明日の桜で会いましょう
水の月 そらまめ
明日の桜で会いましょう
「明日の桜で会いましょう」
桜もち片手に、花見をしていた私は隣にいた青年に声をかけた。
ただ気まぐれに。
返事も行動も期待もしていない。そんな言葉。
私の顔は、ニコリと微笑んでいるはずだ。
視線を感じて顔を見ると、青年は暗い顔をしていた。まるで……。
ふふ、あらまぁ。
中学生かな? そんな暗い顔しちゃって。人生いろいろあるよね〜。
薄汚れ、落書きのされた自分の制服を一瞥して、また桜もちを口に入れる。
この桜の下で、桜もちを食べるってのがいいよね〜。
薄いピンクから濃いピンクまで、いろんな種類の桜が植えてあって綺麗。太陽の光が差し込むのとか最高。
木漏れ日で桜餅は焼けるのかな?
優美な桜から漏れた光なら、もっと美味しく焼ける気がする。
ぱくっ。
上品なあんこがまたいいのよね〜。
風が私たちの間を吹き抜け、鳥のさえずりが耳から入ってくる。
気にすることはない。このひと時を心に残して、また明日頑張ろう。
届かない桜に手を伸ばす。ひらひらと偶然に落ちてきた桜が手に落ちた。
潰さないようにキャッチできた私すごいな。
心の中で自画自賛していると、少年が動いた音がした。その足で去って行く。
私は気にすることはなかった。
指を舐めて。桜をぼーっと眺める。
時間が過ぎると、立ち上がり。私はその場を歩き出す。
*
私は同じ場所へ行く。
あっ、昨日の子だ。
「こんにちは」
極力笑顔を意識しながら、正面からはっきりと声をかけてみた。
青年は相変わらず酷く暗い顔をしている。
桜と一緒に散ってしまいそうな顔、と言ったら笑われるだろうか。この人の笑顔を引き出すことができたなら、私も捨てたものじゃないかもね。
……もしかしたら、私も似たようなものかもしれないけど。
「こん、にちは」
考え事をしながらじーっと見つめていた効果か、掠れた声が帰って来た。
私は嬉しくなって隣に座る。
今日のお供は白米ともやしです。
もぐもぐ。
何か話すわけじゃない。私と彼は昨日会ったばかりだし、何も知らない。ただそこにいてくれることが嬉しくて、ご飯が進む。
今日は青年も桜のお供を持って来ていたようだ。バナナを食べながら、桜を見上げている。
ハムスターみたいで少し可愛いな。
「ねぇ、名前は? 私は
青年は上に向けていた視線を私に向けた。手に持っていたバナナが折れている。
今日少し暑いからか、彼から汗が流れ落ちた。
会話はダメだったかぁ〜。
ご飯を口に入れて、桜を見上げる。その時。
「
「ごっ、ごめん。聞き逃した! もう一回言って!」
あぁ、私のバカぁ。大事なところ聞き逃しちゃうなんてっ!
「……
「蒼桜くんか。いい名前だね」
蒼桜くんは俯いて無言になってしまった。
折れたバナナが地面に落ちて、即行拾う。3秒ルールだ、とでもいうように、それを拾って食べていた。
すごい速さだったことに、くすくすと笑ってしまう。
青年はまた俯いた。
嘲笑っていると思われたかもしれない。ちゃんとフォローしますともっ。
「ふふ、笑ってごめんね。反応が早かったからびっくりしちゃって。私もたまにやるよそれ。たまに3秒以上経っちゃうんだよね……」
私はお箸をカチカチと鳴らす。
蒼桜くんは何も言わなかった。
ちょっと急に距離を詰めすぎたかもしれない。
名前を知ったら、知り合い以上友達未満でいいよね。今日はそれで満足しとこう。
満開の桜、なんて素晴らしいことだろう。
私は浮き立つような気分で立ち上がった。自然と笑みが溢れ、髪の毛が風でふわりと浮く。そして、彼に向かってあの言葉を口にした。
「また明日の桜で会いましょう」
蒼桜くんがコクリと頷いた気がした。
*
次の日も、次の日も、また次の日も、そのまた次の日も。桜を眺めて、当たり障りない会話をする。
『今日の天気はいいね』『暖かい日だ』『肌寒いね』『お菓子をどうぞ』『お茶が美味しい』
毎回会話は少しだけ。長く話すことはなくとも、徐々に距離が縮まっていく気がした。
もう友達と言ってもいいんじゃないかな。そんな言葉は心の中でだけ。NOと言われて傷つくことを恐れている。
お化けと同じくらい怖い。
そして今日も君と。
ピンク色になった地面とベンチの上で、桜を眺める。
「暑いね」
「うん。虫も多くなって来た」
「……あっ、蝶々飛んでる」
「ほんとだ」
どうでもいいことを話したり、話さなかったり。
ただ桜を眺めて当たり障りない会話をする、静かな時間。とても心地良い距離感で。
蒼桜くんと一緒にいると、心が穏やかになる気がした。
このままずっと、こうしていられたらいいのに。桜の木の枝を見つめる。
そして、今日。最後の花びらが散ってしまった。
「最後の花びらが散っちゃったね」
悲しいやら、寂しいやら。でもまた咲くんだ。またここで、来年も。
答えがないなと蒼桜くんを見る。すると、なにか言いたそうに私を見ていた。
「どうしたの?」
「その……」
「うん?」
蒼桜くんの顔は暑さにやられてしまったのか、真っ赤になっていた。
しっかりと水分補給しないと倒れちゃうかも。もしかして水がなくなっちゃった!?
ふっふっふー、こんなこともあろうかと、私はプラスチックのコップを持って来てるんですよ。
水を注いで、蒼桜くんに渡す。
「水飲んで、顔赤いよ」
「あ、うん……」
蒼桜くんはゴクゴクとコップを飲み干した。
暑いもんねぇ〜。
「もう一杯いる?」
「あ、うん」
水を注ぐと、彼の体が震えていることに気づいた。
いま地震が起きている感じはないから、震源地は蒼桜くんだ。
熱中症かもしれない! それは大変だ! 動けなくなる前に移動しないと!
「ねぇ大丈夫? 涼しい場所に――」
「あの! …………あの」
恥ずかしそうに、声を押し殺すように蒼桜くんは言う。
「……また、明日の桜で、会いましょう……」
初めて言われたその言葉に、私は目を見開く。そして次の瞬間には笑っていた。
「うん。そうしようか。……ほら水分とって! 倒れないでよ!」
「あ、いや……もういいよ」
*
私は彼の方から誘ってくれたことが嬉しくて、次の日もいつものベンチで、桜の木の下で待つ。
いつもの時間より早く注いてしまった。お供の蜂蜜をちびちび食べる。
いつもの時間になったけど来ない。
何かあったのかな? スプーンを加えて、青々と生い茂る草を蹴る。
いつもの時間を1時間もすぎた。
甘い口の中を水で流す。
5時間が経った。
空になった蜂蜜の入れ物をカバンに入れる。
「来ないじゃない……」
次の日も、その次の日も
うんん、構いやしない。きっと彼は妖精さんだったんだよ。桜の花が咲く季節に現れる妖精さん。
幻じゃ……ないよね?
頬に流れる涙が、ひどく虚しく。
ポッカリと胸の中に穴が空いたような空虚感が私を支配した。
それでも季節は巡り、巡り、巡っていく。
春。また桜の蕾がつき始める。
もうそろそろ咲きそう。
肌寒い季節でいつもの制服に身を包んだ私は、枝につき始めた蕾を見て思う。
もしかしたら、あの桜の妖精さんがまた現れるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、桜の咲くであろう明日に心を躍らせる。
もし来なくても、落ち込むことはない。
だって妖精さんは気まぐれだから。
次の日。
最初の桜が咲いた。
「明日の桜の時期ですね〜」
ぽつりと木の上で咲いた桜に手を伸ばしながら、私はつぶやいた。
遠くて届かない。届くとしても、手で取ったりはしないけど。この桜に手を伸ばす瞬間が、なんとなく楽しい。
そろそろ入学式か……。
薄い青色の空が、氷のよう。
まだまだ桜は満開には程遠い。人気のないこの場所で、私はいつも一番乗りだ。桜の信者と呼んでくれたまえ。
足音がして振り返る。残念だったな、一番桜は私がもらった。とドヤ顔してやるつもりだ。
「こんにちは。今年も綺麗に咲くといいですね」
「えっ? ……あっ!」
振り返った先には
驚いた。蒼桜くんは、あの日とは似ても似つかない姿だった。瞳がどんよりと暗くない。顔色も良くなった蒼桜くんは、恥ずかしそうに頬を掻いた。
「やっぱり、桜が咲くと出てくる妖精?」
「よ、ようせい?」
「だって蒼桜くん。あの次の日、来なかったから……」
「えっ!? いや、明日の桜で会いましょうって、いつもっ。全部散っちゃったねって、
めちゃくちゃ口数が多くなってる……。
弁解するように言った蒼桜くんは、私に背を向けて何かぶつぶつ言い出す。
私は私で、ひとりで妄想して悲しくなってた事に、羞恥を覚えていた。
えぇ……! まさか。まさかまさかの…………えぇー!
『明日の桜で会いましょう』って、本当に桜が咲いたら来るってことなの!? 確かに全部散ったとは言ったけど。言ったけども!
……なんというか、……律儀ね。コミュニケーション不足って怖いなぁ。ふふっ。
「私たちって、口下手だね」
ビクッとした蒼桜くんが、申し訳なさそうな顔で私の方を向く。
「勘違いしてました。一人で待たせてすみません……。一度くらいは見に行けばよかった」
「いいよ。これからはさ、もうちょっと言葉にしよう?」
「そうですね」
*
入学式の日、蒼桜くんを見かけた。やっぱり中学生だったらしい。
私は次、卒業だ。あと2つ年齢が若かったら、同じクラスになれたのかな、なんて。
私たちは目的もなく、ただ約束を交わして、桜の下のベンチを訪れる。
最初に出会った桜の下で、私たちはいつものように話していた。
「断ったんですか?」
「うん、急だったし。『付き合おう』って言われても、相手の名前すら曖昧だったからさ」
「じゃぁ。
「えっ?」
「俺と付き合ってください」
冗談で言ってるようには見えなかった。そもそも蒼桜くんは冗談を言うたちではない。
私は告白されるなんて、思ってもいなかった。
「えっと……」
嫌じゃない。あの名前すら曖昧だった人に言われた時とは違う。
嬉しいと言う名前の感情以外、説明がつかないこの感じ。心構えが全くできていなかった私は、戸惑いをあらわにする。
私はきっと顔を真っ赤にしているに違いない。
鳥のさえずりが、沈黙をより濃く感じさせてくる。
伝えなきゃ。言わなきゃ。でもなんて返せばいいの!?
いきなり告白とか……!
「桜花さん。明日の桜で会いましょう。その時に返事を聞かせてください」
私から背を向け、蒼桜くんが去って行く。
それが最後の私たちの約束。
*
あれから何年経っただろう。
絵本を手に取りパラパラとめくる。
桜は儚く切ないものだと言うけれど、毎年のように咲いて人々を楽しませてくれる生命力の強さは、儚いどころかめちゃくちゃ強いよね……。それも管理している人がいるからなんだろうけど、木の生命力には本当に驚かされる。
また春の季節がやって来るね。
窓の外はまだまだ寒い。でも、これくらいの時期から蕾はつき始めると私は知っている。
そろそろ桜の蕾が咲くと小耳にはさんだ。
その喜びを伝えるように、私は隣にいる貴方に春の知らせを告げる。
「一緒に桜を見に行きませんか」
きっとこれは、最後まで続く約束。
貴方は私が『貴方の顔色も見ずに話しかけた』なんて知ったら、貴方は驚くでしょうか。悲しむでしょうか。それとも、君らしいとでも笑うのでしょうか。
本から目を離した貴方は、私を見て微笑んだ。
「いいよ」
蒼桜は「もうそんな時期かぁ」なんて言いながら、外出の準備をしてくれる。
ちなみに私は、もう準備万端整っている!
早く早くと急かしたりしてないのに、蒼桜は小走りで準備をしていた。
私はそれを眺めながら、蒼桜の分の、桜のお供をカバンに入れる。
まだ肌寒い季節、暖かくして外へ行かなきゃね。
「今日けっこう寒いね」
「さぶい……」
繋いだ手から、蒼桜の温度が伝わってくる。
「今年もいい桜が咲くといいね」
「きっと綺麗な花が咲くと思う」
木の枝に、桜の蕾がついているのを眺めながら。
私たちは笑みを浮かべた。
明日の桜で会いましょう 水の月 そらまめ @mizunotuki_soramame
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