第34話 レーガインへ

「プルクラ、その猫はどうしたんじゃ?」

「レンダル、見えるの?」

「当たり前じゃ。儂、そんな耄碌しとらんし」


 レンダルの家に帰るとルカインについて聞かれた。そりゃ聞くよな、とルカインを含めて全員が思った。

 プルクラはルカインがレスタリア遺跡へ向かう途中で出会った妖精(自称)であること、理由は分からないが付き纏われていることを告げた。


「付き纏ってないにゃ!? 主従契約を結んだのにゃ!」

「おおぅ……喋るんじゃな」


 レンダルは割とあっさり受け入れた。それにしても、誰にでも見えるわけではないと言いながら、今のところ全員見えているのはどういうことだろう?


「……ウチにも分からにゃい」


 プルクラに問われたが、ルカインにとっても不可解らしい。


「レンダル、明日は神殿に行く。“聖化”武器が欲しい」

「……霊系に出くわしたかの?」

「…………」


 ずばり言い当てられて、プルクラがすぅっと目を逸らした。お化けが怖いことはレンダルも知っている。何せ“死霊王”の本はレンダルが与えた物だ。怖い本を読ませたといって、プルクラに泣いて怒られたことを覚えている。


「……備えあれば患いなし」

「そうじゃな。しかしこの街の神殿では無理じゃないかの?」

「レンダル様、やはりそうですか?」

「うん。レーガイン辺りまで行けば確実じゃと思うが」


 レーガインはブルンクスから西北西に二百ケーメルほど離れた街で、そこには神官学院があるため高位の神官が多くいるらしい。

 二百ケーメルと聞いて、ジガンが遠い目をした。また走って行くのだろうか……。


「ジガンは待ってればいい」

「そうですね。私とプルクラ様で行ってまいります。依頼を受けるか、駄猫とお留守番されてはいかがでしょうか?」

「ウチも置いていくにゃ?」

「来ても役に立たないでしょう」

「役立たず扱いにゃっ!?」


 アウリとやり取りしているルカインを眺めながら、ジガンは眉間の皺を深くする。俺がこいつの相手すんの?


「アウリ、プルクラと二人で行ったとして戻りはいつになる?」

「朝出発して夕方に到着して、翌日神殿を訪ねて……早くて三日ですね。“聖化”に要する時間次第ではもっとかかるかもしれません」

「早くて三日、か」


 “聖化”が出来る神官が居るか、居てもすぐに依頼を受けてくれるか分からない。もっと日数が掛かると思った方が良いだろう。腕組みをして考えていたジガンが口を開いた。


「……俺は一度ファルサ村に帰ろうと思う。最初は数日で戻るつもりだったからな」


 レノ、ダレン、ギータの男の子三人組や村長たちも自分を心配しているかもしれない。プルクラとアウリは女の子だから、余計に心配しているだろう。ブルンクスからなら、地竜車が出ていれば片道二日もかからないから顔を出しておきたい、とジガンが言った。


 ルカインがジガンとプルクラを交互に見る。自分はどっちに付いて行けばいいのか。どっちからも拒否されるのか。拒否されるのは悲しい。また一人になるのは寂しい。


「ルカは一緒に来ればいい」

「そ、そういうことにゃら一緒に行ってやらにゃくもにゃいにゃ」

「黙りなさい駄猫。プルクラ様のお慈悲に感謝するように」


 強がりを言うとアウリからひんやりした空気が漂ってきたので、ルカインは慌ててプルクラの陰に隠れた。


「入れ違いにならないよう、私たちも用事が済んだらファルサ村に行きましょうか?」

「ん。それがいい」


 こうして、それぞれの翌日からの予定が決まった。





 ジガンにとって幸いなことに、ブルンクスからリーデンシア王国に向けて地竜車便が出ていた。ファルサ村は元々止まる場所ではないが、少し多めに運賃を支払うことで、近い場所で降ろしてもらえることになった。


「チーくん……」


 出発した地竜車を見送るプルクラが心配するように小さく呟いた。僅かな時間で地竜と絆を結んだ、と本人は思っている。


「さ、プルクラ様。私たちも参りましょう」

「ん」


 ルカインも、自己申告で二人と一緒に走ることになっている。ブルンクスの西門を抜けて街道に出ると、ルカインが張り切って声を上げた。


「ウチに付いてくるにゃ!」


 プルクラとアウリは身体強化を四倍にして走り出す。一刻(二時間)で百ケメル弱進める速度だ。先に走り出したルカインはあっという間に追い抜かれ、二人に置いて行かれぬよう四本の脚を必死に動かす。それでもだんだん距離が開いてしまう。


 二人の背中が少しずつ小さくなっていく。一生懸命走っても追いつけない。それは、大昔にルカインが見た景色を彷彿とさせる。


 四百年以上前のこと。ルカインには主従契約を結んだ主がいた。その時、ルカインは兎の姿をしていた。最初に出会ったのは主の幼い妹で、人懐っこい兎を気に入って家に連れ帰った。そこで未来の主である姉に会った。

 親を亡くした姉妹は二人で力を合わせて生きていた。姉は狩人として森や山へ入り、妹は家事の大半を受け持っていた。


 姉妹の不幸は、妹が“至竜石”を見付けたことから始まる。


 ルカインは、“至竜石”のことを知識として知っていた。それを取り込めば強大な力を得るが、強い敵も惹き付ける。巨獣や魔王格と戦うことになる可能性があるし、“至竜石”を狙う人間もいる。

 まだ幼い妹をそんな危険な目に遭わせるわけにはいかない。妹もそれを望まなかった。そして、主である姉が妹の代わりに“至竜石”を取り込んだ。姉は適合者だったのだ。


 主は強大な力を得、それはすぐに知れ渡った。国中から手に負えない魔獣の討伐を依頼され、その見返りとして莫大な富と妹の安全を手に入れた。


 ルカインは主である姉を手助けした。妖精は主を守り、尽くすのが当然である。時には主の身代わりとなって敵の攻撃を受け、酷い傷も受けた。その度に、主は涙を流してルカインのことを心配した。私よりも妹を守って欲しい、と言われた。私なんかのために傷付いて欲しくない、と。


 そしてある時。世界の守護者になり損ね、精神を蝕まれた邪竜が現れる。


 主は、ルカインを置いて戦いに行ってしまった。へらっと笑い、頭を撫で、何も言わずに家から出て行った。気付いてすぐに追い掛けたけれど、主はかなり先を走っていた。必死になって走っても、主の背中はどんどん小さくなる。

 行かないで、と何度も叫んだ。お願い、と何度も懇願した。それでも主は振り返らず、とうとう背中は見えなくなった。そして、それが主の姿を見た最後だった。


 ルカインは目に涙を浮かべながら走る。視界がぼやけ、それをはっきりさせようときつく目を閉じた。その間も手足を必死に動かす。

 また置いて行かれる? また一人ぼっちになる? そんなのは嫌だ!


 次に目を開けた時、プルクラがしゃがんでこっちを向いていた。全速力を出していたルカインはすぐには止まれず、その勢いのままプルクラに突っ込んでいく。

 危ない、と思った瞬間、ふわっと抱き上げられた。そのままくるくると回転し、ルカインは何事もなくプルクラの腕の中に納まっていた。


「よくがんばりました」


 プルクラが優しい手つきでルカインの頭を撫でる。必死に走って上がっていた息が、一瞬止まりそうになった。それは、大好きだった主がよくしてくれたことだった。抱き上げて、労って、優しく撫でてくれたのだ。

 彼女のことを思い出して胸が詰まった。幸せだったときと、突然の別れを思い出して鼻の奥がツンと痛む。


「だいじょぶ。一緒に行こ」


 新しい主はそう言って、ルカインを腕に抱いたままゆっくり歩きだした。アウリは何か言いたそうだが口を噤んでいる。それは、ルカインが声を殺して泣いていたせいだろう。プルクラは、ルカインが落ち着くまでずっと優しく声をかけ、頭から背中まで撫で続けるのだった。





 夕刻前にレーガインに着く予定だったが、途中でゆっくり歩いたので完全に陽が落ちていた。門が閉まりそうだったので慌てて街の中に入れてもらう。


「ふぅ。ギリギリだった」

「次からはその駄猫を袋に詰めて運びましょう」

「…………」


 途中でプルクラが抱き上げてから、ルカインは一言も口をきかない。アウリが辛辣な言葉を掛けても上の空である。時折何か言いたげにプルクラを見上げるが、結局何も言わずに俯くことを繰り返していた。


「宿を探しましょう。湯浴みをしたいです」

「ん」


 アウリはレーガインの街に一度だけ来たことがあるらしい。その時はレンダルと一緒で宿の手配などは任せきりだったので、アウリも街のことはよく覚えていないと言う。門番に討採組合の場所を聞いてそこへ向かった。お勧めの宿を教えてもらうためだ。


 建物の窓から明かりが漏れていて、月も出ているので歩くのに支障はない。きょろきょろと辺りを見回すルカインの黒目が真ん丸になっている。


「お嬢ちゃんたち、どこに行くんだぁ?」


 まだ宵の口だと言うのに、酒臭い息をした男たちがアウリに絡んできた。プルクラはビクッとして、アウリの背中に隠れる。男たちに害意がないため、人見知りの方が優先された。


「お呼びじゃな――」

「シャァァアアアー!!」


 アウリが拳で排除する前に、ルカインが男たちを威嚇した。彼らにはルカインが見えていないようで、威嚇音がどこからしたのか辺りを見回している。やがてプルクラに目を止め、不気味なものを見たとでも言いたげに顔を歪めて立ち去った。アウリは目を丸くして去って行く男たちの背中を見送る。


「……何かしたのですか?」

「……軽く威圧を放ったのにゃ」


 ルカインが口をきいたので、今度はプルクラも目を丸くした。


「ルカ、ありがと」


 ルカインが威圧しなかったら無事では済まなかったかもしれない。もちろん絡んできた男たちが、である。あの男たちはルカインに礼を言うべきだ、とプルクラは思った。


 討採組合に無事到着し、開け放たれた入口から中を覗くとほとんど人がいなかった。


「プルクラ様、これなら大丈夫ですか?」

「……ん」


 プルクラがルカインを抱きしめる腕に少し力が入る。「ぐぇっ」とルカインが呻いたので、慌てて腕の力を抜いた。


「プルクラ。もう降ろしていいにゃ」

「ん」


 ルカインを降ろし、二人と一匹で組合の中へ入る。アウリが受付で宿の情報を得る間、プルクラは依頼書の掲示を見て時間を潰した。ルカインはプルクラの足元をウロウロしている。


「近くに良さそうな宿がありました」

「よかった」





 討採組合お勧めの宿でゆっくり休んだ翌朝。プルクラたちはひとまず神殿に行ってみることにした。


 宿は北門から入った大通り沿い、街の北区画にあり、神官学院や神殿は東区画にある。

 レーガインは王都ほどではないものの、ブルンクスの四~五倍の規模がある街だ。神官学院の他、南区画に貴族学院、西区画には魔術学院もある学術都市である。北区画は商人や平民が住まう区画で最も活気に溢れている。

 街の中心部は行政区画で、レーガインは領主に任命された代官が治めている。代官の屋敷も行政区画内に置かれている。


 街に入る際に身分証の提示が必要なのは他の都市と同じだ。街の中は、行政区画以外は各区画を仕切る壁などはなく、自由に行き来が出来る。

 神殿は神官学院の隣にあり、宿からは歩くと半刻(一時間)の距離だった。


「プルクラ、肩に乗っていいにゃ?」

「ん」


 人通りが多いので、小さなルカインは踏みつけられる危険がある。おまけに大半の人には見えないのだ。寧ろ肩に乗ってくれた方がプルクラも安心である。


「プルクラ様、歩いて行くのは大丈夫そうですか?」

「だいじょぶ。王都に比べたらよゆー」


 口ではそう言っているが、プルクラは先程から少し背を丸め、アウリの背中に隠れるように歩いている。そんな様子を、ルカインはプルクラの肩から不思議そうに眺めた。


「プルクラ、都会が苦手にゃ?」

「気配が多過ぎるのが苦手」

「にゃ、にゃるほど?」


 アウリの背中を盾に、俯きながら歩く様はまるで誰かから狙われているようである。


「敵意は察知出来るにゃ?」

「ん」

「プルクラの反応速度にゃら、敵意を察知してから構えても遅くにゃいにゃ」

「駄猫、詳しく聞かせなさい」


 ルカインの見立てでは、プルクラの人見知りと人混みが苦手なのは原因が別ではないか、と言う。人見知りは単に知らない人と何を話せば良いのか、どんな態度をとれば良いのか分からなくて起こる。人混みが苦手なのはプルクラの気配察知が敏感過ぎることが原因かもしれない。


「気配の中で、敵意とか害意とか良くないものだけを察知する練習をすればいいと思うにゃ」

「「なるほど」」


 雑多な気配を全て察知するからおどおどするのであって、察知する気配を選別出来るようになればいい。ルカインがそんな風に言うと、プルクラとアウリが揃って頷いた。


「敵意、敵意……」


 プルクラは歩きながらルカインに言われたことを試してみた。自分やアウリに向けられる敵意、害意だけに集中する。


「む、難しい」

「実際に敵意を向けられないと察知できないですもんね?」

「ん」


 そんなやり取りや敵意察知の練習をしていると、人混みに気を取られず歩くことが出来た。それだけでもルカインの功績と言えるだろう。気付けば神殿の上の方が見える場所まで来ていた。


「ルカ、ありがと」

「にゃ?」


 礼を言われた理由が分からないルカインが首を傾げる。それに構わず、プルクラは肩に乗るルカインの頭を撫でた。


「むっ?」


 神殿は目と鼻の先なのに、プルクラが足を止めた。


「プルクラ様?」

「敵意」


 アウリがさっと周囲を見回し警戒態勢をとった。


「ごめんアウリ。こっちに向いた敵意じゃない」

「そうですか。良かったです」


 アウリが全身から力を抜いた。そのまま敵意に注意しながら歩いていると神殿前の広場に辿り着いた。

 そこでは、鎧を身に着けて剣や槍で武装した多くの兵士が、神殿を取り囲んでいた。

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