょう――・
・――申し訳ございません――・
・――……引瀬博士が出奔したのは科学部のミスではありませんから、これ以上は不問に付します。現在、情報部に特別高等巡邏隊を使わせて博士の『
・――では、それまでのあいだ、仮想人格の処置はいかが致しますか――・
・――〝彼女〟の覚醒が成功している以上、放置してもさして害はないでしょう。むしろ下手な操作は行わぬように。現在の主人格はあくまでも仮想の方です。これ以上素体の劣化が速まれば元も子もない。くれぐれも薬物投与や洗脳は控えるように――・
・――了解致しました。使用済みの
・――ああ、引瀬の娘ですか。ええ、必要なデータは取れましたし構いません。引瀬博士に対する人質としてだけでなく、侍女としても役に立ってくれた子ですからね、丁重に扱ってやってください――・
・――かしこまりました、
少女が目覚めて最初に感じたのは、寂しさだった。
自分の部屋の自分のベッドに少女は一人で寝かされており、病人用の白く清潔な肌着を纏っていた。部屋の中は薄暗く、今が昼か夜か判然としない。
その薄暗がりを頼りに、何もかも悪い夢だったのだと思おうとしたが――無理だった。
「眞由美は、死んだ」
少女は呟いた。
「眞由美は、死んだんだ」
言葉が、体に染み渡る。
「う、うううう――っ!」
凶暴な怒りに駆られて、腕を振り上げた。しかし、怒りは発生と同様に一瞬で冷め、少女は腕をだらりと下ろした。
「……ごめんなさぃ……ごめんなさい――まゆみぃっ……」
泣かないと約束したはずなのに。後から後から、涙は溢れ出てきた。それを拭おうともせず、少女はただ中空を無為に見つめ続ける。
(わたしは、これからどうすればいいんだろう)
それは自分の内に呼びかける問いだった。『あの子』が何かいいアドバイスをくれるのを期待して。こういう事態になったのは、確かにあの子の存在が原因かもしれない。けれどあの子は何もしていない。それにもはや少女にとって、自分の内に棲すむ〝私〟だけが頼りだった。
――なのに。
「あれ?」
いつもなら即応してくれる、あの子の
「え? あれ!? うそ、うそうそうそっ!!」
少女の背筋が冷たくなる。幾度も幾度も呼びかける。それらは幾度も幾度も虚しく空っぽの心の中で
『――奴らが欲しているは、私だけなのだから。あなたには、悪いことをした』
すとん、と。それだけは思い出せたあの子の言葉が降ってきて。
納得、できてしまった。あの子もいなくなった。消されてしまった。父はわたしの「機能障害を正す」と言っていた。そしてあの子は狙われているのは自分だと言っていた。具体的に、どのようなことをされたのかはわからない。だけど、これだけは絶対確実に言い切れる。
わたしは、一人になってしまった。この家――即ちこの世界で、自分の味方は、自分の友だちは、誰一人としていなくなってしまった。
「――くくく」
笑いが漏れた。狂気に侵された笑いではない。この後に及んでなお、狂気に身を委ねられない自分を嘲り哀れむ嗤いだ。ああ、狂えればどれほど楽だろう。だが少女の精神は残酷に正気を保っている。
「くふふふ、はは、あはははは……」
涙を流して笑いながら立ち上がり、起動コードを唱え照明を燈す。壁のスクリーンを夜間微発光モードから外景投影モードへ。
少女の視界いっぱいに、天宮総合技術開発公社・本社ビルの150階、地上777メートルから見た澄崎市の街並みが広がった。
外はまだ明るかったが雨が降っていた。全てが霞かすんでいる。まるで、都市が泣いているようだ。
『何も心配しなくて結構ですから。だから、何があっても泣かないで下さい、悠理様。
強く、生きてください』
わかった。私はもう、泣かない――泣けない。ともに涙を流せる相手が、泣いた後に共に笑える相手が、いなくなってしまったから。たくさんのかなしみと一緒に、消えてしまったから。
弱音を吐くのはもうやめよう。あらゆる機器も使いこなそう。誰にも頼らず生きてやる。誰よりも強く生きてやる。
天宮の次期当主として、完璧な振る舞いをしてみせよう。
そうすれば、不用意な言葉でよくないことを招き寄せる心配がないから。
かなしいことは、もう起こらないだろうから。
私は、天宮悠理は、今日これより独りで生きる。
――もう、眞由美には心配かけないよ。
だから、
「あなたも、泣かないで。私の中で、ずっと笑っていて」
涙も笑いも、自然に止まっていた。悠理は眼下に広がる風景を、近くて遠い、こことは別の世界を飽くことなく眺め続けた。
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