第21話:新しいベッド



 結婚に関する手続きが終わり、クライドはターンカール領にある屋敷へと移り住んだ。

 相談の結果、私が使っていた部屋を2人で使うことになった。元々2人用を想定されていた部屋だったため、広さは十分ある。さらに私物をほとんど持っていなかったため、クライドの荷物を収納しても、まだ余裕があるほどだった。


 クライドが屋敷へ移り住んできた初日、自身の部屋を見回した。そして「あれ」と声をあげる。



「どうかされました?」

「あの、ベッドを新調されました?」

「……臨時収入があって」



「臨時収入?」と首をかしげる彼に、あいまいな笑みを浮かべてごまかす。

 それは半月ほど前、ネルゲイやメイドたちと共にゴーシュの部屋を整理していた時のことだった。彼が死んでからメイドたちが掃除はしていたが、物の整理はしていなかった。


 ゴーシュの部屋は使う予定はなかったが、前夫の痕跡が残っているのは気分がよいものではない。そのためヴィリアント家総動員で掃除にあたっていたのだが、酷いありさまだった。


 まず部屋が臭い。タバコを大量に吸っていたからかヤニの匂いが天井や壁に染みついていた。さらに床には何かの染みがついている。「おそらくお酒です」とメイド長は遠い目で言った。ひとまず晴れた日には窓を全開にして終日換気することにし、絨毯は買い換えることにした。


 さらにクローゼットの中を見て愕然とした。

 大量の衣類が隙間なくかけられていたのだ。しかも装飾や仕立てからしてかなり上質なものである。「豚に真珠ね」と私が苦々しく呟けば、ネルゲイは何度も頷いた。


 先代が必死に貯めた資産を、ゴーシュはひたすら食い潰していた。

 危惧した私は領地経営や屋敷の管理、サリオンの養育費に使うお金をひっそりと確保していた。おかげでメイドたちが路頭に迷うことはなかったが、切り詰めた生活を送らねばならなかった。今ではもう慣れてしまったが、はじめの頃は生活水準を下げることに抵抗があったため大変だった。


 クローゼットにかけられた衣類を取り外していると、中に取り付けられた小さなキャビネットが目に入る。気になって開いてみれば、頭痛がひどくなった気がした。



「なによこの宝石!」



 思わず声を荒げてしまった。

 何事かとネルゲイは青ざめた顔でこちらを見てきたので、「ごめんなさい」と片手で頭を抑えながら謝った。「17年前のエレオノーラ様が戻ってきたかと……」と心臓あたりを押さえ、震えた声で言う。まるで悪魔を見たかのような声色にバツが悪くなる。

 キャビネット内に乱雑に置かれた宝石たちを手に取った。



「これらも売却しましょう……」

「いい収入になりますね……」



 ネルゲイが無理のあるフォローで励ましてくる。

 もともとはヴィリアント家の資産である。収入でも何でもない。せめて買った先が正規のルートで買ったものでありますようにと願うことしかできなかった。


 宝石や衣類を整理しながら、私はぽつりとネルゲイに切り出す。



「民は受け入れてくれるかしら」

「え?」

「クライド様のこと……。ゴーシュを亡くして1年で新しい夫を迎えるだなんて。私が悪く言われるのは構わないけれど、クライド様が変な目で見られるのは……」

「全く問題ないでしょう」



 呆れた声が聞こえた。

 手を止めてネルゲイの方を見れば、ため息と共に説明した。



「エレオノーラ様とゴーシュ様が仮面夫婦だったのは、周知の事実です。知らないのは孤児院の子どもたちくらいでしょう」

「そ、そうなの?!」

「ゴーシュ様、夜な夜な酒場やら娼館やらに出入りしてましたからねぇ……目撃情報がありすぎて、終いには『もう報告はいらない』と警備隊には伝えてましたから」

「そうだったの……」



 裏でそんな苦労をさせていたとはと、目を伏せた。おそらく自分の耳に入らぬよう情報を遮断してくれていたのだろう。彼の長年の優しさに、申し訳なさが募る。


 そのあとは無言で手を動かし続けた。

 優秀なメイドたちのおかげもあり、なんとか夜が更ける前には整理することができた。あとは後日、商人たちの訪問を待つだけである。


 ネルゲイと二人きりになる。床に大量に並べられた衣類や宝石、異国の酒瓶などを見つめながら問われる。



「これらを売ったお金で、何か買われないのですか?」

「いらないわ」



 即答する私に、ネルゲイは「そうですか」と穏やかな微笑みを浮かべた。

 和やかな空気が包んだが、彼の表情が一変する。



「ベッドを買ってください」

「え?!」

「老婆心ながら申し上げます。第二騎士団長にはあのベッドは小さすぎます」

「ま、まままだ一緒に寝ると決まったわけじゃ」

「一緒の部屋で過ごすのにどこで寝られるのですか? 床で寝てもらうんですか?」

「そ、そんなことは」



 たじろぐ私。背中に変な汗をかいていた。

「ふぅ」とネルゲイはため息をつく。口の横の皺が一層深くなった。



「あのベッド、エレオノーラ様が嫁いできてから使っているでしょう」

「……えぇ」

「買い換えた方がよろしいかと思います。……クライド様は、やっと出会えた伴侶なのだから」



 言葉は濁していたが、彼が言いたいことは手に取るように分かった。

 ゴーシュに手荒く抱かれた過去は、思い出すだけで臓腑がにじれるような痛みを伴う。何度もベッドを買い換えようとは思ったが、高価な家具を買い換えるほどの余裕はなかった。


 そんな暗い過去をまとったベッドで、クライドと寝ること。幸せな未来を、黒い色で塗りつぶされているような感覚があった。なによりターンカール領まで移り住んでくれる彼に、申し訳がなかった。



「……ベッドのカタログを取り寄せてもらえる?」

「承知しました」

「言ってくれてありがとう」



 女主人にするには、気まずい忠告だっただろう。それでも彼は私のためを思い、忌憚なく言ってくれていた。

 そのことに感謝すれば、ネルゲイは胸をなでおろしたように微笑んだ。




「エレオノーラ様?」



 声をかけられ我に返る。そうだ、ベッドを買った理由を説明しなくては。

「すみません」と謝り、用意していた言葉を口に出した。



「その、部屋を整理してたら出てきた宝石が高値で売れまして……その臨時収入で新調したんです」

「高かったでしょう。私も出します」

「い、いえ! もともと買い換えようと思っていましたから、お気になさらず」



 両手を振り、全力で断った。

「でも」とクライドは引き下がらず、相談の結果、次の大きな買い物では彼が負担することになった。

 ほっと胸をなで下ろしたのも束の間、クライドはベッドを意味深な目で見つめている。何かデザインが気に入らなかっただろうか?と不安になり、顔をのぞき込めば、手で口元を隠しながら密やかに言った。



「ベッド、1つにしてくださったんですね」

「!」



 顔が沸騰しそうになった。

 恥ずかしさで顔をうつむけば、抱きしめられた。広い胸板におさまる。

 心臓がドクドクとうるさい。すると耳元でささやかれる。



「これから悪夢を見たときは、私が起こしますから」



「貴方の隣で」とゆっくりと告げられ、胸が痛いほど締め付けられた。幸せすぎてどうにかなりそうだった。

 クライドのぬくもりを感じながら、自分は「……はい」と頷くことしかできない。

 すると左手で私の髪を撫でながら、ささやかれる。



「今夜、さっそく使いましょうか」

「……っ!」

「ふふ、添い寝のことですよ。何を想像された……」



 冗談めかしたクライドの口調が止まった。

 私の顔をじっと見て、急にキスをされた。突然の口づけに驚いていると、リップ音をたてて離される。



「困りました……。そんな顔されると、すぐに抱いてしまいたくなる」



 強く抱きしめられる。聞き慣れない彼の焦れている声に心臓が高鳴るが、窓の外はまだ明るい。「さすがに今は、だめです」と言えば、「分かってます」とため息と共に、体を離された。



、ね」



 彼の悪戯めいた笑みに、私が再び顔を真っ赤にさせたのは言うまでもない。


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