第22話:特別な夜
湯船に身を沈めながら、私は天井を眺めていた。湯気が顔辺りを包み、全身がゆるんでいく。私の体や髪を洗ったメイドたちの手つきは、やけに気合いが入っており、体の隅々まで念入りに洗われた。ほぼ無言だったが、却ってそれが恥ずかしかった。
両手で湯をすくい、見つめる。
異性と体を重ねるのは、10年以上ぶりだった。しかも相手はあのゴーシュだ。
体を重ねたあと、クライドを失望させてしまったら?
1つ湧いた可能性に、心臓がひやりとする。彼と体を重ねることを期待していたのに、想像したことだってあるのに、いざ現実になると不安がつきまとう。
暗い不安を打ち消すかのように、両手ですくった湯を顔に勢いよくかけた。
(大丈夫、クライド様なら)
湯浴みが終わり、髪を丁寧に乾かされ、香油を塗られた。ネグリジェの上からガウンを羽織った私はベッドに腰掛けていた。
そっと視線を落とし、自身が着ているネグリジェを見る。自分の谷間が目に入り、破廉恥じゃないかしらと不安と恥ずかしさが一気に襲ってくる。
王都の家具販売店へ赴き、ベッドの実物を最終確認した帰りだった。隣接したドレスショップが目に入った。華やかで、どこか艶やかな店構え。ベッドを購入し気が大きくなっていたのかもしれない。普段は絶対に入らないその店に向かって、私の足は吸い込まれていった。
ドレスショップかと思っていたが、なんとネグリジェ専門のショップだった。王都にはこんな店まであるのかと驚く。
新たな世界に呆けていると、同い年くらいの店員に声をかけられる。店に入った目的を聞かれ、私は焦りながら多くの言葉を組み合わせて濁しながら答える。要領が全く得ない返しだったにも関わらず、店員はにっこりと笑い、何着かネグリジェを持ってきてくれた。そのネグリジェのデザインを見て、私は絶句する。
「これを、私が着るのですか……?」
ネグリジェなのだから着るのは当たり前だろう。しかし私はデザインの美しさを凌駕する、そのいやらしさにかなり混乱していた。
服として意味があるのかと首をひねるほど、生地は薄く、布地の面積は少ない。そのくせ普段使っているネグリジェの倍以上の値段がするのだ。
店員は全く表情を変えず「はい」とだけ笑う。
持ってきてくれた店員には悪いが、着る勇気が出ない。断ろうと口を開いたとき、「旦那様もきっとお喜びになりますよ」と店員は言う。
彼が喜んでくれるなら何でもしたい。しかしこのネグリジェを着るにはあまりにもハードルが高すぎる。
悶々と悩む私に、店員に普段使っているネグリジェの特徴を尋ねられる。普段は通気性を重視した綿のネグリジェを愛用していることを正直に伝えれば、店員の目が光った気がした。
「特別な夜には、特別な装いが必要ですよ」
その通りかもしれないと、心が揺れ動く。
初めて過ごす一夜に、使い古したネグリジェを着ていくのは──おそらくクライドは何も気にせずにいてくれるだろうが、私が気にしてしまうだろう。毛玉やほつれを気にしながら抱かれるのは、興ざめにもほどがある。
私の葛藤を見抜いたのだろう。店員は新作のネグリジェの魅力を、あの手この手で語った。胸の形をきれいに整えてくれる補正が入っていること、レースの素材にこだわっており、足を扇情的に見せてくれること、などなど、最後には根負けしてしまい、彼の瞳の色に合わせたネイビーのネグリジェを購入した。
脱ぐか脱がないかと葛藤しながら数分が経った頃、控えめなノックの音が響いた。
体全体が心臓になってしまったみたいだ。駆け出したい気持ちを抑えながら歩き、ドアノブを回す。そこには藍色のガウンを着たクライドが立っていた。
見上げながら、思わず見惚れてしまう。
短く刈り上げた髪はしっとりと濡れている。太い首筋から、一筋汗が流れた。それは厚い胸元まで流れ、吸い込まれていく。普段は隠されている部分からあふれ出る色気に、目が釘付けになってしまう。
「入っても、いいですか?」
問われ、我に返る。「す、すみません」と謝れば、彼が部屋に入ってくる。ドアがしまった音が響いた瞬間、背中に手を回して引き寄せられ、深い口づけをされた。
肉厚な舌が口内に動き回っている。驚いて引っ込めてしまった舌を、応えるように絡ませた。歯を磨いたのだろうか、ほのかに爽やかなミントの香りがした。
角度を変えながらキスを繰り返し、もつれあいながらベッドへと到達する。
シーツに縫われるように倒され、私たちは見つめ合う。
深海のようなネイビーの瞳が揺れている。切なげに見えるそこには、欲しくてたまらないと焦れる女の顔があった。
彼の大きな手が、腰辺りをなでる。わずかなくすぐったさを感じ、体を震わせれば、手が離れた。体を覆い被さるように密着され、もう一度、腰辺りを撫でられる。すると感覚が変わった。くすぐったい感覚が、快楽へと変換されている。たまらずに声が口から漏れた。
深い口づけを繰り返していると、いつのまにかガウンが脱げてしまっていた。するとクライドが私のネグリジェを見て、呟いた。
「これ……」
穴があくほどじっと見つめられる。その視線を直視できず、顔を逸らしてしまう。
やはり自分が着るにはあまりにも、挑戦的すぎた気がする。花の盛りの女性ならまだしも、自分は30を超え、出産も経験している。その体を美しいネグリジェで着飾ったところで、みじめにしか見えないのではないか。どんどん悪い方向に思考が向かっていき、私は口を開く。
「あの、すぐに脱ぎますので」
返事がない。
ちらりと彼の方を見れば──なんて顔をしているのだろう。あまりの色気に足の先まで震えが走った。欲情に濡れたネイビーの瞳は私の体をじっと見つめ、うっすらと開いた唇から吐息が漏れ出す。
クライドの手が伸びてきて、腰をなぞった。体にぴたりと張り付いたシルクの上を、ゆっくりとなぞられる。そのまま下へと移動し、足の付け根から、太もも、ふくらはぎと手がおりていく。レースのざらりとした感触と、彼の手のひらの熱が刺激となり、声が出てしまう。
全身を確認するような行為に焦れて、思わず名を呼ぶ。
すると私の手首の内側に、ちゅっと小さく唇を落とした。
「──あまりにも、いやらしくて」
彼の体が覆い被さる。下半身に大きな熱いモノの感触がして、私の全身に熱が走った。先ほど抱きしめられたときよりも、一回り大きくなっている。
「手荒く抱いてしまいそうだ……」
「クライド様なら、」
「いいですよ」と言おうとした瞬間、口を塞がれた。
唇が離れた瞬間、切なげに眉を寄せる彼がいた。
「貴方の乱れる姿を何度想像したか」
「……っ」
「やっと現実になったんです」
「貴方の全てを見るまでは終わらせませんよ」と彼は指を唇にあてる。
その色気のある笑みに、悦びに似た震えが体全体に走った。
*
朝、やわらかな光で目が醒めた。
見慣れた天蓋を見つめ、呆然とする。
(き、昨日、何回したのかしら)
3回目あたりから記憶がない。散々慣らされた体は、快楽に悦び、ひたすらクライドのものを受け入れた。射精されてはもっとと強請り、また体を拓かれ、求め続けた。
終いには足の裏を撫でられただけでも軽くイってしまうくらいに、全身が敏感になった。一夜で体をまるごと作り変えられたようだった。
すると下半身からどろりとした感触がして、「ひゃ」と思わず悲鳴が出た。その瞬間、隣から小さく吹き出す音が聞こえる。
慌てて見れば、穏やかな笑みを浮かべたクライドがいた。
「おはようございます」
「く、クライド様」
「昨日のようには呼んでくれないのですか?」
茶目っ気めいた顔で問われ、顔が熱くなる。
朦朧とする意識の中で、彼を呼び捨てで何度も呼んでは求めていた。
「クライド……」と小さく呼べば、彼は眉を寄せ、苦笑した。
「困った。また抱きたくなってしまう」
「も、もう無理です!」
「分かってますよ」
苦笑いと共に、ふわりと抱きしめられた。
大切なものを触れるときのような動き。彼の胸板から聞こえる鼓動の音を聞きながら、目をそっと閉じた。
「体は辛くないですか?」
「少しだるさはありますが、それくらいです」
「それならよかった」
私を抱きしめる力が強くなる。
ふと先ほどまで抱いていた疑問を口に出した。
「何回しました……?」
「……5回ほど」
「そんなに……」
口調に責めるようなニュアンスを感じ取ったのだろう。クライドは「すみません」とすまなそうに呟いた。私は小さく笑う。
「……我慢ができなくて」
照れるように言う彼がかわいらしくて、頬がゆるんでしまう。彼の心臓を刻む音に耳を澄ませながら、朝の幸福な時間を味わった。
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