第14話:私の過去を聞いて
クライドが見舞いにきてくれた日から、悪夢を見なくなった。
私は再び宿舎へ来るようになり、月に数度、彼の仕事を手伝った。身も凍るような寒い冬を越え、花びらが舞うあたたかな春を越え、夏がやってこようとしていた。
気温が高いと集中力も切れやすい。こまめに休憩をとりながら、コップに入った水を飲む。集中できないのは、クライドも一緒なのかもしれない。書類をペラペラとめくっており、あまり集中できていない様子が傍目から見て取れた。
書類の紙を遊ばせながら、彼は口を開いた。
「気づいてしまったのですが」
「はい」
「『アサリ同盟』の活動、全くしてないですね」
「……。確かに……!」
コップから視線をあげた私は、愕然とする。
『アサリ同盟』の単語を聞くのが久々すぎて、どんな同盟だったか思い出すのに数秒かかった。確か『アナベルとサリオンの恋路を見守る』という目的だったはずだ。
「普通に仕事をしていましたね……」
「仕事量が多すぎて、すっかり忘れていました」
「世知辛いですね……」
「えぇ、本当に……」と遠い目をするクライド。我に返って、こほんと一つ咳払いをし、私の方に向き合った。
「今日は『アサリ同盟』の活動をしませんか?」
「え?」
「実は今日、小遣いを渡す代わりに、アナベルとサリオン君に仕事を任せていたんです。ちょっとだけ覗いてみませんか?」
本人からは聞いていないため定かではないが、おそらく恋人同士の2人。彼らの部屋を覗き見するのは流石に……と気が引ける自分。同時に、恋路を見守りたいと好奇心やら義務感やらが湧いている自分もいた。
「バレてしまったら、『様子を見に来たんだ』と言えばいいですし」とクライドは笑う。結局、好奇心が勝ってしまい、心の中でそっと息子とアナベルに謝りながら頷いた。
「では行きましょうか」とどこか浮き足立っているクライドにくすりと笑いながら、後ろからついていく。
彼らがいる部屋の近くへ行くのかと思ったが、案内されたのは宿舎の裏手だった。「なぜここに?」と首をかしげる私に、彼は指さした。
「あの部屋に2人がいます」
指さした先には窓があり、換気のためだろうか少しだけ開いていた。
窓の近くまで忍び足で歩くと、クライドはしゃがみこんだ。倣うように私も隣にしゃがむ。
すると部屋から声が聞こえてきた。聞き取りづらいが話している内容は分かるくらいの声量である。盗み聞きしている罪悪感を抱きながらも、一方で楽しんでいる自分もいた。
「ごめん、サリオン。3年前の経費精算の写しってある?」
「あぁ、これかな」
「ありがとう」
やりとりをして、またペンが走る音がかすかに聞こえる。
どうやら2人とも真剣に仕事を手伝ってくれているようだ。2人とも真面目ねと、ほんわかとした気持ちを抱いていると「あ────!」とアナベルが発狂する声が聞こえて、びくりと体が震えた。
「な、なに、アナベル」
「仕事多すぎ! オジさま、効率悪いんじゃないの?!」
急な悪口に「うっ」とクライドは心臓あたりをおさえる。
「仕方ないよ。人手があまりに足りないし」
「文字書きできる人って少ないのよね。自分で稼がなきゃいけない貴族は王都へ働きに出ちゃうし」
「そうだね」と相づちを打つサリオン。
数秒の沈黙のあと、アナベルが呼びかける声が聞こえた。
「ねぇ、サリオンってさ」
「うん」
「前髪、切らないの?」
「急に、なに」
「だってサリオンの瞳、すごくきれいなのに。もったいないわ」
褒め言葉が聞こえて、盗み聞きしていた私たちは体を硬直させた。緊張した空気がただよう。
恋人のような甘い展開を望んでいたはずなのに、いざ直面すると気まずさが勝った。このまま聞いていてもいいのだろうか。クライドも同じ気持ちだったのだろう、なんだか居心地悪そうな顔を浮かべている。
次に聞こえたのは、サリオンの暗い声だった。
「……親父と同じ色でさ」
「えっと……あまり仲良くなかったお父様と?」
「うん。横暴で下品で自分勝手な親父と、一緒の色なんだ」
サリオンらしくない、どろりと鬱々した声。ゴーシュの下劣な笑みを思い出し、私は二の腕をつかんだ。ぎゅっと指先が腕に食い込んでいく。
しばらくの間、沈黙が部屋を包んだ。
「ごめん、こんな話して……」と謝るサリオンの言葉を遮るように、バン!と机を叩く音がした。
「いいじゃない、一緒でも!」
「あ、アナベル?」
「サリオンの瞳の色は、お父様の色じゃない。サリオンの色だわ!」
「多分、サリオンの方がきれいなはずよ」「まぁ私はお父様を見たことないんだけど」と、フォローしているのかよく分からない声が聞こえてくる。
するとサリオンの吹き出す音が聞こえ、楽しそうな笑い声が響いた。
「ありがとう……少し、気持ちが楽になったよ」
「うん」
力強いアナベルの声。
そして話題を切り替えるように「おなかすいちゃった。おやつあるから食堂へ行きましょ」と明るく提案した。
2人が部屋から出て、扉が閉まる音が聞こえる。
私たちは同時に息を吐き、見つめ合って苦笑した。
「盗み聞きはよくなかったですね」
「えぇ」
私は目線を逸らし、地面に埋まる小石を見つめる。「瞳の色……気にしていたのね」と独り言のように呟けば、ためらうように声をかけられた。
「その……サリオン君が、父君をあんな風に言うのは意外でした」
彼の言葉に、「ろくでもない夫だったので」と返そうとして──やめた。皮肉めいた笑みを浮かべる。
息子の苦悩に全く気づかなかった自分が情けない。
「ろくでもない夫」とゴーシュだけを悪者に仕立て上げている自分が浅ましい。
被害者かのように振る舞おうとしている自分は、なんて卑怯なのだろう。
先ほど言おうとした言葉に、付け加える。
「私と同じ、ろくでもない夫だったので」
「エレオノーラ様が? そんなことはないでしょう」
強い口調で否定される。私は首を弱々しく振った。
「私は、たくさんの人を傷つけて、生きてきましたから」
「……」
私たちの間に沈黙がおりた。重々しい沈黙には不釣り合いな、鳥の穏やかな声が遠くから聞こえてくる。じわりと額に汗をかく。気温は高いはずなのに、体の芯は冷め切っていた。
沈黙をやぶったのはクライドの方だった。
「ジュリエッタと会った日」
「?」
「彼女を『かわいそうな人』と言っていたのは、
……あなた自身が、そうだったのですか?」
「……えぇ。若さや権力に固執し、周りを傷つけることを厭わない。あの姿は、」
一呼吸置いて、私は言った。
「昔の、私です」
──もう宿舎へは来れないだろう。
その事実に心臓がキリキリと痛んだ。
クライドはジュリエッタの性格に辟易して離縁したのだ。そんな彼女と似た私が傍にいたら、不快な思いしかしないだろう。
鼻の奥がツンとして、目頭に力をこめて、小石を睨んだ。穏やかな一年だった。宿舎で一緒に仕事をしたこと、星降りの祭りでランタンを持ちながら歩いたこと、きらびやかなパーティでエスコートしてもらったこと。どれも新鮮で、本当に楽しかった。ひとつひとつが宝石みたいにきらきらしていて、箱の中に大事に大事にしまっておきたい思い出たち。
(だけど、今日で、もう終わり)
いつからだろう。彼に自分の過去を話さなくてはと思っていた。
宿舎で仕事をともにする関係だったら、余計なことは話さず、表面上だけの付き合いを続ければよかった。だけど彼の存在は、あまりにも大きくなって、私の心に入り込んでしまった。
クライドの紺色の瞳が、私に優しいまなざしを向けるたび、歓喜と自分勝手な期待と、それを上回る罪の意識が私を襲った。私は、そんな視線を向けられていい人間じゃないと叫び出しそうになっていた。
何度、彼に話そうと思っただろう。
卑怯な私は、彼との時間を終わらせたくなくて、結局今日まで罪を告白することができなかった。
──今日ですべて終わりにしよう。みんなから慕われる彼を、自分なんかが縛ってはいけないのだから。
私は口を開く。
「私の過去について、お話してもいいですか」
声が震えていた。呼吸がうまくできず、肺が悲鳴をあげていた。
返事がなく、おそるおそる顔を上げれば、クライドは悲痛そうな表情を浮かべていた。
「……知っています」
「……え?」
「約17年前、学園で貴方が何をしたのか、すべて」
何を言われたのか、分からなかった。
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