瞳の中のブルーバード
あば あばば
瞳の中のブルーバード
「ブルーバード、おまえは何を見ている?」
舞闘人形オールドローズは、空を見上げて突っ立ったまま数時間になる好敵手にそう問いかけた。青い鳥の名を持つ人形は、きりきりと音が聞こえるようなゆっくりとした動作で首を回し、オールドローズを見返した。
「空の向こうを見ているの」
「空の向こうには何も無い。おまえは虚空を見ているんだよ。おまえの心とおんなじだ」
「……そうなのかしら」
そう呟いて、かくんと首を傾げるブルーバード。
オールドローズは思考も言動も緩慢なこの人形が嫌いだった。
作られた人格であっても、彼女たちには明確な個性が存在する。薔薇の名を持ち、孤高にして気高い心を与えられた彼女は、醜さや劣った者を本能的に憎む。ブルーバードは外見こそ秀麗であったが、その言動は愚鈍そのものだった。少なくともオールドローズにはそう見えた。
鈍い反応。いつも無心で、空虚な受け答え。何もせず、何も楽しまず、毎日ただぼうっと空を眺めている。
だからこそ、こんな人形が自分よりも強く、大勢に愛されていることがオールドローズには許せなかった。
「明日の舞闘で、私はおまえを壊すだろう。その空っぽの瞳も、二度と見なくて済む」
「……そう」
人形たちの舞いは苛烈である。身体に内蔵された兵器を惜しみなく使い、相手の腕を折り足を砕き、動けなくなるまで戦い続ける。オールドローズの場合それは両腕を変形させて形作る大きなボウガンだ。人間で言えば橈骨と尺骨にあたる部位が左右に開き、電磁力によって筒状の弾体を加速させ射出する。
しかし本興行と呼ばれる大舞台を除いては、互いの完全な破壊は禁じられている。舞闘はあくまで見世物であり、人形は金を呼ぶ大事な商売道具である。舞闘場の主人が人形の「死」を許すのは、それが華々しく客を惹きつけるものになると確信している時だけだ。
そして、明日こそがその大舞台となる。
「それだけか? 他に何も言うことはないのか」
オールドローズはブルーバードの視界をふさぐように立ちはだかった。その顔は不機嫌だったが、彼女の内面に渦巻く怒りに比べれば表情は固かった。どれほど精巧に作られていても、彼女たちの顔は人間のようには表情を表すことができないのだ。
「お前は舞闘に対して思うことはないのか。何度も競ってきた私への敵愾心も、勝利してきた自分への誇りもないのか。それだけの優れた体を与えられて……」
オールドローズの目線はブルーバードの体を上から下へ舐めた。
舞踊のために作られた長い手足。頭上の空のように青く澄んだいドレス。小さな顔に浮かぶ、純真で欠けることのない微笑み。瞳は常にどこか遠くを見ている。
細い胴の中には、高出力の小型推進装置が内蔵されている。舞闘が始まると稼働するそれは、肋骨の位置に空いた噴出口から青い燐光を放出し、彼女の体を自在に宙へ舞わせる。観客たちだけでなく、舞闘の相手までもが青い鳥の舞いに見とれ、気づいた時には頭上から急降下してきた人形の手によって体をへし折られるのだ。
「ええと……わたしは、わからない」
ブルーバードは、オールドローズの問いに困惑した表情でそう答えた。
その返答を聞いた瞬間、オールドローズは自分でも予期していなかったほどに深く失望していた。今までも彼女を愚かと思っていたが、心の何処かでまだ期待していたのだ。この舞闘場で頂点を争う者同士として、彼女にも秘めた何かがあるのではないかと。
だがそうではなかった。この人形は、本当にただの人形なのだ。
ほとんどの場合、人形たちの自我は希薄なものだ。特に力の優れない、何度か舞闘に出てすぐに処分されるような者たちは、『自分』という意識さえはっきりとしない。言われるままに戦い、言われるままに舞い、そのまま舞台の塵となる。
しかしオールドローズや他の上級に位置する人形たちは、それだけ人工知能にもよい部品とソフトウエアが使われている。本人たちは知りもしないが、それが彼女らに個性や哲学を与え、結果として彼女たちの舞闘をより美しく見応えあるものにするのだ。
オールドローズは理由までは知らずとも、自分が他と違っていることは気付いていた。同類たちと戦い、壊し合うために生まれたことの意味を考え、矛盾を感じるだけの知性を持っていた。
その矛盾から逃れるため、彼女は『誇り』という答えに行き着いた。
舞闘人形の役目は客を楽しませ、同時に軍事企業のマネキンとして兵器のデモンストレーションを行うこと。ならばその役目を誰よりも上手く果たし、誰よりも華麗な舞闘を行い勝利することこそ、自分の存在価値に対する唯一の証明になる。そう、信じた。
「おまえは価値のないがらくただ。壊れてしまえば、みんな夢から覚めるだろう」
「夢……」
しかし、オールドローズはずっと待っていたのだ。自分と同じように苦悩し、生きる意味を探す同胞を。ただの人形ではない誰かを。そんなものが存在するのなら、きっと自分より強い者だろうと思っていた。
ブルーバードがそうでないなら、そんな者はこの世のどこにもいない。そして、自分もきっと同じがらくたなのだ。
「……わたし、夢ならあるわ」
「なんだと?」
不意に自我を見せたブルーバードに、オールドローズは驚いた。
彼女の知る限り、ブルーバードの表情は変わったことがない。舞闘の時もそれ以外も、心ここにあらずといった風の謎めいた微笑みを常に浮かべている。観客たちはその微笑みの意味を探ろうとし、彼女の舞闘をこぞって見にきた。オールドローズや他の人形から見れば、それはただの空虚な微笑みでしかなかった。彼女はそういう顔に作られただけ。何も考えていないから、いつも同じ顔なのだと。
しかし今、ブルーバードはいつもよりわずかに目を見開いていた。
「みんな知らないと思うけれど、空ってとても広いのよ。高く飛ぶとよくわかるの」
「……そんなこと、飛ぶまでもなく誰でも知っている」
そう口にしつつも、自分が本当に知っているわけではないことも理解していた。知識として、空は無限に続くものだと知っている。だが、多くの人形たちが見るのは舞闘場の高い壁に切り取られた小さな空だけだ。
「そうなんだ……。わたしはね、あの空が欲しい」
「…………」
「ずっと夢みてるの、そんなこと。一日の始めから終わりまで」
オールドローズの思考回路では、ブルーバードがなんらかの譬え話をしているのか、それとも文字通りのことを言っているのか理解しかねた。いずれの解釈をするにしても、その言葉は愚かに聞こえた。
「小鳥に空は手に入れられない」
ブルーバードはその言葉を聞いて、微笑むのをやめた。
真顔の彼女を見るのは初めてだった。オールドローズはうっすらと恐怖を感じた。
それから数秒経って、ブルーバードはまた微笑んだ。
「うん。だから夢みるの」
「……私にはわからない」
奇しくもその返答は、ついさっきブルーバードがオールドローズに返したのと同じ言葉だった。
オールドローズはブルーバードに得体のしれないものを感じていた。この人形はもしかすると、思ったほど愚かではないのかもしれない。しかしその瞳にあるのは知性だとも思えない。論理的な思考ではない、もっと不可解で壊れたもの。そして、自分には絶対にないものだ。
「オールドローズ。お願いしてもいいかしら」
「私に?」
「そう。あなたがいいな。あなたの花が好き」
「……」
ブルーバードは警戒の目で相手を見た。この人形は壊れている。口から出る言葉はすべて毒かもしれない。
「明日、わたしが一番高く飛んだらね。そうしたら、しっかり狙って射ってね。他の誰かより先に、あなたの手で落として欲しいの。綺麗に落ちたら、お花をちょうだいね」
ブルーバードはそう言い終えると、返事を待たずに立ち去った。オールドローズは唖然とするあまり、その言葉の真意を聞くこともできなかった。
夜。品質管理用の箱という名のケージに横たわり、人形の心は浅い眠りの中でブルーバードの言葉を何度も反芻する。
(……あれは私に、勝ちを譲るということか? 自分から負けようとする人形がいる? あり得ないこと……私の知識には存在しない……)
(戦うために存在する私たちが勝利を手放してしまえば、後には何も残らない。意味のない言葉。あれは空っぽの人形だ。あの瞳も……空虚だった)
とりとめのない思考の渦の中で、オールドローズは自分がその空虚を恐れているのだと漠然と理解していた。
嫌悪の正体は恐れだったのかもしれない。自分もまたこの人形と同じ、空っぽなのかもしれないという恐怖。その暗い思考の渦から逃れるために、勝ち続けなければならなかった。証明し続けなければならなかった。自分の番が来るまで――
(花……私の、花……)
オールドローズの衣装にはその名になぞらえて、薔薇の造花があしらわれていた。
おそらくはその花を指して言ったのだろう。だが、そんなものを欲しがる理由がわからなかった。戦いの度に作り直される、使い捨ての花。自分という本当の花を引き立てるだけのもの。
(くれてやるよ、そんなもの。お前の終わりを見られるなら)
人形たちは互いの死に大きな感情を抱かないようにできている。そうでなくては毎日のように同類が死んでいく状況に耐えられないからだ。強い自我を持ち得たオールドローズでさえ、自己の死までは恐れることができても、他者の死を悲しむほどの情緒は育たなかった。
明日の舞闘では、いずれかの人形が必ず破壊されなくてはならない。その事実が意味することも、深く理解してはいなかったのだ。
(いくらでも、あげるよ……)
翌日、澄んだ青空の下、円い舞闘場の上に二人の人形は立っていた。
人形の死が許される本興行は夜しか行われないのが慣例であるが、最上の人形であるブルーバードには同じ色の空が相応しいと「おじさま」が特別に日中の興行を許可したのだ。
観客席は満員で、空は盛大な喝采と怒号、そして下卑た野次で満ちていた。性を持たない彼女たちにはその大半が理解の及ばないものだったが、彼らがただ自分たちを讃えているわけではないことは想像がついた。
オールドローズはじっと相手の瞳を見た。それがただの空虚ではなく愚かなだけでもないのなら、そこに何が見つかるものか。
ブルーバードはやはり空を見ていた。彼女もまた何かを探しているようだったが、それはオールドローズではないのだ。その事実に、胸が焼け付く気持ちが思い出される。
「オールドローズ」
視線がようやくこちらを向く。
「忘れないで」
……例のお願いのことだ、とオールドローズは理解した。
舞台の上では言葉に出すことができない願い。オーナーである『おじさま』は不正を嫌う。人形の糸を引くのはこの世で彼一人でなければならないから。彼の計算と美学だけが舞台を支配し、それ以外の意志は一切介在してはならない。まして人形が自分の意志で闘争を放棄し、勝敗を左右しようなどということは絶対に許されないだろう。
(お前の願いなど関係ない。私は全力でお前を落とす。私という存在のために)
オールドローズはその意志を込めて、強く相手を睨んだ。ブルーバードは微笑んで受け止めた。オールドローズはもう怯まなかった。
やがて舞闘の開始を知らせる喇叭が鳴った。
二人の人形が同時に大きく息を吸う。彼女たちは酸素を必要とはしないが、人間の抽出データをモデルに形成された人格は、しばしば意味のない仕草を模倣するのだ。こうして来たるべき大きな転換点を前に、深呼吸をするなどのように。
オールドローズは身を屈めながら両腕を素早く展開させ、二丁のリニアボウガンを形作る。ブルーバードは地を蹴って、風を起こしながら空へ跳ぶ。
昼間の三日月の如く弧を描いて空へ届かんとする青い鳥の軌跡を、二本、三本と鋭く刺すチタンの矢。しかしその一つとして鳥を落とすことはできない。羽根の代わりに宙に散るのは青い残影の破片だけ。衣服にかすることすら叶わない。
「こんなものか、私は!」
永遠に届かない青い鳥。手を伸ばす代わりに矢を放つ。落ちればこの手に触れるから。しかし、その矢すら届かないとしたら? お前の手には何も残らない。お前の中身と同じ、空っぽだけが残るのだ。
ブルーバードは空中で左右に素早く振れて矢をかわしながら、徐々に高度を上げていった。これほど高く飛ぶのは、オールドローズも見たことがない。
「こんなものであるかッ!」
オールドローズは腕と腕を重ねて、二つのボウガンを連結した。反動に耐えるため、ドレスが裂けるほど大きく両脚を広げる。
射程を伸ばすための機能として想定された使用法だが、そのなりふり構わぬ不格好さが気に食わず一度も使わずにいた。しかし今、この舞台は自分のすべてを懸けて臨まねばならない。この鳥を落とさず舞台を降りることはあってはならない。そうすれば、自分の誇りこそが地に落ちるのだと本能的に信じた。
(この舞闘が私たちの終わりなのだ。くれてやる、何もかも)
倍の速度で射出される矢。
ブルーバードは眉間を狙った一撃を紙一重で避けて、こちらを見た。
その唇は笑っていた。空虚とはかけ離れた、胸いっぱいの喜び。
青い鳥は歓喜に打ち震えていた。
「……なんだ?」
困惑するオールドローズをよそに、ブルーバードはさらに加速した。どんどんと遠く、小さくなっていく。オールドローズは瞳のレンズを最大限に使ってその姿を捉え、矢を放ち続けたが、既に彼女以外は舞闘場にいる誰も青い鳥の姿を肉眼で見られなくなっていた。それは興行の放棄であった。
(どこへ行く? ブルーバード、おまえはどこへ行く?)
観客の興奮を高めるため試合開始からずっと鳴らされていた音楽が、ぷつりと止まった。
広がる不安な囁きとともに、オールドローズの胸もざわめいた。
『警告。ブルーバード、ただちに高度を下げよ』
無粋な人工音声による警告が響く。舞台の空気を壊すのは舞闘場にとって、『おじさま』にとって最後の手段であるはずだった。
ブルーバードは舞闘場の重大な規則を破ったのだ。
『ただちに高度を下げよ。舞闘場の外に出ることは許可されない』
再びの警告。鳥は止まることはなかった。どこまでも飛び続けた。
空の向こうへ行くように。
オールドローズは焦燥にかられ、右の瞳で鳥を追い続けながら、左の瞳で周囲を素早く見回した。何が起きているのか、ブルーバードが何をしようとしているのか、理解したかった。
そして彼女は舞闘場の上部で動き出す金属の群れを見つけた。それは無骨で醜く、巨大な砲塔の数々だった。オールドローズが誇りとし、無数の人形たちが支えとしてきた華美な兵器の数々など及びもつかない、『本当の』兵器。破壊し、殺すだけのために作られた圧倒的な力。
それらは今にも火を吹こうと、ブルーバードに狙いをつけていた。
青い鳥はまもなく叩き落されるだろう。無惨に砕け散り、あとには何も残らない。
ようやく、オールドローズは全てを理解していた。
誰よりも高く飛んだブルーバード。彼女はこれを何度も見ていた。自分たちの弱さと、届かない空の広さ、閉じ込められた世界の小ささを知っていた。出られないことを知っていた。
だから、彼女が空を手に入れる方法は、これしかなかったのだ。
遠い空の中で、雲の影の中で、青い鳥が彼女に笑いかけた。
果てしない距離を隔てて、二人は確かに目が合うのを感じた。
時間が鈍る一瞬の中で、オールドローズはためらいなく矢を放った。望まれた通り、誰よりも先に落とさねばならなかった。一瞬遅れて砲撃の音が響いたが、すでに落下を始めたブルーバードの体にはかすりもしなかった。
やがて地表に達したブルーバードは、衝撃で大きく何度か跳ね上がったものの、高速の戦闘に耐えるよう作られた肢体はかろうじて砕けずに済んだ。
近づいて見下ろすと、オールドローズの放った矢は真っ直ぐブルーバードの胸を貫いていた。肋の奥で、人形の脳であり心臓に値する
間もなく舞闘の終了が告げられたが、オールドローズは長い時間そこに立ち尽くしていた。
予定外の事件を目撃した観客たちは困惑しつつも珍事を愉しみ、その日の舞闘場の売上は過去最高を記録したという。
(おわり)
瞳の中のブルーバード あば あばば @ababaababaabaaba
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