第12話:お見舞いと砂糖菓子
「……エレオノーラ様、何かあったのだろうか」
「……気になる?」
「そりゃ、気になるさ」
自分はつぶやき、ペンを置いた。
今までは月に数回は来ていたエレオノーラが宿舎に来なくなり、1ヶ月が経った。
最後に会ったのは、自分がジュリエッタと部下の話をした時以来だった。その前だと──パーティ帰り、馬車の中での記憶を思い出す。
彼女の細い腰を引き寄せたこと。華奢な肩に顔を寄せたこと。
顔がカッと熱くなる。同時に胃のあたりがキリリと痛む。
(あの日が原因で、来なくなってしまったのでは)
悲痛な顔つきになる自分に、アナベルはため息とともに言った。
「……具合が悪いみたいです」
「具合が?」
「はい」
「そうか……」
「……お見舞いとか行かないんですか?」
彼女の提案に、目が泳いでしまう。「急に行ったら、迷惑だろう」と答えれば、「そうですか」と冷めた声で返されてしまう。そして、くるりと背中を向け、独り言のように言った。
「エレオノーラ様みたいな素敵な方には、きっとスマートな殿方がお見舞いに行かれるんでしょうね」
「……」
肯定の言葉は出せなかった。
ベッドの上で弱っている彼女が、名も知らない男からの見舞いを受けている。その状況を想像しただけで、腹あたりが燃えるようだった。
考えを巡らせて、言い訳じみた言葉を吐く。
「……そういえば」
「?」
「仕事の手伝いのお礼をきちんとしていなかった」
「うん?」
「お礼と一緒に、見舞いへ行くのはどうだろう」
「……」
アナベルは再びくるりとスカートをひるがえし、自分と向き合った。
じとりとした目を向けながら、呆れた声で言う。
「オジさまって、意外とメンドクサいタイプですね」
アナベルの言葉に何も言い返せなかった。
*
次の非番の日、アナベルと共にヴィリアント家へと赴いた。
サリオンが人のよい笑みを浮かべ、屋敷の入り口で迎えてくれた。しかし心労が溜まっているのか見るからにやつれており、痛々しい。
「こちらへ」と、エレオノーラの部屋へと案内してくれる。
てっきりアナベルも一緒に見舞いをするのかと思ったが、「あとで行くから!」と背中を押されてしまった。ひとりきりで扉の前にたたずむ。
やけに緊張していた。心臓が大きく鳴っている。
ここに来るまでの馬車の中で用意したセリフを心の中で呟く。何度目かの呼吸のあと、意を決して扉をノックした。
「どうぞ」と言葉が返ってくる。
1ヶ月ぶりの彼女の声が、鼓膜を震わせ、頬がゆるんでいく。なんとか顔に力を込めて引き締め、ドアノブを回して入室する。
ベッドの上で腰掛けた彼女は、自分の姿を捉えて目を見開いた。
「クライド様……!」
「すみません、突然」
慌ててベッドから降りようとしたので、「そのままで大丈夫ですよ」と片手で制す。
1ヶ月ぶりに会う彼女は、ずいぶんと痩せたように見えた。
頬はこけて、薄い唇は血色を失っていた。そして一番ひどいのは、目の下のクマだ。くっきりと濃く黒いクマが刻まれていた。
「アナベルから、体調を崩されたと聞きまして」
「わざわざ、ありがとうございます」
かすかに微笑み、頭を下げて礼をする。
ベッド近くに寄り、持っていた紙袋をチェストの上に載せようとした。その時、あるものが目に入り、思わず声をあげた。
「この鈴……」
「あ、」
壊れた真鍮の鈴と、新品の鈴が、2つ並んでいた。
2つともデザインはよく似ていたが、壊れた鈴の方に見覚えがあった。
「壊れてしまったのですか?」
「すみません……乱暴な使い方をしていたわけではないのですが、」
申し訳なさそうに呟くエレオノーラ。
自分があげた鈴が壊れていることは全く気にしていなかったが、新品の鈴が並んでいるところから推察する。
「……もしかして今、悪い夢を?」
紫の瞳がわずかに大きくなり、苦笑した。
ごまかせないと思ったのだろう、「ご推察の通りですわ」と弱々しく言う。
自分の心にはやりきれない思いが募った。
彼女は、想像以上に弱り果てていた。このまま悪夢に生気を吸い取られ、いずれ目が醒めなくなってしまうのではないかと恐れるくらいに。
紙袋を置き、新品の鈴をチェストの上で見つめながら問う。
「……こちらの鈴では効果がなかったのですか?」
「はい。いただいた鈴と、よく似たものを探したのですが」
こんな子供だましのおまじないに縋るくらい、彼女は苦しんでいた。
「医者には?」と訊いたが、首を横に振る。それもそうかと思考が沈む。「夢」という自分でもコントロールできない分野だ。薬など処方できないだろう。
彼女はぼんやりと空を眺めていた。
普段の彼女からはあまり考えられないような姿だった。微笑みを絶やさず、常に領地の民のことを考え、しとやかな挙措の中に満ちあふれたエネルギーが隠されていた。
しかし今は、空っぽの器のようながらんとした印象を受ける。
──夜中、苦悩でうなされているのだろうか。
悪夢で苦しんだ自身の過去と重ねる。
体中にびっしりと汗をかき、奥歯を強く噛みしめたせいで顎が痛い。眠気はあるのに、寝ることができない恐怖。目の前がちかちかと光り、頭がもうろうとする。あの蟻地獄から逃れられないような息苦しい感覚を、彼女は今、味わっているのだろうか。
「……私が隣にいれば」
「え」
気づいたら言葉に出していて、彼女のぽかんとした口調が重なった。
自身がとんでもないことを口に出してしまったと気づいたのは数秒後だった。
同時に1つのベッドで眠る、自分と彼女の姿を想像してしまい、火が出そうなほど顔が熱くなった。
「いや、今のは、」
慌てて否定したが、うまい言い訳が思いつかない。彼女は「いえ……」と、まぶたを伏せながら答えた。
気まずい沈黙が流れ、どうしようかと逡巡していたところ、ふと思い出した。
「あの、これを。よかったら」
チェストの上に置いておいた紙袋を手渡す。
彼女は礼を言い、紙袋から小さな箱を取り出した。高級感ある白い箱に、濃いピンクのリボンが結ばれている。「開けてもよろしいですか?」と訊かれたので頷けば、細い指先でリボンをほどいた。箱を開き、エレオノーラの感嘆の声があがる。
「砂糖菓子……!」
「はい、紅茶がお好きなので。どうかなと」
箱一杯に詰められていたのは、花の形で象られた砂糖菓子だった。白やピンクなど淡い色の花が咲き誇っている。ちなみにアナベルの案である。
幸福に満ちた顔で微笑む彼女に、胸あたりが温かくなる。
ふと、チェストの上に載った新品の鈴を手に取った。
「……気休めですが、この鈴にお願いしておきます」
真剣に言ったのだが、くすりと笑われてしまった。
「ありがとうございます」と微笑むエレオノーラ。どうか彼女が悪夢を見なくなりますようにと祈りながら、手に力を込めた。
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