第24話:お披露目パーティ 後編
大広間に飽和する笑い声、きらびやかなシャンデリア、テーブルの上の豪勢な料理、いつ来ても慣れないものだなと息を吐く。
エレオノーラが美しい姿勢で歩くたび、視線が集まるのが分かる。彼女の周りだけ、時が止まっているかのようだ。彼女の靴の細いヒールの音だけが、時を刻むようにコツコツと響いた。
私たちの姿を捉えて、第一騎士団の貴族たちが待ってましたと言わんばかりに寄ってくる。人のよい笑みを浮かべているが、好奇心が隠しきれていない。おざなりな祝福の言葉のあとに、怒濤の勢いで質問を浴びせられる。
出会いはどこだったのか、何と呼び合っているのか、どこに惹かれたのか。質問を受けるたびに、よくそこまで他人に興味が持てるなと呆れを通り越し、感心してしまう。
エレオノーラは彫刻のように整った顔を崩すことなく、最小限の笑顔で質問に答えていく。圧があるわけではないが、どこか無機質な声。端正な唇から放たれるためか、末恐ろしいものを感じるのだろう。調子に乗って、続け様に質問を浴びせてくるような奴はいなかった。
このまま時間が過ぎていけばいいと半ば諦めの気持ちを抱きながら対応していると、甲高い声が聞こえた。
「お久しぶりですわ」
「……ジュリエッタ」
げんなりしてしまう。なぜ参加しているんだと言ってしまいそうになる。
今日は令嬢ではなく、エレオノーラと同い年くらいの男性を連れていた。新しい夫か、はたまた愛人か、興味がなかったので視線をすぐ逸らした。
ジュリエッタは扇で口元を隠しながらも、周りに聞こえるような声量で言った。
「まさかあの年増な女が、17年前に騒ぎを起こした令嬢だったなんて知りませんでしたわ。すべて真実ですの?」
勝ち誇ったような表情を浮かべる彼女に、こめかみあたりが痛くなる。一番耳に入ってほしくない相手に噂が届いているとは。
さらに周りの貴族も、嫌な笑いを浮かべながら聞き耳をたてている。こんな煌びやかな空間なのに、渦巻いているのはどろりとした人間の澱だ。
さすがに注意しようと口を開けば、エレオノーラの手に力がこもった。不安になり見おろして、目を見張る。
以前ジュリエッタに暴言を吐かれたときは、聖母のように寛大な微笑みを浮かべていた。
しかし今の彼女は、転んでしまった少女のような顔をしていた。今にも泣きそうなのに、無理して笑みを浮かべているような。初めて見る表情だった。
「えぇ。すべて、真実です」
「ふふふ! 聞きました、皆さん? クライドもこんな性悪女を選ぶだなんて、センスがないわね」
「ジュリエッタ!」
聞き捨てならない言葉に声を荒げれば、ジュリエッタの隣に立っていた男の視線が一点に注がれているのが見えた。顔は真っ赤で、口は半開きにし、間抜けな表情で立ち尽くしている。
視線の先を辿れば、そこには一筋の涙を流すエレオノーラがいた。
シャンデリアの光に照らされ、涙が一粒、光る。
時が止まったようだった。一瞬だけ音が消えた。
周りにいた男性が、エレオノーラの泣く姿に見惚れている。
それもそうだろう。先ほどまで無機質な印象さえ受けるほど整った顔立ちの女性が、哀しそうに涙を流しているのだから。さらにむせび泣くのではなく、こらえきれず零れてしまった涙に、いじらしささえ感じてしまう。
ジュリエッタは声を張り上げる。
「なに被害者ぶってんのよ!」
「じゅ、ジュリエッタ……もうやめにしないか、かわいそうだろう……」
「アンタ、あの年増の味方をするの?!」
ジュリエッタは隣にいた男に詰め寄る。慌てふためいているが、視線はエレオノーラに釘付けになったままだ。
すると周りの雰囲気が変わりはじめた。エレオノーラを守るような声があがってきたのだ。「ターンカール領の発展は彼女のおかげらしいぞ」「豚みたいな領主に嫁がされたんだろ? さすがにかわいそうだな」
雰囲気が変化したのはありがたかったのと同時に、なんて男は単純なんだと心では呆れかえっていた。彼女の涙ひとつで一気に味方になるのか。同じ思いを抱えた女性貴族たちは、単細胞の男たちに腑に落ちないような、苛立ちを抱いているような顔を浮かべている。
ひとまずこの場所に留まっていても騒ぎを大きくするだけだ。「失礼」とエレオノーラの細い肩を抱き、踵を返した。自分の背中に、ジュリエッタの叫び声や、男たちの嫉妬の視線を感じたが、素知らぬ顔でその場を去った。
「大丈夫ですか?」
連れてきたのは、二階のテラスだった。眼下には等間隔に植えられた木々や、季節の花々が咲き誇る庭園が月の光に照らされていた。
春とはいえ外はまだ肌寒い。会場にいるよりはと思い、テラスに連れてきたが失敗だったかもしれない。あたためるように肩を抱く手に力を込めた。
先ほどはらりと涙を流していた彼女を思い出し、そっと盗み見て驚く。彼女もこちらを見ていたからではない。けろりと平然としていたからである。呆れのニュアンスを含めながら言う。
「貴方って人は……」
「ふふ、すみません」
まさか先ほどの涙が偽りのものだとは分からなかった。つまりあの会場にいた男たちは見事に騙されことになる。自分もすっかり騙されてしまったので、人のことはあまり言えないが。テラスに設置された柵を握りしめながら、エレオノーラは庭園を見おろした。
「当事者や大切な方たちの言葉は、私も真剣に受け止めます。しかし無関係な方たちの言葉は聞くに値しません」
「キリがないですからね」と苦笑する。共感しかできなくて自分は頷いた。
ジュリエッタと離縁してから、伴侶を探せと何度言われたことか。アナベルだったらまだいい。そういうことに興味が出る年頃だろうと納得ができるし、自分を本当に案じての発言だと分かったからだ。しかし良い大人が、ほとんど無関係の自分の人生に干渉し、こちらの道の方がいいと示すのは何の冗談なのだろう。神か何かになったつもりなのかと、提言のたびにうんざりしていた。
「それにしても、」と話題を変えるように言う。
「演技がお上手だ。私も騙されてしまいました」
「ふふ、涙は女の武器ですから」
悪戯っぽく言う彼女がかわいらしい。
エレオノーラの泣く姿に注がれる、会場の男たちの熱のある視線を思い出しながら、ぽつりと呟く。
「武器というよりは、兵器ですね」
「まぁひどい」
おどけて言う彼女に、くすりと笑う。そしてそっと私の肩にもたれかかった。
*
騒ぎを起こしてしまったのでもう帰ろうかと思ったが、エレオノーラは「もしよろしければ踊ってみたいです」と言った。また嫌な言葉を浴びるかもしれませんよ、と眉をしかめれば、彼女は首を横に振った。
「クライドと踊る姿を見せたいのです」
言っている意味が分からず首をひねれば、「気づいてないのですか?」と上目遣いで睨まれた。素直に頷けば、ためらいながらも説明してくれた。
「おそらく私は、クライドの情けで結婚したと思われています」
「え」
「私がどう思われるのは構いません。だけど『かわいそうなクライド様』を虎視眈々と狙う令嬢が多くて……」
腕を掴んだ手に力が入った。
「一曲だけでいいので、彼女たちに見せつけてやりたいんです」
「……嫉妬してくれているんですか?」
「……」
問えば、紫の瞳が自分を見上げ、少しだけ怒ったような顔になった。
なぜそんな分かりきったことを聞くのかと言わんばかりの表情である。
すると胸の中にエレオノーラはそっと入り込んできた。
背中に手を回される。嬉しい気持ちと誰かに見られていないかという不安がわき、そっと横目で庭園を見おろしたが、遠くの方に警備が数人立っているだけだった。
「あなたを、独り占めできたら、いいのに」
自分の胸に顔をうずめながら、聞こえるか聞こえないかくらいの声量で言った。
その言葉に激しい衝動が湧き上がった。ここで押し倒して、自分のものにしてしまいたい。衝動を抑えるように目を強くつむり、耳元でささやく。
「会場へ行きましょう」
*
それから私たちは会場に戻り、音楽に合わせて踊ったが、はっきり言って記憶があいまいだ。
彼女の華奢な体が自分の体に収まるたび、厄介な衝動が自分をせき立てて抑えるので必死だった。
そして周りの男たちの視線は、エレオノーラに注がれているのだ。そんな目で見るなと嫉妬が湧き上がる。
さらに男たちがエレオノーラに釘付けになっているため、令嬢たちが不機嫌なオーラを放っているのも肌で感じていた。華やかな空間に、不満がどんどん溜まっていくようだ。
結局その雰囲気に耐えきれず、私たちは2曲ほど踊って帰ることにした。
次のダンスの相手にと、エレオノーラを誘う男どもから振り切るようにして、会場を後にした。
馬車の不規則な揺れを感じながら、やっと二人きりになれたと息を吐いた。ここから1時間ほどの帰路である。
エレオノーラの横顔を見て、先ほどまでの緊張がゆるみ、ふとからかいたくなった。
「嫉妬はなくなりましたか?」
自分だって散々嫉妬していたくせにと、冷静な自分が突っ込む。
彼女は頷いたあと、ためらうような笑みを浮かべた。
「踊るまでは、仲を見せつけてやると意気込んでいたのですが……」
エレオノーラを纏う雰囲気がやわらかくなる。まるで美味しいスイーツを前にした少女のようだった。
「私をリードしてくれるクライドが想像以上に素敵で……途中から見とれてしまいました」
「幸せな時間でした」と言葉を結ぶ。口角をあげ、頬を薄紅色に染めている。
自分は内心頭を抱えた。彼女は少女のようにかわいらしい気持ちで踊っていたのに、自分は他の男への嫉妬を抱きながら踊ってしまった。彼女と比べて薄暗い感情と共に踊ってしまったことに後悔がよぎり、思わず「すみません」と謝った。
「私は、嫉妬ばかりしていました……」
自分の言葉に、紫の瞳は見開いた。
そして「ふふ」と笑い声をあげ、首に手を回してきた。淡い香水の匂いが鼻をかすめた。
自分の耳元で、そっと囁く。甘い吐息混じりの声で。
「私はもう、あなたのものなのに」
勘弁してほしい。これ以上、本当に煽らないでくれ。
責めてしまいたくなる気持ちを抑えながら、彼女の唇を激しく奪った。
「ん、んっ」とくぐもった苦しそうな声が聞こえる。口づけをすれば体内にうごめく欲求が少しはおさまるかと思ったが、さらに熱を帯びていくだけだった。
*
後日談だが、あのパーティに参加してからというものの、招待状がめっきり来なくなった。噂によると、エレオノーラに見とれ、鼻の下を伸ばす男たちがあまりにも多く、女性陣の不満が爆発したとか何とか。金輪際、パーティに第二騎士団長を呼ぶなと釘を刺されたらしい。
鬱陶しい招待が来なくなり、清々とした気分で仕事に臨む。
初夏のさわやかな風が気持ちよい。わずかに開かれた窓から入ってくる風は、カーテンを不規則に揺らし続けた。
ふと私の仕事を手伝ってくれているアナベルが、顔をあげて話しかけてきた。
「ねぇ、オジさま」
「ん?」
「やっぱり結婚式は挙げないのよね?」
「あぁ」
「じゃあせめて、パーティしましょうよ!」
急な提案に目を丸くする。
アナベルは嬉しそうに、「サリオンと、第二騎士団の方たちと、オジさまの屋敷の執事さんと、あとエレオノーラ様の屋敷の方たちと……」と指折り数えながら、招待客を読み上げる。そして「どう?」と小鳥のように首を傾げて聞いてきた。
「それは楽しそうだな」
「でしょ!」
貴族たちの腹の探り合いが繰り広げられる豪勢なパーティではなく、周りの大切な人たちで開く小さなパーティ。そっちの方がよっぽど楽しそうだ。
またあのドレスを着てもらい、今度こそ、彼女のことだけを考えてダンスをしよう。そう決意して、目の前のかわいい姪っ子に「ナイスアイデアだ」と微笑みを返した。
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