第11話:伴侶をつくらない理由

 


「……なぜ、そう思ったのかうかがっても?」

「話す口調が、その、淡々としていたので」



 ジュリエッタのことを話すクライドは、まるで裁判官のようだった。

 罪人の罪を読み上げているような、他人事で乾いた口調。結婚を考えたくないと思うほど後悔しているエピソードを話す口ぶりには、到底思えなかった。


 同時に自分の違和感をぶつけてしまったことに、後悔がよぎる。

 クライドが結婚したくない理由が他にあろうとなかろうと、自分には関係ない事柄のはずだ。余計なことを言って波風をたてれば、仕事がしづらくなる可能性だってある。分かっていたはずなのに、なぜ私は聞いてしまったのだろう。



「エレオノーラ様には、隠し事ができませんね」



 クライドは苦笑して立ち上がった。怒った様子はなくて、ひとまずほっと胸をなで下ろす。


 棚へ向かう彼の足取りを見て、胸が騒いだ。10歳ほど離れた彼が迷子になった子どものように見えたのだ。私は立ち上がり、隣に立つ。なぜだか今の彼を1人ぼっちにさせたくなかった。

 彼はぽつり、ぽつりと言葉を紡いでいく。



「タランティア王国は数十年、戦争がありません。平和の国と謳っていますが、小さな軋轢は日々生まれています」

「はい」

「重税による民の反乱、貧困にあえぐ者たちの犯罪行為、そんなものを取り締まるのも第二騎士団の役目です」



 棚に置いてあった水差しからコップに水を注ぐ。水差しを見つめる紺色の瞳がさびしげに揺れた。



「あるかわいがっていた部下がね、民の暴動に巻き込まれてね、死んだんです。不運な事故でした」

「……」

「彼の亡骸に縋り付く、奥さんと、何が起きたかよく分かっていない幼い子どもの姿を見て……怖くなったんです。大切な人を失くすのはこんなにも怖いことなのかと……」



 二度と言葉を発することがない部下の亡骸と、悲壮に暮れる母親と子どもを見て、呆然と立ち尽くすクライドの姿を思い浮かべる。心臓が絞られるかのように、きりりと痛む。家族の痛哭に、彼はどれほどの痛みを、責任を、悲しみを背負ったのだろう。

 水を飲み、口だけの笑みを浮かべながら言う。



「ジュリエッタの離縁は、正直ちょうどよかったんです。伴侶をつくらない理由としては」



「嫌な男でしょう?」とこちらを見て眉を下げて笑うクライドに、私は首を横に振った。



「『大切な人を失うのが怖い』だなんて、騎士団のトップにいる自分が言ってはいけないんです。絶対に」



 再びコップを見つめながら、ぽつりと呟く。

 

 私は何も言えなかった。彼はそれ以上語らなかった。いや語れなかったのかもしれない。


『長いこと生きていると、悔いばかりが残りますね』


 ふと彼の言葉が浮かんだ。私が悪夢で悩んでいると吐露したあの日。

 私は確信する。彼はきっと部下が死んだ日を夢に見ていたのだろう。耳の奥で真鍮の鈴がチリリと鳴る。おまじないに縋るくらい苦しみ、その思いをずっと吐き出せずにいたのだ。


 少しの間のあと、彼は泣き笑いのような顔で言う。



「……初めて言いました」

「え?」

「自分が伴侶をつくりたくない、本当の理由を」

「……」

「聞いてくださり、ありがとうございます」



 彼の腕にそっと触れ、見上げる。

 馬車の中で言ったセリフを、私はもう一度繰り返す。



「どんなことがあっても、私はクライド様の味方ですよ」




 *



 窓の外で落ち葉が舞う。色彩豊かな葉が色づく秋が、終わりを告げようとしていた。


 私はチェストの上のライトを光源に、本を読んでいた。読書をして1時間ほどだろうか、文字を辿っても理解がだんだん追いつかなくなり、ふわりと欠伸をした。そろそろ寝ようかしらと本を置き、いつもの習慣で鈴を手に取った。



「……え」



 ベッドの上で、私は愕然とした。

 いつもお守り代わりに置いている鈴が、ヒビ割れ壊れてしまっていた。無理な力を入れたり、乱雑な使い方をした覚えもない。


 無残な姿になった鈴が、昔の自分と重なり胸が痛んだ。


 手のひらで何度か転がし、息を吐き、チェストの上に鈴をのせた。掛け布団をかぶり、目を強くつむって指を組んで祈る。


(どうかどうか、悪い夢を、見ませんように)



 どのくらい祈っていたのだろう。気づけば私は暗闇に立っていた。その瞬間、悪夢を確信してしまう。鈴をもらう前に見ていた悪夢と、導入が全く一緒だったからだ。


 憂鬱となりながら、暗闇をとぼとぼと歩いて行く。夢という認識はあるのに、醒めることができない。まるで牢獄のようだ。


 目の前に過去の記憶が浮かんだ。何を見せられるのかと恨めしい目線を向ける。


 そこは屋敷の廊下だった。

 頭を深く下げる使用人たちに、ゴーシュが暴言を吐き続けている。「貴様らを養っているのは誰だと思っている」「お前らの命など虫ケラ以下だろう」と、聞くに堪えない言葉たち。


 場面が変わり、領地内にある街へと移る。

 平民であろう子どもと父親が、額を地面にこすりつけ謝罪の言葉を繰り返している。「平民風情が」「自分の立場をわきまえろ」と、彼らに唾をまき散らしながらゴーシュは言い放つ。


 見ていられなくて目線を逸らせば、ふわりと目の前に誰かが現れた。白いワンピースがひらりと舞った。長い黒髪と紫の瞳──自分だ。


 鏡?と一瞬混乱したが、鬱々としている自分とは違い、彼女は楽しそうに笑っている。


『あの男のこと、酷いと思った?』

『でもあなたも一緒でしょう?』

『忘れちゃったの?』



 ──なんてグロテスクな鏡だろう。私の息が浅くなり、ひゅーひゅーと苦しそうに喉が鳴った。



 鏡よ鏡、あなたの好きな悪夢はなあに?


 彼女の言葉を呼び水にして、学園時代の記憶がよみがえる。


 男爵令嬢のミランダ・グレイに謝罪をさせたこと。ゴーシュが平民の2人にしていたことを、自分も行っていた。大勢の生徒の前で囲み、見下しながら彼女に辱めを受けさせた。


『ねぇ、見て』と、夢の中の私は指さす。


「ただの密告だよ。証拠? そんなものは必要ない。アイツはずっと気に入らなかったんだ。俺の方が立場が上なのに。馬鹿なアイツに分からせてやったんだ」


 ゴーシュは得意げに語っていた。グラスに入ったワインを飲み干し、汚くゲップを吐く。

 根拠も何もない、ただ気に入らないという理由だけで、虚偽の情報を流す。


『あなたも、同じことをしたわ』


 声が後ろから聞こえた。ふわりと抱きつかれ、白い腕が回った。

 呼吸がうまくいかない。そうだ、自分も同じだ。根も葉もない噂話を流し、ミランダ・グレイを陥れた。「婚約者の品位を保つため」なんて正当化して、根拠をでっちあげて、孤立するように仕向けた。


(わたしも いっしょだ)


 涙があふれて止まらなくなる。「ごめんなさい」と謝罪の言葉を口に出そうとして、唇を噛みしめた。彼女だって何度も言っていた言葉を、自分は聞き入れようとはしなかった。なのに、自分は許されたいと願うなんて──そんなことは、許されない。


 くすくすと自分の笑い声がこだまする中で、私は静かに泣き続けた。


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