第36話 聖化

 クリル・サーベントは神殿内に宛がわれた一室で、“聖化”の準備を行っていた。大判の紙を卓の上に広げ、丁寧に魔法陣を描く。


 “聖化”とは、対象に浄化魔術を付与することである。通常、物に魔術を付与するには直接魔法陣を刻み、動力源となる魔石が必要だ。“聖化”は浄化魔術の魔法陣を対象に転写し、動力は使用者の魔力を利用するという少し特殊な付与魔術である。


 浄化魔術と治癒魔術は神聖魔術と呼ばれている。ただ、これは神殿が勝手にそう呼び始め、広く世に定着したに過ぎない。厳密には神聖魔術などというものは存在しない。神官や神殿を特別視させるための宣伝戦略である。


 魔法陣を描き終えたクリルが、ほぅっと息を吐いた。転写されるので、“聖化”で使う魔法陣はその都度描かなくてはいけないのだ。


 それにしても、とクリルは午前中に出会った少女たちのことを考える。特にプルクラという名の少女のことを。


 十歳でここレーガインの神官学院に入学し、十五で卒業と同時に神官となったクリルは、ランレイド王国西方にあるヨルデイル聖国の出身である。サーベント侯爵家の四男として幼い頃から武芸に励んでいたクリルは、十八歳で聖国の中央神殿に異動となり、自ら巡礼神官に志願した。

 神官になったのは、家督争いから完全に身を引くため。それと、“虚偽看破”の御力が活かせると考えたから。

 さらに巡礼神官に志願したのは、一所に長く居るのが性に合わないからだった。色んな国を見てみたい。各地の神殿を巡り、神殿のない小さな町や村で神の教えを説くのは仕事と割り切り、クリルの目的は旅そのものだった。


 十九歳で巡礼神官と審問官を拝命したクリルは嬉々として旅に出た。もちろん、危険なことは数えきれないほどあったし、死にかけたのも一度や二度ではない。その度に自らを治癒魔術で癒し、経験を積むごとに強くなった。自分が強くなったとはっきり自覚したのは、白金級討採者に“虚偽看破”の御力を使えた時だった。それからもう四年経つ。


 三十歳になったクリルだが、ここ四年間“虚偽看破”が通用しない相手には出会っていない。そのせいで少し慢心していたのかもしれない。

 十代前半にしか見えない華奢な少女、プルクラが、自分より格上だと分かった時の衝撃。辛うじて動揺を隠すことには成功したが、内心では歓喜で震えていたのである。


 クリルには、相手の嘘が容易く分かってしまう。それは彼を酷く傷付けてきた。

 幼い頃はまだ良かった。成長するにつれて自分の格が上がり、どんどん嘘を見破れるようになる。

 この四年間は人との関わりを極力避けてきた。自分の信じた人が嘘をついていると分かってしまうのだ。それはクリルの精神を少しずつ削っていた。


 嘘は誰かを騙すような悪いものだけではない。自分を守るための嘘や人を傷付けないためにつく優しい嘘もある。

 クリルを傷付けないようにと、信頼する人がつく嘘。それもクリルには分かってしまう。そして、嘘を見抜いていることを悟られないよう、柔らかい笑顔を自分に張り付ける。そんな生活がずっと続いていた。


 クリルは、人の嘘に疲れていたのだ。


 プルクラの嘘は見破れない。嘘をつかれても分からない。そんな人間がまだ居るという安堵は想像以上だった。また誰かを信じてみても良いと思えた。それが堪らなく嬉しかったのだ。

 プルクラの前では、笑顔の仮面を被る必要がない。素の自分でいられる。それはとても甘美なことに思えた。


 明日の再会を楽しみにしながら、クリルは準備を続けた。





 昨日は閉まっていた神殿の門だが、今日は開け放たれている。


 真っ白な壁には何の装飾もなく、門は木製で鉄の補強が入ったものだった。それは神殿というより牢獄のように見えた。だが今日は、壁の奥にある神殿の建物が見えている。

 何本も並ぶ太い円柱には精緻な彫刻が施され、所々金色に塗装されている。その他は真っ白だ。円柱の奥に壁があるが、大きな窓がたくさんあって解放感がある。その壁自体にも彫刻があり、透かし彫りのような部分もあった。いったい、この建物を作るのにどれだけの時間を掛けたのだろう。


 門の左右には門番がいたが、クリルの名を出すと一人が神殿の方へ知らせに行ってくれた。時間を置かずに青みのある銀色の髪と、昨日と同じ柔和な笑顔のクリルがやってくる。


「クリル、来た」

「ようこそプルクラさん、アウリさん。それにルカインさんも」

「クリル様、本日はよろしくお願いいたします」


 クリルの後ろを二人が付いて行く。ルカインはプルクラの肩の上で器用に眠っていた。


「良い武器が買えましたか?」

「ん。引退した巡礼神官が使ってた、短剣とナイフがあった」

「ほぅ。それは幸運でしたね」


 光が多く入る廊下をしばらく進み、一つの部屋に入る。石で出来た大きな長方形の卓と、その上に広げられた紙。紙には複雑な紋様が描かれている。


「魔法陣?」

「ええ。これを武器に転写するのです。短剣は一本ですか?」

「ん」

「ナイフは?」

「二本です」

「良かった。魔法陣は三つ用意していましたから、丁度ですね」


 クリルが柔らかく微笑む。


「クリル、何か昨日と違う」

「……そうでしょうか?」

「何となく……うきうき?」


 クリルの細い目が驚きで見開かれた。


「クリル様は“聖化”がお好きなのですか?」

「ええ、まぁ。でも、昨日とそんなに違いますか?」

「私も何となく感じます。肩の力が抜けているというか、笑顔がとても自然なものに感じます」


 クリルは癖で“虚偽看破”をアウリにも使った。使ってしまった。そしてまた驚く。


「何てことだ……アウリさんも格上とは」

「そんなことはないと思いますが。純粋な戦闘力ではクリル様の方がずっと上でしょう」

「ん。甲乙つけがたい」


 プルクラが意識して視ると、クリルの魔力は濃い黄色でかなりの魔力量だった。それがとても穏やかに体を循環している。


「お二人はどうして私が強いと思うのですか?」

「昨日は武器を向けられても全く動じていらっしゃいませんでしたから」

「クリルはずっと薄く障壁を張ってるでしょ? それが凄く安定してる」


 アウリが観察した結果を述べ、プルクラは視たままを伝えた。またもやクリルの目が驚きに見開かれる。


「プルクラさん、何故私が障壁を張っていると分かったのです?」

「視えてる」

「え?」

「私、魔力が視えるの」

「…………それは御力ではないですか」

「え、そうなの?」


 他の人に魔力が視えないことはレンダルから教えてもらって知ってはいたが、生まれた時から視えていたので、自分ではそれが特別な力だとは思っていない。


「……お話はまた後でするとして、先に“聖化”を済ませましょうか」

「そうですね」

「ん」


 アウリが拡張袋から、昨日買った短剣とナイフを取り出してクリルに渡した。クリルはそれぞれを鞘から出して検分する。


「ふむ、良い剣です。それにナイフも良い。これなら十分です」


 クリルから良い剣とナイフだとお墨付きを貰えたので、プルクラはほっとした。聖銀が二割近く混ざっていると言われたが、それはあくまでも店主が言ったこと。中古だから真偽は分からなかった。どうやらあの店主の言葉に嘘はなかったようだ。


 クリルが魔法陣の上に短剣を横たえ、“聖化”に必要な詠唱を始めた。


「天上の神々にかしこみ申す。諸々の禍事、罪、穢れ有らんをば祓い給い清め給え。その御力をこれに与え給わんことを願う」


 魔法陣が青白い光を発し、短剣を包み込む。光は徐々に収縮して細い線になった。一際強く光ってふいに消える。短剣が仄かに青白く光っていた。


「成功です」

「魔力を通した時に似てる」

「プルクラ様のおっしゃる通りですね」


 二振りのナイフにも同じことを繰り返し、無事“聖化”が完了した。


「クリル、ありがと」

「クリル様、“聖化”の費用はいくらお支払いすればよろしいでしょうか?」

「いや、これは昨日のお詫びですから。お代は結構です」

「そういう訳には」

「いえいえ、先ほどアウリさんにも失礼しましたし」


 しばらく押し問答が続き、結局相場である大銀貨三枚を神殿へ寄付することになった。


「二人とも意地っ張り」


 プルクラが半眼になってアウリとクリルを睨む。


「あの、プルクラさん」

「ん?」

「プルクラさんとアウリさんは旅をしていらっしゃるんですか?」

「ん、そう」

「私を同行させてもらえませんか?」

「「え?」」


 唐突なクリルの申し出に、プルクラとアウリは混乱する。因みに、ルカインは神殿に入ってからずっとプルクラの肩でお休み中である。


「あの、クリル様? 巡礼神官のお仕事は?」

「ああ、実は私の任期はもう終わっているのですよ。今は各地の遺跡を調査しています。もちろん偶には巡礼神官らしいこともしますが」

「遺跡?」

「はい。遺跡は大昔の神殿跡なのです。ご存じですよね?」


 プルクラはふるふると首を横に振った。


「クリル。もしかして遺跡詳しい?」

「ええ、多少は」


 遺跡に詳しいクリルがいれば、“至竜石”探しが捗るのでは? それに、また“お化け”が出た時にとても心強いのでは? プルクラは、期待の籠った目をアウリに向けた。


「アウリ、どう思う?」

「プルクラ様は同行させても良いとお考えですね?」


 アウリにはお見通しであった。


「ん……でも、ジガンの意見も聞かないと」

「ジガン、さん?」

「ん。私の剣のししょー」

「ほぅ」

「ジガン様ならどっちでも良いと言いそうですが」

「立ち話もなんですから、どこかで落ち着いてお話しませんか?」

「そうですね。プルクラ様、いいでしょうか?」

「ん。晩ご飯一緒に食べよ」


 夕方にまた会うことを約束して、プルクラとアウリ、ルカインは神殿を後にした。宿に戻る途中で目を覚ましたルカインが「にゃんでウチの意見を聞かにゃいんにゃ!?」と拗ねたが、「寝ていた駄猫が今更何ですか?」とアウリからひんやりした視線を向けられて黙り込んだのは余談である。





*****





 プルクラたちが神殿で武器の“聖化”に立ち会っている頃。ジガンはファルサ村に帰った途端、厄介事に直面していた。


「おいおい、何事だよ?」


 紆余曲折を経て、ジガンは王都でプルクラに買ってもらった新しい剣を腰に佩けるようになっていた。と言うか、単独行動をするからには武器を持たないわけにいかなかったのである。


 村の中央付近、少し開けた場所で、村人たちと見たことのない顔の三人組が対峙していた。


「だからぁ、プルクラって子を出せば何もしないって言ってるじゃなぁい」

「だから何度も言ってるだろ!? プルクラはここにはいないって!」


 淡い桃色の髪を伸ばした少女の口からプルクラの名が聞こえた。幼い見た目に反してその目は老獪で、紅を引いた唇は蠱惑的だ。

 その女に食ってかかっているのはギータ。ジガンが剣を教えている三人組の中で一番年上の男の子だった。


 見知らぬ女の後ろには、濃い紫色の髪を短く刈った筋骨隆々の大男と、魔術師のローブを纏い、鍔の広い三角帽子を目深に被った女が立っている。この二人は興味なさそうな顔をしながら、油断なく周囲に目を配っている。


「おい、何があった?」

「お、おお!? ジガンか! いや、あの三人組が突然やって来て、プルクラちゃんを出せって言い出したんだ。プルクラちゃんとアウリちゃんはどうした?」

「あー、今は別行動だ」


 一番近くにいたラレドの肩を叩き、ジガンが尋ねると、ラレドも事態をよく分かっていないようだった。


 ジガンは三人組を観察する。あの物腰、立ち居振る舞い……桃色髪の女と大男は近接戦闘型、三角帽子は見た目通り魔術師か。プルクラに何の用だ?


「まったく、子供じゃ話にならないわぁ。ねぇ、そこのお爺さん。プルクラって子がここにいるでしょう?」


 桃髪の女が、ギータやレノ、ダレンの後ろにいる村長に話し掛けた。だが、ギータが更に食ってかかる。


「お前だって子供じゃないかっ! 聞き分けのない子供は帰れよっ!」


 ギータの言葉を耳にした桃髪の目がぎらりと昏い光を放った。次の瞬間には女の手に短刀が握られ、口端を吊り上げてギータに迫った。


「ちぃっ!」


 既に身体強化を発動していたジガンがギータの前に躍り出て、女の短刀を剣で受け流した。


「子供に剣を向けるたぁ洒落になんねぇな」


 ジガンが怒気を孕んだ目で桃髪を見下ろす。後ろの大男と魔術師に動きはない。


「へぇー。ちょっとは出来る奴がいるみたいねぇ。プルクラって子がいないんなら、あんたでもいいわぁ」

「……プルクラに会って何がしたいんだ?」

「んー、指導? 鋼棘蠍を一人で倒したとか大法螺吹きの新人討採者は、先輩の白金級がちゃんと指導をするべきでしょう?」


 何言ってんだ、こいつ? ジガンには、その女の言っていることが理解不能だった。分かったのは、少なくともその女が白金級であること。


「えーと、つまりお前らはプルクラに喧嘩を売ってボコボコにされたいってことか?」


 ジガンは事実を述べたに過ぎないのだが、桃髪の女はその言葉に激昂した。こめかみに青筋が浮かび、怒りで全身を震わせている。


「いいわ。まずあんたから指導してやる!」

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