明日の桜で会いましょう

水の月 そらまめ

明日の桜で会いましょう



「明日の桜で会いましょう」


 桜もち片手に、花見をしていた私は隣にいた青年に声をかけた。


 ただ気まぐれに。

 返事も行動も期待もしていない。そんな言葉。

 私の顔は、ニコリと微笑んでいるはずだ。


 視線を感じて顔を見ると、青年は暗い顔をしていた。まるで……。



 ふふ、あらまぁ。

 中学生かな? そんな暗い顔しちゃって。人生いろいろあるよね〜。

 薄汚れ、落書きのされた自分の制服を一瞥して、また桜もちを口に入れる。


 この桜の下で、桜もちを食べるってのがいいよね〜。


 薄いピンクから濃いピンクまで、いろんな種類の桜が植えてあって綺麗。太陽の光が差し込むのとか最高。

 木漏れ日で桜餅は焼けるのかな?

 優美な桜から漏れた光なら、もっと美味しく焼ける気がする。


 ぱくっ。


 上品なあんこがまたいいのよね〜。


 風が私たちの間を吹き抜け、鳥のさえずりが耳から入ってくる。

 気にすることはない。このひと時を心に残して、また明日頑張ろう。


 届かない桜に手を伸ばす。ひらひらと偶然に落ちてきた桜が手に落ちた。

 潰さないようにキャッチできた私すごいな。

 心の中で自画自賛していると、少年が動いた音がした。その足で去って行く。


 私は気にすることはなかった。



 指を舐めて。桜をぼーっと眺める。


 時間が過ぎると、立ち上がり。私はその場を歩き出す。






 私は同じ場所へ行く。

 あっ、昨日の子だ。


「こんにちは」


 極力笑顔を意識しながら、正面からはっきりと声をかけてみた。

 青年は相変わらず酷く暗い顔をしている。

 桜と一緒に散ってしまいそうな顔、と言ったら笑われるだろうか。この人の笑顔を引き出すことができたなら、私も捨てたものじゃないかもね。

 ……もしかしたら、私も似たようなものかもしれないけど。


「こん、にちは」


 考え事をしながらじーっと見つめていた効果か、掠れた声が帰って来た。

 私は嬉しくなって隣に座る。

 今日のお供は白米ともやしです。


 もぐもぐ。


 何か話すわけじゃない。私と彼は昨日会ったばかりだし、何も知らない。ただそこにいてくれることが嬉しくて、ご飯が進む。

 今日は青年も桜のお供を持って来ていたようだ。バナナを食べながら、桜を見上げている。

 ハムスターみたいで少し可愛いな。



「ねぇ、名前は? 私は桜花おうか。桜に花と書いて、桜花。……君は?」


 青年は上に向けていた視線を私に向けた。手に持っていたバナナが折れている。

 今日少し暑いからか、彼から汗が流れ落ちた。


 会話はダメだったかぁ〜。

 ご飯を口に入れて、桜を見上げる。その時。


蒼桜そう


「ごっ、ごめん。聞き逃した! もう一回言って!」


 あぁ、私のバカぁ。大事なところ聞き逃しちゃうなんてっ!


「……蒼桜そうです」


「蒼桜くんか。いい名前だね」


 蒼桜くんは俯いて無言になってしまった。

 折れたバナナが地面に落ちて、即行拾う。3秒ルールだ、とでもいうように、それを拾って食べていた。

 すごい速さだったことに、くすくすと笑ってしまう。


 青年はまた俯いた。


 嘲笑っていると思われたかもしれない。ちゃんとフォローしますともっ。


「ふふ、笑ってごめんね。反応が早かったからびっくりしちゃって。私もたまにやるよそれ。たまに3秒以上経っちゃうんだよね……」


 私はお箸をカチカチと鳴らす。

 蒼桜くんは何も言わなかった。

 ちょっと急に距離を詰めすぎたかもしれない。

 名前を知ったら、知り合い以上友達未満でいいよね。今日はそれで満足しとこう。


 満開の桜、なんて素晴らしいことだろう。

 私は浮き立つような気分で立ち上がった。自然と笑みが溢れ、髪の毛が風でふわりと浮く。そして、彼に向かってあの言葉を口にした。


「また明日の桜で会いましょう」


 蒼桜くんがコクリと頷いた気がした。



 *



 次の日も、次の日も、また次の日も、そのまた次の日も。桜を眺めて、当たり障りない会話をする。

 『今日の天気はいいね』『暖かい日だ』『肌寒いね』『お菓子をどうぞ』『お茶が美味しい』

 毎回会話は少しだけ。長く話すことはなくとも、徐々に距離が縮まっていく気がした。


 もう友達と言ってもいいんじゃないかな。そんな言葉は心の中でだけ。NOと言われて傷つくことを恐れている。


 お化けと同じくらい怖い。


 そして今日も君と。

 ピンク色になった地面とベンチの上で、桜を眺める。


「暑いね」


「うん。虫も多くなって来た」


「……あっ、蝶々飛んでる」


「ほんとだ」



 どうでもいいことを話したり、話さなかったり。

 ただ桜を眺めて当たり障りない会話をする、静かな時間。とても心地良い距離感で。

 蒼桜くんと一緒にいると、心が穏やかになる気がした。


 このままずっと、こうしていられたらいいのに。桜の木の枝を見つめる。


 そして、今日。最後の花びらが散ってしまった。



「最後の花びらが散っちゃったね」


 悲しいやら、寂しいやら。でもまた咲くんだ。またここで、来年も。

 答えがないなと蒼桜くんを見る。すると、なにか言いたそうに私を見ていた。


「どうしたの?」


「その……」


「うん?」


 蒼桜くんの顔は暑さにやられてしまったのか、真っ赤になっていた。

 しっかりと水分補給しないと倒れちゃうかも。もしかして水がなくなっちゃった!?


 ふっふっふー、こんなこともあろうかと、私はプラスチックのコップを持って来てるんですよ。

 水を注いで、蒼桜くんに渡す。


「水飲んで、顔赤いよ」


「あ、うん……」


 蒼桜くんはゴクゴクとコップを飲み干した。

 暑いもんねぇ〜。


「もう一杯いる?」


「あ、うん」


 水を注ぐと、彼の体が震えていることに気づいた。

 いま地震が起きている感じはないから、震源地は蒼桜くんだ。


 熱中症かもしれない! それは大変だ! 動けなくなる前に移動しないと!


「ねぇ大丈夫? 涼しい場所に――」


「あの! …………あの」


 恥ずかしそうに、声を押し殺すように蒼桜くんは言う。


「……また、明日の桜で、会いましょう……」


 初めて言われたその言葉に、私は目を見開く。そして次の瞬間には笑っていた。


「うん。そうしようか。……ほら水分とって! 倒れないでよ!」


「あ、いや……もういいよ」



 *



 私は彼の方から誘ってくれたことが嬉しくて、次の日もいつものベンチで、桜の木の下で待つ。

 いつもの時間より早く注いてしまった。お供の蜂蜜をちびちび食べる。


 いつもの時間になったけど来ない。

 何かあったのかな? スプーンを加えて、青々と生い茂る草を蹴る。


 いつもの時間を1時間もすぎた。

 甘い口の中を水で流す。


 5時間が経った。

 空になった蜂蜜の入れ物をカバンに入れる。


「来ないじゃない……」



 次の日も、その次の日も蒼桜そうくんは来なかった。

 うんん、構いやしない。きっと彼は妖精さんだったんだよ。桜の花が咲く季節に現れる妖精さん。

 幻じゃ……ないよね?


 頬に流れる涙が、ひどく虚しく。

 ポッカリと胸の中に穴が空いたような空虚感が私を支配した。


 それでも季節は巡り、巡り、巡っていく。




 春。また桜の蕾がつき始める。


 もうそろそろ咲きそう。

 肌寒い季節でいつもの制服に身を包んだ私は、枝につき始めた蕾を見て思う。

 もしかしたら、あの桜の妖精さんがまた現れるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、桜の咲くであろう明日に心を躍らせる。


 もし来なくても、落ち込むことはない。


 だって妖精さんは気まぐれだから。




 次の日。

 最初の桜が咲いた。


「明日の桜の時期ですね〜」


 ぽつりと木の上で咲いた桜に手を伸ばしながら、私はつぶやいた。

 遠くて届かない。届くとしても、手で取ったりはしないけど。この桜に手を伸ばす瞬間が、なんとなく楽しい。


 そろそろ入学式か……。

 薄い青色の空が、氷のよう。


 まだまだ桜は満開には程遠い。人気のないこの場所で、私はいつも一番乗りだ。桜の信者と呼んでくれたまえ。

 足音がして振り返る。残念だったな、一番桜は私がもらった。とドヤ顔してやるつもりだ。


「こんにちは。今年も綺麗に咲くといいですね」


「えっ? ……あっ!」


 振り返った先には蒼桜そうくんがいた。

 驚いた。蒼桜くんは、あの日とは似ても似つかない姿だった。瞳がどんよりと暗くない。顔色も良くなった蒼桜くんは、恥ずかしそうに頬を掻いた。


「やっぱり、桜が咲くと出てくる妖精?」


「よ、ようせい?」


「だって蒼桜くん。あの次の日、来なかったから……」


「えっ!? いや、明日の桜で会いましょうって、いつもっ。全部散っちゃったねって、桜花おうかさんがっ!」


 めちゃくちゃ口数が多くなってる……。


 弁解するように言った蒼桜くんは、私に背を向けて何かぶつぶつ言い出す。

 私は私で、ひとりで妄想して悲しくなってた事に、羞恥を覚えていた。


 えぇ……! まさか。まさかまさかの…………えぇー!

『明日の桜で会いましょう』って、本当に桜が咲いたら来るってことなの!? 確かに全部散ったとは言ったけど。言ったけども!

 ……なんというか、……律儀ね。コミュニケーション不足って怖いなぁ。ふふっ。


「私たちって、口下手だね」


 ビクッとした蒼桜くんが、申し訳なさそうな顔で私の方を向く。


「勘違いしてました。一人で待たせてすみません……。一度くらいは見に行けばよかった」


「いいよ。これからはさ、もうちょっと言葉にしよう?」


「そうですね」



 *


 入学式の日、蒼桜くんを見かけた。やっぱり中学生だったらしい。

 私は次、卒業だ。あと2つ年齢が若かったら、同じクラスになれたのかな、なんて。


 私たちは目的もなく、ただ約束を交わして、桜の下のベンチを訪れる。

 最初に出会った桜の下で、私たちはいつものように話していた。



「断ったんですか?」


「うん、急だったし。『付き合おう』って言われても、相手の名前すら曖昧だったからさ」


「じゃぁ。蒼桜そうって名前の人はどうですか?」


「えっ?」


「俺と付き合ってください」


 冗談で言ってるようには見えなかった。そもそも蒼桜くんは冗談を言うたちではない。

 私は告白されるなんて、思ってもいなかった。


「えっと……」


 嫌じゃない。あの名前すら曖昧だった人に言われた時とは違う。

 嬉しいと言う名前の感情以外、説明がつかないこの感じ。心構えが全くできていなかった私は、戸惑いをあらわにする。


 私はきっと顔を真っ赤にしているに違いない。

 鳥のさえずりが、沈黙をより濃く感じさせてくる。


 伝えなきゃ。言わなきゃ。でもなんて返せばいいの!?

 いきなり告白とか……!



「桜花さん。明日の桜で会いましょう。その時に返事を聞かせてください」



 私から背を向け、蒼桜くんが去って行く。


 それが最後の私たちの約束。



 *



 あれから何年経っただろう。

 絵本を手に取りパラパラとめくる。


 桜は儚く切ないものだと言うけれど、毎年のように咲いて人々を楽しませてくれる生命力の強さは、儚いどころかめちゃくちゃ強いよね……。それも管理している人がいるからなんだろうけど、木の生命力には本当に驚かされる。


 また春の季節がやって来るね。

 窓の外はまだまだ寒い。でも、これくらいの時期から蕾はつき始めると私は知っている。



 そろそろ桜の蕾が咲くと小耳にはさんだ。

 その喜びを伝えるように、私は隣にいる貴方に春の知らせを告げる。


「一緒に桜を見に行きませんか」


 きっとこれは、最後まで続く約束。


 貴方は私が『貴方の顔色も見ずに話しかけた』なんて知ったら、貴方は驚くでしょうか。悲しむでしょうか。それとも、君らしいとでも笑うのでしょうか。

 本から目を離した貴方は、私を見て微笑んだ。


「いいよ」


 蒼桜は「もうそんな時期かぁ」なんて言いながら、外出の準備をしてくれる。

 ちなみに私は、もう準備万端整っている!


 早く早くと急かしたりしてないのに、蒼桜は小走りで準備をしていた。

 私はそれを眺めながら、蒼桜の分の、桜のお供をカバンに入れる。



 まだ肌寒い季節、暖かくして外へ行かなきゃね。


「今日けっこう寒いね」


「さぶい……」


 繋いだ手から、蒼桜の温度が伝わってくる。


「今年もいい桜が咲くといいね」


「きっと綺麗な花が咲くと思う」


 木の枝に、桜の蕾がついているのを眺めながら。

 私たちは笑みを浮かべた。




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