3-1 市場と子供とボルシチと
冷たく乾いた風が葉っぱが枯れ、物寂しくなった木の枝を揺らす。
すぅ、と軽く息を吸っただけでも肺が冷たくなり、そこから全身の体温が下がっていくような気がする。
こんな寒い冬の日くらい屋敷の中でゆっくりとしたいのだが――
「おらぁ、動きが止まってるぞぉ。さっさと剣を振りやがれぇ」
一応は、僕の剣術の指南役となっているクライスさんが僕を外に放り出してくれやがった。
しかも最低限の防寒着すら渡してもらえぬまま。
おかげで僕は必死に剣を振り続けなければ寒さで凍え死んでしまいそうになる。
それなのに僕の指南役であるクライスさんはと言えば、暖炉のある暖かい部屋の中で温かいコーヒーを飲みながら窓越しにこちらに指示だけを飛ばしてくる。
しかも視線を向ければ僕を嘲笑うかのようにニヤニヤとした笑みを浮かべているのだから、やってられない。
今すぐに屋敷の中に入ってクライスさんの顔面を思い切り殴ってやりたい。
でも、クライスさんは指南役という立場を利用して「クラ坊が修練を途中で投げ出さないためだぁ」とか言って屋敷の扉の鍵を閉めやがったので、中に入ることができない。
一応、クライスさんが提示したメニューを済ませれば中に入れてもらえることにはなっているが、どう考えても一日で終わらせることができる量ではない。
つまり、クライスさんが満足するまで僕は外で剣を振り続けなければいけないのだ。
もう長い付き合いだからわかる。
今日のメニューは明らかに僕を虐めて楽しむためのものだ。
性根が腐っている。
まぁ、僕も日頃の恨みからクライスさんの食事に下剤を混ぜたりもしたが、ここまでやることはないはずだ。
いや、本当に。
「今度は食事に生殖機能低下のデバフをかけてやろうか……」
クライスさんが発狂する姿を思い浮かべながら寒々とした空の下、僕は剣を振り続けた。
自分のスキルを認知した時から二年。
十二歳のとある冬の日のことだ。
==========
暖炉の火がパチパチと心地よい音を立てる温かい部屋の中。
「――開けてくれぇ〜。寒いんだよぉ〜」
もこもことした毛布を羽織り、ソファの上で膝を三角に折った僕は手の中で湯気を放つコップに息を吹きかける。
「――俺が悪かったぁ〜。もうしないからよぉ〜」
ずずずっ、と吸うように口をつけると、ふわりと甘い香りと味が口の中に広がる。
ごくりと飲み込めば、じんわりとお腹の辺りからの熱が体全体に広がっていく。
「――本当に凍え死にしそうなんだよぉ〜。開けてくれぇ〜」
外から聞こえてくる心地のいい声に気分をよくしながら続けてもう一度コップに口をつける。
あぁ……。冬はやはりココアが最高だ。
「――さ、寒い……。なんで冬ってのはこんなに寒いんだぁ……?」
あぁ……心地のいい声のレベルが一つ下がってしまった。
外から聞こえてくる心地のいい声。
その持ち主は、クライスさんである。
何があったのかと言えば、自分は暖かい部屋に居ながら僕を凍えそうな寒さの中に放り出していたクライスさんは、その行動を見かねた僕の専属メイド、メイナによって外に放り出されたのだ。
もちろん防寒着なしで。
そして入れ替わりに僕が屋敷の中へと入れられ、扉の鍵をメイナが閉めた、というわけだ。
僕とクライスさんの立場が入れ替わってからかれこれ三十分くらいは経過しただろうか。
そろそろクライスさんが可哀想になってきたので、僕は立ち上がって窓を少しだけ開ける。
「クライスさん、寒いんだったら剣を振ったらどうですか?剣を振れば体も温まるでしょうし」
「……ク、クラ坊。別に剣を振らなくても俺を中に入れてくれれば――」
「それじゃ、頑張ってください」
「クラ坊ぉぉぉぉっ!」
僕はやられたら何倍にもしてやり返すタイプだ。
もうしばらくは苦しんでもらおう。
と、そんなことをしていると眠気が襲ってきた。
暖かい部屋に居たせいだろうか。
まぁ、何でもいいや。
今日は座学の授業も入って居ないのでこのまま寝ることにし、ソファの上に横になるとそのまま意識を手放した。
==========
「――ヴィス様。クラヴィス様」
幼少の頃より聴き慣れた声に沈んでいた意識が浮上する。
ゆっくりと目を開ければ、これまた慣れ親しんだ女性の顔が視界に映る。
「……あぁ、おはようメイナ」
「おはようございます、クラヴィス様。こんなところで寝ていては体を痛めますよ?」
「ん〜……はぁ。それもそうだね。でももう、眠気は冷めちゃったから」
ぐーっと体を伸ばしソファから立ち上がれば随分とスッキリしている。
視線を窓に向けると、外の明るさはあまり変化していないのでそこまで長い時間眠っていたわけではなさそうだ。
「あ、そうだ。クライスさんは?」
「クライス様なら玄関扉の横で丸くなっております」
「……それって生きてる?」
「……残念なことに、生きております」
「そっかそっか」
メイナはクライスさんが嫌いみたいだ。
まぁ、それも仕方ないか。
自惚れでも何でもなく、客観的事実としてメイナは僕のことをかなり気に入ってくれているようなので、僕をいじめるクライスさんにはいい印象を持てないのだろう。
それはそれで面白いからいいんだけど。
「まぁ、流石に死なれたら困るし。そろそろ屋敷の中に入れてあげつつ、商店街の方でも見に行こうかな。いい食材があるかもだし。メイナも一緒に来る?」
「是非ご一緒させてください」
「なら準備をしようか」
今度はしっかりと防寒着を着込んで寒さ対策をして、いつも通りマジックバックを二つ持って玄関扉を開く。
外に出ると寒さを感じはするが、全然我慢できるレベルだ。
防寒着って偉大だね。
さて――
「クライスさん、もう屋敷の中に入ってもいいですよ。でもこれからは――」
ビュンッ、と僕が言葉を言い切る前にクライスさんは屋敷の中に駆け込んで行った。
よっぽど寒かったのだろう。
可哀想とは思わないけど。
「じゃあ、行こっかメイナ」
「はい、クラヴィス様」
僕はメイナと二人、商店街に向けて出発した。
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