3-3 市場と子供とボルシチと
用事も済ませたしさぁ帰ろう、と言うところで大通りから外れた小さな路地に倒れ伏す人を見つけてしまった。
目に入ってしまった以上このまま放っておくわけにもいかないので、気乗りはしないものの一応の安否確認をしたのだが――
「……あー、メイナ。これはどう思う?」
「……ギリギリ、生きているのでは、ないでしょうか?」
僕が判断しきれずメイナに質問を飛ばしても疑問形で言葉が返ってくるくらいには衰弱している状態だった。
前世含めてここまでの状態の人は初めて見たよ。
呼吸の感覚は狭く、浅い。
服に覆われていない腕や腕、首なんかは物凄く細いし、頬は痩せこけている。
男性なんだろうけど、どう見ても満足に食事をできていないことがわかる。
これは単純な空腹もあるだろうけど、栄養失調も重なって倒れたって言うのが一番可能性が高いかなぁ。
……流石に、放っておくことはできないよなぁ。人として。
「メイナ、悪いんだけど大通りの露店で具の少なめなスープを買ってきてもらってもいいかな?」
「かしこまりました」
メイナにいくつか硬貨を渡してスープを買いに行ってもらう。
商売地区は買い物に来ている人や、長旅を終えたばかりの商人を狙って料理を販売する露店があるので、手軽に食事を買うことができる。
今回はそれがいい方向に働いてくれた。
これだけ衰弱している人を下手に運ぶのは危険だし、何より僕の貴族としての立場を考えれば、こういう人を助けるのはよくない方向に働くこともある。
例えば、あの貴族は無料で平民を助けてくれるぞ、とか言った噂が広まってやたらと催促されるようになったりとか。
なので今のように人目につきにくい場所で、尚且つ僕の持つスキルを活かしやすい環境であることはかなりいいことなのだ。
と、そんなことを考えつつ倒れている人の様子を確認していると、メイナがスープの入ったお椀を片手に戻ってきた。
メイナからスープを受け取り、僕のスキルを発動させるための条件を整える。
と言ってもやることはほんの少し塩を加えて味を調整するだけだ。
これで条件は整った。
あとはこの人に必要そうなバフ、体力向上と回復力向上、ほんの少し筋力強化も入れて完成。
「メイナ、この人の体を少し起こしてもらえる?」
「はい」
メイナが地面に倒れている男性の背中に手を差し込んで上半身を起き上がらせると、わずかに目を見開いた。
多分、この人の軽さに驚いているんだろう。
見た目以上に軽かったり重かったりすることは結構あるからね。
スプーンでスープをすくい、男性の口元に持っていって隙間からスープを流し込む。
……うん、飲み込んでくれたみたいだ。喉が動いたから間違いない。
少し待ってみたけど、戻すような様子はない。
これだけ痩せているのなら胃が弱っているだろうし戻さないように、とスープにしたが正解だったようだ。
メイナに上半身を支えてもらった状態で、ゆっくりとスープを男性の口に運び続ける。
四回目くらいからぼやっ、とした感じではあるが男性が意識を取り戻したので思ったよりも早くお椀が空になった。
これでバフの効果が出てくるはずだ。
「えっと、大丈夫ですか?」
「……」
あー、もう少し時間が必要かもしれない。
声をかけてみたけどぼーっとしたままで意識がはっきりしていないように見える。
仕方がないのでそのままメイナに男性の体を支えてもらってしばらく待つと、次第に男性の目の焦点が合い、意識もはっきりとしてきた。
男性は目を何度か瞬かせ、キョロキョロと辺りを見回してから目の前にしゃがんでいる僕に視線を向けた。
「……ぁの、えっと、私はここで何を……?それにあなたたちは一体……?」
「えっと、ですね。僕はクラヴィスで、そちらがメイナ。あなたは多分、極度の空腹と栄養の不足によってここに倒れていたので、僕たちが介抱しました」
メイド服姿のメイナを連れているのであまり意味はないかもしれないが、一応貴族の証である家名は隠しつつ男性に問いかけられたことに答える。
すると男性は口を閉じて何かを考え始めた。
僕たちの言葉の信憑性について考えているのか、それとも僕たちから利益を得られると考えているのか。
何にしろこの人は思慮深い人のようなので、ひとまず安心。
だって短絡的に物事を考える人だったら色々と面倒だったし。
数十秒ほどして男性がパッと顔をあげ、僕の方に向き直った。
「まずは倒れていた私を介抱してくれたこと、ありがとうございます。ここ数日の生活を思い返してみて、あなた方に助けられなければおそらく私は死んでいたでしょう。本当に、ありがとうございます」
「いえ、僕たちがあなたを見つけたのは偶々ですし、あれほどひどい状態でなければリスクのことを考えて助けなかったでしょうから。感謝は不要です」
実際、渋々といった感じで男性の安否を確認しに来たし、あれほど衰弱していなかったら今言った通り僕は無視していたはずだ。
だからこそ純粋な感謝を受け取るのは躊躇われた。
「ですが、私があなた方に救われたことは事実。どうか感謝を受け取ってください」
「うーん……」
多分、僕が頷かないと話が進まないよなぁ……。
「わかりました。感謝を受け取ります」
「ありがとうございます」
感謝を受け取ったことに対して感謝を告げられた。
変な気分だ。
「それと、申し遅れました。私の名前はイリス。この東区の片隅で暮らす平民です」
イリスと名乗った男性はそう言って軽く頭を下げる。
そして顔を上げて再び僕を捉えた彼の瞳には、一瞬前とは全く異なる真剣な色が宿っていた。
「クラヴィス様。あなたが裕福な家庭の方であるとお見受けして、一つお願いがございます」
「……お願い、ですか」
「助けていただいた身でありながら、図々しいことは承知の上です。ですが、どうか食べ物を恵んでいただくことはできないでしょうか?」
「それは、あなたが食べる物、と言うことでしょうか?」
「いいえ、違います。私と共に暮らす幼い子供たちへの物です」
イリスさんの瞳に宿る真剣さは本物だ。
まず、嘘ではないだろう。
それにのっぴきならない事情もあるのだろう。
でも――
「申し訳ありませんが、それはできません」
「……ッ」
イリスさんの言葉から察するに、彼は孤児院のような活動をやっているのだろう。
でなければ子供たちと暮らしているなんて言わないだろうし、自分の子供ならばそう言うはずだ。
孤児院のような施設に貴族が手を出すことはあまり好ましくない。
権力や地位に固執する人間の多い貴族、そんなものが孤児院に関わってしまったら代理戦争の場にされてまともな未来なんてものは無くなってしまう。
だから、僕がその先陣を切るような真似――食料の援助なんかはできない。したくない。
最後の希望を失ったようにイリスさんは視線を地面に落としてしまう。
僕はその場を立ち去ろうとイリスさんに背中を向けようとした。
だが――
「――お待ちください」
メイナの発した言葉に僕の動きは止められた。
「私からも、どうかお願いいたします、クラヴィス様」
視線を向けた先でメイナが立ち上がり、深々と頭を下げていた。
「……理由を聞いてもいいかな?」
「はい。私はクラヴィス様に忠誠を捧げています。そして、それと同時にクラヴィス様に対して敬愛も抱いております。だからこそ、クラヴィス様と年齢が近しいであろう子供たちの不幸をそのままにはしたくないのです」
この世界では一般的に十五歳未満の年齢は子供として区別される。
イリスさんもその辺りの常識は持っているだろうから、彼の言う子供たちが十二歳の僕と年齢が近いのは当然のことである。
メイナはそこに僕とイリスさんの言う子供たちを重ねてしまったのだろう。
メイナにこう言われてしまっては、リスクを考えても僕は断る理由を無くしてしまう。
僕はメイナにずっとお世話になってきたのだから。
ネックレスくらいでお返しができるはずもない。
「……場合によっては、子供たちがもっと不幸になるけどいいの?」
「そこは、クラヴィス様を信用していますから」
「そっか……。イリスさん、先程の返事は無かったことにしてください」
地面に座り込んだままのイリスさんに瞳に光が宿る。
「案内してください。メイナのお願いでもありますから。根本的に、解決しましょうか」
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