第35話 巡礼神官
「神殿は私の妹を見殺しにした! 我がシュトールゲン家の宝を奪ったのだ!」
神殿前の広場では、兵士たちに混じって一人だけ走竜に乗った若い男が気勢を上げていた。右手には装飾が過剰に施された長剣を持ち、切っ先を神殿に向けている。
朝日を受けて煌めく金色の髪、藍色の瞳、黒の騎竜服は金糸で精緻な刺繍が奢られ、一目で高価なことが分かった。
周辺では、恐らく付近の住民と思われる人々が少し遠巻きに騒動を見物していた。プルクラ、アウリ、ルカインもそれらの人々に埋もれている。
「あの人が強い敵意を神殿に向けてる」
「なるほど。それをプルクラ様が察知したのですね?」
「ん」
金髪の男は野次馬に向かって演説を始めた。曰く、妹が病に冒されたため神殿に助けを求めた。神殿は二人の中級神官を派遣したが、妹の病状は彼らの手に負えるものでなかった。上級神官の派遣を要請したが、神殿がこれを拒否した。その三日後、妹は帰らぬ人となった。
神殿が妹を見殺しにしたのだ。救える命を見捨てたのだ。そのような神殿に存在価値があるだろうか? 腐敗した神殿は断じて許せない。
何度か言い方を変えながら、同じことを繰り返している。それを聞いていたプルクラはげんなりしてきた。
「これ、いつまで続くの?」
「まったく、これでは神殿に入れないではありませんか」
アウリもお冠である。
「いっそ全員排除して――」
「待つにゃ!? 貴族を敵に回すと面倒臭いにゃ!」
今にも飛び出しそうなアウリの肩に、ルカインが精一杯伸ばした手を置いて止めた。
「アウリ、他に“聖化”武器が手に入るとこない?」
「貴女方は“聖化”武器を求めていらっしゃるのですか?」
男性の声でいきなり後ろから話し掛けられ、プルクラとルカインがビクッと飛び上がった。アウリがくるりと振り向き、腰の後ろに差した短刀の柄に両手を掛ける。
「ああ、突然声を掛けてしまい申し訳ございません。私はクリル。クリル・サーベント、見ての通り巡礼神官です」
三十歳前後くらいに見える男は柔和な笑顔を浮かべていた。身長はジガンより少し低いくらい。青みを帯びた銀色の髪を耳の上で整えている。笑顔だからなのか、元々目が細いのか、殆ど目が閉じていて瞳の色は分からない。
袖が白、身頃が濃紺の上衣には嫌味にならない程度の上品な刺繍が入っている。下は真っ白な長ズボン。首から丸と×印を重ねた神殿の象徴を提げている。
敵意を察知しようと集中していたプルクラには、クリルと名乗った男の存在に声を掛けられるまで気付かなかった。
「“聖化”を依頼しようと神殿を訪れたらこの騒ぎだったのです」
短刀の柄から手を離さずにアウリが答える。
「なるほど。レーガイン神殿の者に変わってお詫びいたします」
クリルは胸に右手を当てながら腰を折った。それは神官が正式に謝罪する際にとる作法である。
巡礼神官は、各地の神殿を巡るとともに、神殿のない小さな町や村で神の教えを説くのが仕事だ。護衛もつけずに旅をするので非常に危険な職業である。余程の熱意と腕に自信がなければ態々危険な巡礼神官に志願する者などいない。
「神殿が悪いのか分からない」
頭を下げているクリルにプルクラが告げた。
「もし神殿が悪いとしても、あなたが悪いわけじゃない」
「ほう。あの貴族の言うことを鵜呑みにしない、と」
「片方の言うことだけ聞いても分からない」
「おっしゃる通りです。貴女は聡明な方ですね」
プルクラは、何も悪くないクリルから頭を下げられるのが居た堪れないだけだった。神殿と貴族の諍いになど欠片も興味がない。
クリルが丁寧な物腰で、雰囲気も柔和なため人見知りが前面に出なかった。アウリとルカインがそんなプルクラに少し驚いている。
「さて。あの貴族が私に気付いたようです。少し話をしてみましょうか」
お話出来て良かったです、と言って、クリルは広場の方へすたすたと歩いて行った。武装した兵士三十人以上と貴族が近付くクリルを睨んでいる。
「アウリ、あの人危なくない?」
「恐らく大丈夫でしょう」
「そう?」
「はい。巡礼神官はとても強いのです」
強いと聞いて、プルクラはクリルに興味が湧いた。「聡明」なんて言われたのも初めてである。騒動の顛末が気になって、人の輪を抜けて前の方に歩み出た。ルカインは肩の上から「余計なことに首を突っ込むにゃ!」と苦言を呈し、アウリは慌ててプルクラを追う。
兵士たちから剣や槍を向けられる中、クリルは貴族の手前で立ち止まり、その場に跪いた。プルクラは、白いズボンが汚れることが凄く気になった。
「巡礼神官が何用だ!?」
「お初にお目にかかります、クリル・サーベントと申します。同じ神に仕える者として、レーガイン神殿が神の教えに反することをしたのなら、代わってお詫び申し上げます」
上衣の身頃が濃紺であることが、巡礼神官の証である。シュトールゲン家を名乗った男性は恐らく十代後半。貴族として教育を受けている者は、神官服の色でその職種や階級が分かるのも当然であった。
柔和な笑顔は消え、真摯に謝罪するクリル。ちらりと見えた瞳は濃い青だ。
「其方から謝罪されるのは筋違いだ。私はレーガインの神殿長と話がしたいのだ」
「お話、というには少々物々しいと存じますが」
「兵士らは妹の死に腹を立て、自発的に私の護衛として付いて来たのだ。強制はしておらん」
「さぞ妹君は慕われていたのですね。妹君の魂が神の御許へと導かれ、安らかなることを心よりお祈り申し上げます」
柔らかな声でクリルがそう言うと、兵士たちの中から啜り泣きの声が聞こえてきた。よく見れば、貴族の男性も目の周りが赤い。本当に妹の死を嘆き悲しんでいるのだろう。
「妹は明るく、誰にでも優しい子であった。あの笑顔がもう見れないと思うと……」
兵士たちはもう武器を下ろし、全員が涙を流していた。貴族の男性も懸命に涙を堪えている。
「僭越ながら、私がレーガイン神殿の言い分を聞いて参ります。その上で、もし妹君の永き眠りに神殿が加担したのだとしたら、審問官として彼らを罰して参ります」
クリルの言葉に、貴族の男性は目を丸くした。
「し、しかし……」
「住民が不安な顔になっております。ここでシュトールゲン様が直接神殿に裁きを下すと問題が大きくなりかねません」
そう言って、クリルは胸元の象徴を男性に向かって掲げた。朝日を受けて、明るい紫色の輝石が煌いた。
「私は中央神殿の巡礼神官であり、審問官です。神殿の悪事や腐敗を咎め、罰するのも私の任務です」
「……分かった。手数を掛けて済まないが、頼む」
「かしこまりました」
今にも神殿に乗り込もうとしていた貴族と兵士たちはすっかり落ち着きを取り戻し、整然と列を作った。一人神殿に歩いて行くクリルの背中を見送っている。野次馬たちはこれ以上の騒動が起きないと見て散り散りになり始めた。
「クリル、すごい」
「そうですね。しっかりと相手の心に寄り添う方のようです」
騒動が収まるならこのまま待って“聖化”について神殿に相談するのが良いだろうか。それとも出直した方が良いだろうか。神殿以外でも“聖化”武器が手に入るなら、神殿に拘るつもりもないのだが……。むーん、と腕組みをして考えるプルクラ。
「ね、アウリ――」
――ズガン!
アウリに意見を求めようとしたところで、神殿の方から何かが爆発したような、物凄い音がした。やがて、閉ざされていた神殿の門が開き、そこからクリルが出てくる。入った時と違うのは、両手で二人の神官らしき男性を引き摺っていることだった。二人の男性はクリルと似た格好だが、身頃の色が濃い紫色だ。クリルは貴族の前に二人を放り投げた。
「シュトールゲン様。妹君の治療を拒んだ上級神官はこの二人でございます」
神殿長は経緯を全く把握しておらず、上級神官の派遣を断ったことも知らなかった。この場に連れて来られた二人の上級神官は、本来中級神官並みかそれ以下の実力しかないにも関わらず、親の寄進と他の中級神官を陥れることで上級に昇格したらしい。
シュトールゲン家の末娘が病に伏せ、中級神官では歯が立たなかった時、偶々神殿に居たのがこの二人だけだった。彼らは派遣された中級神官の報告とシュトールゲン家の上級派遣の要請を自らの保身のために握り潰したのである。
「この短時間でよくぞそこまで……」
「私は神々より“虚偽看破”の御力を授かっているのです」
クリルの声が届いた範囲でざわめきが起きた。
この世界には、ごく少数ではあるが「御力」と呼ばれる特殊な能力を持つ者がいる。その力は非常に強いが、悪用すると失われる。どこからが悪用に当たるのかも定かではなく、人の役に立つ使い方をしなければならない。そのため、御力は神々によって授けられると考えられている。
過去、為政者がこぞって“虚偽看破”の御力を持つ者を囲い込もうとしたことがある。政敵や臣下の忠誠を見極めるのに都合の良い力だからだ。しかし、為政者が望む使い方をした途端、その者は御力を失ったと言われる。
周囲が何故驚いているのか分からずきょとんとしていたプルクラに、アウリがそのように説明した。
「つまり、クリル凄い?」
「そう言っていいと思います」
ほぇー、と感心した声を上げ、プルクラはクリルに視線を戻した。
彼はシュトールゲン家の男性に二人の上級神官を引き渡し、再度謝罪していた。気絶している二人は兵士たちによって縄で縛られ、荷物のように運ばれていく。彼らはクリルによって既に神官の資格を剥奪され、裁きは貴族であるシュトールゲン家に任せると言う。
「クリル・サーベント殿。貴方のお陰で無用な争いを避け、真に罰を受けるべき者を捕らえることが出来た。心より感謝する。これで妹も浮かばれよう」
「失われた命は二度と戻りませんが、同じことが起きぬよう微力を尽くします」
クリルは恭しく男性に頭を下げ、男性は鷹揚に頷いて兵士たちの後を追った。プルクラは、クリルが問題を解決した手際の良さに甚く感心した。自分ではとても同じようには出来ない。
貴族の背中を見送ったクリルが、何故かプルクラたちの方へすたすた歩いてきた。
「神殿内部の見苦しい所を見せてしまいました」
「別に気にしない」
一瞬、クリルの左目が仄かに光った。直後、クリルが驚いた顔になる。
「何と。貴女は私より“格上”なのですね」
「ん?」
「プルクラ様に“御力”を使いましたね?」
アウリが剣呑な目をクリルに向けた。再びプルクラがきょとんとする。
「プルクラさん、とおっしゃるのですね。“虚偽看破”の御力は、自分より格上の相手には通用しないのです。プルクラさんが余りにも無警戒なので、興味本位で使ってしまいました。申し訳ございません」
「ん、別に気にしない」
クリルがプルクラとアウリに謝ったので、アウリもすぐに矛を収めた。改めて自分たちの名をクリルに告げる。
「それで……その肩に乗っている子猫は?」
「クリル、この子が見える?」
「え? はい」
「ほほぅ。ウチが見えるにゃんて見所があるにゃ」
「……その猫が喋ったように見えたのですが」
「この子はルカイン。自称妖精」
「自称って言うにゃ!」
ルカインがプルクラの頭をてしてし叩く姿を、クリルは微笑ましく眺めた。
「クリル、欲しかったらあげる」
「うにゃーーー! ウチを簡単に人にあげるにゃ!」
てしてしの速度が二倍になった。クリルが思わず「ぶっ」と吹きだす。一頻り笑った後、クリルが切り出した。
「はぁ、はぁ……楽しい方々だ。先ほど興味本位で“虚偽看破”を使ったお詫びとして、私に武器の“聖化”をさせていただけませんか?」
プルクラが問うような視線をアウリに送ると、アウリが頷きを返す。
「お願いします」
プルクラが丁寧に頭を下げたので、落ちそうになったルカインが慌ててしがみついた。
「武器は何でもいいの?」
黒刀を“聖化”するつもりがなかったので、今から“聖化”に適した武器を買いに行く予定である。
「基本的に、呪われてさえいなければ何でも良いのですが――」
そう言ってクリルが教えてくれた。最も“聖化”と相性の良い素材は聖銀だが、純聖銀製の武器は非常に高価だ。その次に良いのは銀だが、これは武器に向かない金属である。更にその次は鍛造の鋼らしい。
「聖銀を一割以上混ぜた鍛造鋼なら十分ですね」
ジガンの剣を打ったディベルトなら、こちらの要望通りの剣を打ってくれるのに、とプルクラは少し残念な気持ちになる。
ただ、今回“聖化”武器を入手するのは、あくまでも心の平穏というか、保険のようなものだ。そうそう霊系の敵に出くわすことはない筈である。
プルクラはそう自分を納得させ、明日の昼過ぎに神殿を訪れる約束をしてクリルと別れた。
道行く人に尋ねながら、武具屋が集まっている場所に着いた。もちろん尋ねたのはアウリである。そして、プルクラと手を繋ぎながら数軒の武具屋を巡った。四軒目でお目当ての短剣が見つかった。中古だが、引退した巡礼神官が手放した物らしい。聖銀が二割近く混ぜられた鍛造鋼の短剣である。なんと、アウリにぴったりな大振りのナイフもあった。同じ巡礼神官の物だったそうだ。
店主に断って試し斬りさせてもらうと、黒刀より随分重いが使い勝手は悪くない。身体強化十倍で軽く振る。綺麗に寸断された藁束とプルクラを店主が何度も見比べていた。
とても良い状態だが、中古ということで短剣とナイフ二振り、それぞれの鞘まで合わせて金貨八枚。プルクラにはそれが妥当な値段なのか分からないのでアウリに判断を委ねた。
アウリが店主と交渉し、代金は金貨七枚と大銀貨四枚になった。少し交渉しただけで大銀貨六枚も儲けるなんてアウリは凄い、とプルクラは素直に感心する。
目的の買い物も出来たので、二人と一匹は満足して宿へ戻るのだった。
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