第32話 ジガンとアウリの戦い方

「だから行かない方がいいって言ったにゃ……」


 ルカイン・ナーバンクライドは、かなり離れた草叢に隠れ、草の隙間から三人の背中と、それに向かって来る四匹の馬頭を見つめていた。


 妖精のルカインは子猫の姿をしているが、今は偶々その姿を借りているというだけである。喋り方も同様で、猫ならこうかな、と思って何となくそういう風に喋っている。


 一度に三人も主になる資格のある人間と会うのは珍しかった。そのうちの一人、蜂蜜色の髪と若葉のように明るい緑色の瞳をした子供は、人間とは俄かに信じられない魔力量だった。

 面白そうだからしばらく付きまとおうと考えたが、食べ物を受け取る時にうっかり触れてしまった。恐らく、口先だけでも「主」と呼んだのがいけなかったのだろう。意図せずプルクラと主従契約が結ばれてしまったのである。


 それについては仕方ない。妖精とはそういう存在なのだから。

 主従契約が結ばれたら、妖精は主を守らなければならない。主に尽くさなければならない。だが、ルカインはプルクラがそれに値する人間なのかまだ分からなかった。本来、主従契約とは長年共に過ごしてみて、双方が納得の上で結ぶものなのだ。それが、人間離れしたプルクラの魔力量のせいで無理矢理結ばれてしまったのである。


 ジガンという男とアウリという女に守られるようにして後ろに立つプルクラを見ながら、ルカインは考える。プルクラは、自分の主に相応しい人間なのか、と。









 突進してくる二匹の馬頭に向かって、ジガンは自分から距離を詰めに行った。


 ジガンの剣技は、敵の攻撃を受け流して隙を作り、そこに致命の一撃を加えるというのが基本の型である。だから自分から相手に突撃するようなことはあまりない。それなのに自ら前に出たのは、そうしないとアウリが三対一になる怖れがあったからだ。


 巨体の割に素早い馬頭は、近くにいる方がジガンに石斧を振り下ろしてきた。足を止めることなくそれを斜め下に受け流し、そいつの脇を切り裂く。耳障りな悲鳴を置き去りにして、後ろの馬頭の横薙ぎを上に逸らした。すかさずガラ空きになった胸の中心に突きを放つ。

 リーデンシア王国王都シャーライネンの鍛冶師、ディベルトの剣は驚くほど手に馴染む。実戦で使うのはこれが初めてだが、十年以上振ってきた剣のようだ。長さ、重量のバランス、握り込んだ柄の感触、全てにおいて違和感の欠片もない。


 剣の購入時にプルクラが言っていた、「剣に魔力を流す」というのがジガンには理解出来ていなかった。普段通りの少ない言葉でプルクラが教えてくれたところによれば、身体強化と同じようなものらしい。益々意味が分からなかった。


 余計なことを考えるのは後にしよう。今は、この剣でどこまで出来るか試すのが先だ。


 ジガンは突き刺した剣を素早く引き抜き振り返ると、口端を吊り上げながらもう一匹に肉薄するのだった。









 アウリは二本の短刀を逆手に持ち、二匹の馬頭に吶喊した。


 帝国の“養成所”で暗殺者として技術を叩き込まれたアウリは、生来の身体能力の高さを活かし、素早さを研ぎ澄ませてきた。

 純粋な速さでは勿論プルクラに劣る。だが、それを補って余りある“動き”を身につけている。それは、相手の視界から突然消える技である。

 身体強化十倍は全身に発動するのではなく、必要な瞬間、必要な部位にだけ発動している。アウリは自分の動きに大きな緩急をつけることに成功していた。


 真っ直ぐ来ると見せかけ、身体強化を使った速さで左右いずれかに飛ぶ。動体視力に優れた敵ならアウリが飛ぶのを目で追う。

 だが、そこにアウリはもう居ない。最初に飛ぶのは相手の視線を誘うため。そこから身体強化を最大にして逆方向に飛ぶ。移動する速度に緩急をつけることで相手が勝手に混乱するのだ。


 この方法で、一匹目の左後ろへ移動したアウリは馬頭の膝裏に連続で短刀を叩き込んだ。そこで時間を掛けたのは意図したものである。アウリの背中に向けて、もう一匹の馬頭が石斧を振り下ろす。

 アウリは膝裏を傷付けた馬頭の右後ろに回り込むと、少しだけ押した。その結果、アウリの背中に振り下ろされた石斧は押された馬頭の頭頂部に直撃する。


 素早さ特化のアウリには、大型魔獣を一撃で倒す力はない。同士討ちで一匹倒せば、後は時間を掛けても問題ないと判断した。


 アウリは短刀を顔の前で交差させ、残された馬頭を凍てつくような目で睨みつけた。









 プルクラは、少し離れた場所から二人の戦いぶりを食い入るように見つめている。


 黒竜の森から出るまで、プルクラの敵は魔獣だけだった。だから相手の魔力を視て、それでおおよその強さを推測していた。その方法で馬頭の強さを測ると、ジガンとアウリでは勝てない相手である。


 だがプルクラは既に知っている。魔力量だけでは真の強さを測れないのだ、と。


 それを知ったきっかけはジガンであった。魔力量は自分の方が圧倒的に多いのに、木剣の打ち合いでは一度も有効打を与えられないのだ。

 そして、ベルサス村で“鬼”の猛攻を退けていたジガンの姿を見て、洗練された技は魔力量の差を凌駕するのだと思い知った。


 ジガンは後ろの方にいた馬頭の胸を突き刺して致命傷を負わせた。振り向くと、脇を傷付けた馬頭がジガンに体当たりしようと突っ込んできた。まともに当たれば軽傷では済まない。

 しかし、ジガンは馬頭が丸めた右肩に剣を沿わせ、剣の角度を僅かに変えただけで体当たりそのものを逸らした。


 これだ。プルクラは体の芯が震えるような気がした。


 恐らく四倍以上ジガンより重い相手の重心と体の軸、それらの動きを全て読み、ほんの僅かな力でそれを逸らす技。食らった相手も何が起こったか分からないだろう。

 一歩間違えれば命に関わる場面でそんな芸当が出来るのだ。一体どんな修練をどれだけ積んできたのだろうか。


 たたらを踏んだ馬頭の右後ろからジガンが剣を振るい、その首を刎ねた。ジガンは危なげなく二匹の馬頭を仕留めたのである。


 そしてアウリ。プルクラはアウリが戦うところを見た覚えがなかった。それでも、普段の動きや魔力量から、かなり強いだろうとは予測していた。

 その予測を裏付けるように、変則的な動きで二匹の馬頭を翻弄し、一匹を同士討ちで早々に倒した。


 残った馬頭は、アウリの動きに全くついていけない。見えてはいるようだが、体が反応できないのだ。焦った馬頭は石斧を滅茶苦茶に振り回し始める。その勢いは、森の端にある木々の葉が揺れるほどだ。

 しかし、アウリにそんな攻撃は当たらない。寧ろ隙が大きくなり、短刀による傷が見る見るうちに増えていった。


 一撃で倒しきる力のないアウリの攻撃は、見ようによっては残酷だった。全身から黒っぽい血を流す馬頭は次第に力を失っていく。石斧を振り回す勢いが殺がれ、目から生気が失われ、遂に膝を突いた。アウリが首の後ろから頭蓋に向けて短刀を差し込む。それで馬頭は絶命した。


 ふぅ、と一つ息を吐き、アウリがプルクラににこやかな笑顔を向ける。ジガンも、森を警戒しながらこちらへ歩いてきた。既に二匹の馬頭から魔石を取ってきたようだ。


「あの二人、あんなに強かったのにゃ……」


 足元にルカインが戻り、プルクラを見上げている。言葉さえ発しなければ可愛らしい子猫だ。プルクラはふっと口元を緩め、ルカインを抱き上げた。


「二人は強い。大切な仲間」


 ルカインの喉を優しく撫でながらプルクラが口にする。二人の強さが誇らしい。二人が無傷で馬頭に勝利したのが自分のこと以上に嬉しい。


「よぉ、待たせたか?」

「見苦しい倒し方で申し訳ございません」


 ジガンとアウリがプルクラの前まで来て口を開く。二人とも両手に大き目の魔石を持っている。


「二人とも、怪我してない?」

「問題ねぇ」

「はい、怪我はございません」

「ん、良かった」


 プルクラがぱぁっと微笑むと、ジガンは照れたようにそっぽを向き、アウリは心配された嬉しさで目を潤ませた。


「アウリの動きは凄い。かっこよかった」


 心配された上に褒められたアウリは頬を上気させた。


「ジガンはやっぱり凄い。さすがししょー」

「いや、剣がいいんだよ、剣が」


 ジガンは照れ隠しで剣のお陰だと言う。


「二人とも強かったにゃ。いつも二人がプルクラを守ってるにゃ?」


 プルクラの腕を逃れ、いつの間にか肩の上に乗っていたルカインが二人に尋ねた。


「……お前、まだいたの?」

「黙りなさい、この駄猫が」

「冷たっ!? この二人、恐ろしく冷たいにゃ!」


 ルカインがプルクラの肩で立ち上がり、頬をてしてし叩きながら訴える。肉球の感触が気持ちいいな、とプルクラは思った。


「先に進も?」

「おう」

「はい」

「無視にゃ!?」





 森に踏み入ると、陽の光が遮られるせいで陰鬱な雰囲気になる。レスタリア遺跡はこのまま森を五ケメルほど進んだところにあるはずだ。


「右前!」

「はいっ!」

「左上!」

「あいよっ」


 アウリ、プルクラ、ジガンの順で森を進んでいた。プルクラが事前に気配を教えてくれるため、アウリとジガンは慌てることなく魔獣を倒している。身体強化を使って森を突っ切れば遺跡まで時間は掛からないのだが、今回の依頼はあくまでも調査である。一応、どんな魔獣がいたか報告しなければならない。倒した魔獣から魔石を取るため、想定より時間が掛かっている。


「アウリ、魔獣多い?」

「今のところ普通のような気がします」

「馬頭は別として、大して強い魔獣もいねぇよなぁ」


 アウリとジガンの言う通り、特別な異変は感じない。これまで遭遇した魔獣は、尾黒狼、赤大猪、六剣鹿、青飛猿、土蛇とありふれたものばかり。数が特別多いわけでもない。討採組合の勘違いではなかろうか、と三人は疑った。


「異常がないのなら、それを報告すれば良いと思います」

「だよな。魔石は取ってるから、多少の稼ぎにはなるし」


 二人が依頼について話す中、目的が違うプルクラは別のことを考えていた。

 遺跡ってどんな所だろう? 古い建物がたくさんある? 大きな建物が一つ? 入り組んだ迷路になってる?

 少し考えただけで胸が躍る。“至竜石”が見付かれば言うことなしだが、ニーグラムでも八千年で一つしか見付けてないのだ。一生かかっても見付からない可能性の方が高いことくらい、プルクラも分かっている。


 それからしばらく、散発的に襲い来る魔獣を倒しながら先へ進んだ。


「ん?」


 ある所を過ぎた辺りで、プルクラは僅かに違和感を抱いた。


「どうした、プルクラ?」

「何かありましたか?」

「んー、何か変?」


 プルクラの勘は侮れないと知っているジガンとアウリは足を止め、周辺を警戒する。視線を素早く動かし、耳をそばだてた。


「……音がしねぇ」

「……本当です。鳥や虫の鳴き声すらしません」

「プルクラ、引き返すにゃ」


 口を噤んで肩に乗っていたルカインが、囁くような声でそう告げる。


「強い魔獣、いる?」

「分からにゃい。凄く嫌な感じがするにゃ」

「だいじょぶ。ルカは私が守るから」

「にゃ?」


 こいつ何言ってるんだ? とルカインは思った。ここに来るまで、プルクラは一匹の魔獣も倒していない。全てジガンとアウリが倒している。たぶんこいつは魔力量がべらぼうに多いだけで、戦う力はないのだ。全然大丈夫じゃない。


「プルクラ様、いざとなったらその駄猫を囮にして逃げましょう」

「囮になるか?」

「……敵に投げつけましょう」

「ひどいにゃっ!?」


 アウリはずっとプルクラの肩に乗っているルカインが気に食わないのである。妖精だか猫だか知らないけれど、私のプルクラ様に馴れ馴れしいのです!

 ジガンはどっちでも良いと思っている。害さえなければ、プルクラが連れて行きたいのならそうすればいい。


「ルカ。私たちは依頼を受けた。出来るだけのことをしなきゃいけない」

「プルクラ様のおっしゃる通りです」

「……プルクラ、お前まともなこと言えるんだぁ痛っ!?」


 プルクラがげしげしとジガンの脛を蹴った。


「本当に危険と思ったら引き返す。いい?」

「……分かったにゃ」


 しんと静まり返った不気味な森を、遺跡に向かって進む。薄暗い上に霧まで出てきて視界が悪くなった。相変わらず生き物の気配がしない。


「プルクラ様、見えてきました」


 木々と霧の向こうに、太い石柱のようなものが見えた。もう少し近付くと、同じような石柱が何本も立っている。途中で折れたり崩れかけたりしているが、円を描くように配置されていたようだ。中心には、まるで祭壇のように少し高くなった石の塊があった。


 そこに、ぼんやりと赤く光る人影が浮いている。


「拙い。ありゃ死霊王だ」


 “死霊王”と聞いてプルクラの全身に鳥肌が立った。同時にルカインの毛が逆立つ。


「撤収!」


 三人と一匹は来た道を急いで戻り始めた。

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