1-ex 元貴族令嬢と元貴族令息
今はもう、辿ることのなくなった歴史。
本来、世界に刻まれるはずだった歴史、その一端。
一人の伯爵令嬢と、一人の侯爵令息が『物語』から去った後の話。
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貴族たちがそれぞれの才能や素質を開花させ、成長させるために通う王立貴族学園。
四桁の人数の貴族令嬢、令息たちが通う学園の校舎、その地下にはひんやりとした空気の漂う牢屋が設置されていた。
その目的は自身の才能に溺れ、学園内で傷害事件を起こす貴族生徒が発生した時に一時的に閉じ込めておくこと。
ここ数十年、そういった生徒がいなかったために全く使われていなかったそこには、今は二人の生徒が入っていた。
一人は貴族学園の制服を身に纏った令嬢だ。
だが、その姿は令嬢と呼ぶには相応しくない。
本来、美しかったであろう青みがかった銀髪はくすんでいて、ところどころに灰や煤が付着して黒くなっている。全体的にゴワゴワとしており枝毛の数も多い。
制服も髪同様に灰と煤で汚れ、上着やスカートに至っては破れている部分も見られる。
布に覆われていない手や足、顔などの肌には複数のかすり傷が存在している。
それでも、彼女が令嬢であるとわかるのはその瞳に宿った強さゆえなのだろうか。
その答えはわからない。
そして牢屋に入っているもう一人は同じく学園の制服を身に纏った令息だ。
彼も令嬢同様に髪はくすんでおり、ところどころ破れた制服と同じく灰と煤で汚れている。
かすり傷が多いのも同様であるが、彼の場合は左手に包帯が巻かれていた。
包帯には一目で大きな傷であったことがわかる量の血が滲んでいる。
彼は令嬢ほどその瞳に強さを宿してはいない。
だが、その表情は何か憑き物が落ちたようにすっきりとしたものであり、随分と穏やかなものだった。
彼らは同じ牢屋の中、お互いに向き合う形で壁に背を預けて座っている。
その間に言葉はない。
ただただ、沈黙だけが漂っていた。
ギィ、と木の扉が軋んだ音が沈黙を破った。
靴音を鳴らして牢屋の前に三人の人物がやってきた。
一人は威厳のある佇まいをした初老の女性。
一人は芯の強さの窺える瞳をした少年。
一人は優しげな雰囲気の中に確かな信念を持った少女。
チラリと視線を向け、令息が最初に口を開いた。
「……なんだ。外はもういいのか?」
「ああ。学園は随分とボロボロにされてしまったけどね。おかげさまで魔獣は特別個体を含めて、全て片付いたよ」
「……ハハハッ」
初老の女性が皮肉混じりにそう返すと、令息は声を溢した。
「そうか……アレを倒したのか。お前か?」
令息の視線の先には少年がいた。
少年はまっすぐに令息を見据えて口を開く。
「そうだ。俺が倒した」
「そうか……そうか……」
「なぁ、お前はどうして、こんなことをしたんだ?」
「どうして、か……」
令息は過去を振り返るように視線をあげ、一つ息を吐いた。
「最初はお前よりも上に立つため、お前が俺よりも下であると確定させるため。……そして最後はお前に勝つため。だが、あそこまでしてダメだったのなら、俺にはもう、どうすることもできん」
「……」
「負けを認める。これ以上、言うことはない」
「……今は、どうなんだ?」
「……」
「……今、お前は何を思ってるんだ?」
「……」
「答えてくれよっ!」
まるで少年の言葉が聞こえていないかのように振る舞う令息に、少年が叫び、牢屋の鉄格子に飛びつく。
だが、それでも令息は少年の方に視線を向けようとすらしない。
先ほどの言葉が全てだ、とでも言うように。
続けて何事かを叫ぼうとした少年の肩に女性が手を置いた。
「そいつはもう、何も言うつもりがないみたいだね。これ以上何を言っても無駄だよ」
「で、でも――」
「諦めな」
女性の言葉に少年はだらりと鉄格子から手を離した。
女性は少年はそのままに、自分の後ろにいる少女へと視線を向けた。
その視線を受けた少女は小さく頷くと、鉄格子の直前まで進み口を開いた。
だが、その口から音が発せられる前に凛とした、強い意志の宿った言葉が少女へと向けられた。
「――何も、おっしゃらないでくださる?」
言葉を発したのは鉄格子の向こうにいる令嬢だった。
「
「違いますっ。私は、ただっ――」
「口を閉じてくださいな。
「……ッ」
少女はグッと口を結び、一度視線を下げた後、再び上へと向けた。
そして、令嬢の姿をまっすぐと見据え、元の場所へと戻った。
令嬢はそんな少女の姿を見て、微かに目元を緩めた。
「……二人とも、話は済んだね」
少女が自分の後ろに戻ったことを確認して女性はそう口に出した。
少女が小さく頷き、少年も遅れて小さく頷いた。
それを確認した女性は牢屋の中の二人へと、静かに言葉を告げる。
「今回の件、国王陛下より判決が下された」
二人は黙って女性の言葉に耳を傾ける。
「お前たちは、貴族位を剥奪し平民の身分へと落とした上で、国外追放となった。今後一切、生家の姓を名乗ること、この国の土地を踏むことを禁じる」
「……受け入れよう」
「……受け入れますわ」
二人は、静かに頷いた。
女性が言葉を続ける。
「それと、お前たちの父君たちから伝言を預かっている。『長く苦しめ』と」
「……」
「……そう」
令息は沈黙を。
令嬢はただ一言、短く言葉を溢した。
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隣国との国境線は、広い平野を二つに分けるように流れる一本の川を基準にして決められている。
その川の手前、まだ自国内の領土である場所で一台の馬車が止まった。
罪人を輸送する際に使われる、格子付きの小さな窓が一つだけついた粗末な作りの馬車だ。
馬車を運転していた兵士が扉を開き声をかけると、学園の地下牢にいた時と同じ格好をした令息と令嬢が降りてくる。
二人は兵士から手錠を外された後、広い平野へと視線を向ける。
実に、穏やかだった。
背の低い草が地面を覆い、遮られることのない風がふわりと吹いて、雲のない青い空へと流れていく。
これまで二人が過ごしてきた日常とは全くかけ離れたものであった。
「おい、こちらを向け」
兵士に呼びかけられた二人が振り返ると、兵士がそれぞれに向けて片手を突き出していた。
その手には拳大の皮袋が乗せられていた。
「これは?」
「さる方々より、お前たちに渡すように、と言われている。受け取れ」
兵士の手に乗った皮袋を持ち上げると微かな重みとチャリ、と中で何かが擦れる振動が伝わってきた。
兵士は何もなくなった手を下げると、静かに二人へと告げる。
「罪人たちへ告ぐ。今、この時を持って貴様たちはこの国の民ではなくなり、この国への侵入を永久に禁ずる。もし許可なくこの国へ侵入した場合には、その命はないものと思え。このまま川を越え、隣国へと渡れ。以上だ」
兵士はこれで仕事は終えた、と二人に背を向け馬車を運転して王都へと戻って行く。
その光景を二人は静かに眺めていた。
「怠惰ね。罪人の国外追放は、罪人が見えなくなるまで監視するのが仕事でしょうに」
「全くだ」
令嬢が視線を下げ、自分の手に持った皮袋の口を開き、中を覗いた。
そこには銀色に輝く硬貨が数枚、それも隣国でも使用可能な国際通貨が入っていた。
フッ、と笑みが溢れる。
「お父様も、馬鹿な人ね。罪人になった娘に選別を渡すなんて」
「それを言うのなら、俺の父も同じだろう」
二人はそんな言葉を交わしてしばらく、揃って川を越えて隣国の領土をその両足で踏んだ。
川を越えたくらいで景色は変わらない。
だが、二人の身分は大きく変わった。
「これから、どうするの?」
令嬢が平野へと視線を向けたままに尋ねる。
「一番近い街へと向かって、そこで家と職を見つける」
「そう……」
二人の間に沈黙が生まれる。
二人並んで、平野を眺めながら立ち尽くす。
沈黙を破ったのは令嬢だった。
「ねぇ、一緒に行かない?」
「……何故だ?」
「今まで貴族としてしか生きてこなかった人間が、急に平民として生きていけると思うのかしら?きっと、失敗しかしないわよ」
「だろうな」
「そういう時、一人よりも二人の方が色々と楽になるんじゃないかしら?」
令息が少し間を開けて答える。
「……二人でやってきた結果がコレだ。また、同じような目に遭うかもしれん」
「構わないわ。もうどん底まで落ちているもの。これ以上なんてないわよ」
再び沈黙が生まれる。
今度は、令息が沈黙を破る。
「……何故、ここまで俺と一緒に来た?お前なら、もっとうまくやることもできただろう」
「……婚約者、だからよ」
ひどく曖昧で、抽象的な答えだった。
だが、付き合いの長い令息にとっては、その言葉だけで十分だった。
「……元、だ。もう意味のない関係だ」
「そうね。でも、私があなたの婚約者であった事実は消えないわ」
二人は静かに前へと進み始めた。
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