第30話 ブルンクスの街へ

「プルクラ様。このマルムの実が、一個鉄貨八枚です。このお皿に乗った六個を一度に買えば、銅貨四枚と鉄貨五枚だそうです」


 ほぅほぅ、とプルクラがアウリに向かって頷く。


「六個買えば鉄貨三枚お得」

「その通りです! ただ、お得だからと言って六個必要か、ということも考えなくてはいけません」

「む、なるほど」


 リーデンシア王国王都シャーライネンに到着し、ジガンの剣を購入した翌日。プルクラとアウリの二人は、王都の北東にある市場を訪れていた。最も混む朝を避け、今は昼を過ぎた時間である。

 それでもかなりの賑わいのため、おどおどしているプルクラの手をアウリが握っている。プルクラの気を紛らわせるため、露店を覗いてはアウリが計算問題を出していた。その甲斐あって、プルクラは次第に人の多さよりも露店で扱っている商品の方が気になるようになっていた。


「プルクラ様、それではマルムの実を一つだけ買ってみましょう」

「ん」


 そう言って、アウリはプルクラの手に一枚の銅貨を乗せた。


「マルム、一個、ください」

「あいよ、鉄貨八枚ね! 銅貨一枚だから、はい、金貨二枚のお釣りだよ!」

「???!」


 お釣りは鉄貨二枚の筈なのに、金貨二枚!? それじゃお店が大損しちゃう!


「プルクラ様、大丈夫です。これは商売人がよく言う冗談なのです。お釣りを受け取ってください」


 プルクラが、アウリと店のおばちゃんの顔を交互に見ながら、両手を出して釣りを受け取った。そこには、ちゃんとマルムの実と鉄貨二枚が乗せられていた。


「何で金貨って言うの?」

「大きな金額は景気が良く聞こえるでしょう? 商売人は景気が良くないと困るので、願掛けのようなものだと思います」

「へぇ~」


 赤いマルムの実を掌で転がしながらプルクラが感心したような声を出した。

 その後、湾曲した細長い黄色の果実が房になっているムーサ、緑色で表面に網目模様が走るククミスなど、プルクラがお金を払っていくつかの果物を購入した。


「いっぱい買った」

「そうですね。今日はこれで帰りましょうか?」

「ん」


 市場の中でも果物を取り扱っている狭い区画しか回っていないのだが、プルクラは精神的にくたくたである。


「プルクラ様、今日は頑張りましたね」

「ん!」


 購入した果物は全て拡張袋に入れ、ジガンの待つ宿へ帰ることにする。

 ジガンは剣を買った後に宿を決めてから一歩も外に出ていない。食事すら、宿に頼んで自室まで持って来てもらっている。


 市場から王都の中心部寄りにある宿に戻ると、同じ階にあるジガンの部屋を訪ねた。


「ジガン、帰った」

「ジガン様、果物を買ったので召し上がりませんか?」


 扉を軽く叩いてそう告げると、がちゃがちゃと錠を開ける音がしてほんの少しだけ扉が開く。


「……お前たちか。けられてないか?」

「だいじょぶ」


 ジガンはもう少し扉を開け、顔だけ出して廊下の左右を確認してから二人を招き入れた。


「……ジガン。拡張袋にしまおう?」

「嫌だ。せっかくこんないい剣を買ってもらったんだ。肌身離さず持っていたい」

「でも、そのうち宿から出なきゃいけない」

「分かってる。もう少し、気持ちの整理がつくまで待ってくれ」


 ジガンは、これまで所有を考えたこともない高価な剣を買ってもらったことで、突然の人間不信に陥っていた。誰もかれもが剣を盗もうと狙っている、そんな妄想に囚われてしまったのだ。いい歳をして小心者である。


「ええい、鬱陶しい!!」


 アウリが大声を上げ、プルクラとジガンが同時にびくりと飛び上がった。その隙に、アウリはジガンから鞘に入った剣を取り上げ、自分の拡張袋に突っ込んだ。


「あぁぁ……」

「ほら、ジガン様。これで盗まれる心配がなくなりましたよ?」

「あぁぁ……」

「夕食は外に食べに行きますからね?」

「あぁぁ……」


 ジガンは魂が抜けたような返事しかしない。大切なものを突然奪われたものの、目の前から消えて安堵したような複雑な気持ち。


「……ジガン、あわれ」


 プルクラがジガンに憐憫の目を向けた。


「プルクラ様。ジガン様を甘やかしてはいけません」

「はいっ」


 アウリからひんやりした空気を感じたので、プルクラはぴっと背筋を伸ばして返事した。


 機嫌を直したアウリが果物の皮を剝いて切り分けてくれたので三人で食べる。抜け殻のようだったジガンが、果物を食べているうちにまともになってきた。


「なぁ、いつまで王都に滞在するんだ?」

「んー、決めてない。ただ、五日後にはレンダルの家に行きたい」

「早めに行っても大丈夫ですよ、プルクラ様?」

「魔導具作るのに邪魔じゃない?」

「レンダル様はプルクラ様がいらっしゃるのを心待ちにしていますから」


 旅立つ一か月前に会ったきりレンダルと会っていないので、プルクラも会いたいと思っている。


「ジガン。王都で用事ない?」

「特にねぇよ」

「アウリは?」

「私もございません」

「ん。じゃ、明日行こ」

「はい!」

「分かった……ところで、そのレンダルさんはどこに居るんだ?」


 そう言えば話してなかったか、とアウリがプルクラと顔を見合わせた。


「ランレイド王国のブルンクスという街です」

「あぁ、ブルンクスね……って結構遠いぞ!?」

「だいじょぶ。転移する」

「転移?」


 プルクラとアウリがニーグラムから転移の腕輪を受け取った時、ジガンは黒竜と初めて遭遇したことで混乱し、話を全く聞いていなかった。少し呆れた顔をしながらプルクラが説明する。


「ほぉー。じゃあ転移で行けるのか」

「ん」

「その代わり、そこからの移動は自分の足ですが」


 自分の足と聞いてジガンの魂がまた少し抜けたようになった。ファルサ村からオーデンセンまで走りっ放しだったのを思い出したようだ。


「……て、手加減してくれる?」

「ジガン様がお痩せになるとプルクラ様が心配なさりますから。無理はいたしません」


 アウリの言葉を聞いて、ジガンはあからさまに安堵した。





 翌朝。宿の清算を終えた三人は宿から少し離れた路地に入った。王都の防壁から外はしばらく見晴らしの良い平原が続くため、人目を忍んで転移するのに向かない。建物が密集する街中の方が人に見られる危険が少ないと判断した結果だ。


 狭い路地で、三人が触れ合うくらいの距離に固まる。


「ジガン様、もう少し近付いてください」

「こ、こうか?」

「もう、いっそプルクラ様の腰を抱いてください」

「え? ……プルクラ、触れていいか?」

「ん」

「私もくっつきます」

「ん。……それじゃ転移する」


 アウリはレンダルに連れられて、森の小屋に何度も転移して来たことがある。今回、転移はプルクラの腕輪だけで行うことにしたので、複数人で転移する際の注意点をアウリが述べていたのだ。


 左手首に着けた腕輪に魔力を流し、外側の釦を押す。足元に複雑な文様の魔法陣が浮かび、それが青白く光った。丁度三人の足元を覆う大きさだ。

 視界が霞んだようになり、大きく歪む。一瞬の浮遊感の後、そこは建物に挟まれた狭い路地ではなく、見知らぬ家の納戸のような場所だった。


 少し離れた部屋から、どたばたと慌てたような音が聞こえる。


「レンダル様、アウリです! ただいま戻りました。プルクラ様も一緒です!」

「おぉ!」


 ばたばたとこちらに音が近付き、レンダルが扉を開いてくれる。


「レンダル!」


 プルクラは、思わずレンダルに抱き着いた。


「おお、プルクラ! それにアウリも! よう来たの! ……で、そいつは誰じゃ?」


 レンダルは床に跪いたジガンを見、アウリに目で問うた。


「お久しぶりでございます、大魔導レンダル・グリーガン様。元クレイリア王国第二騎士団副団長、ジガン・シェイカーでございます」


 抱き着いたプルクラの頭を撫でながら、「はて……?」と記憶を探るように納戸の天井を見上げるレンダル。


「おお、思い出した! バルドス・ロデイアの所におった暴れん坊か!」

「あば……おっしゃる通りです」

「そうかそうか! 老けたな!」

「……レンダル様に言われたくありません」


 はっはっは、と笑いながら、レンダルは三人を居間に案内した。


「レンダル様、お茶を淹れますね」

「おぅ、アウリ。助かる」


 この家で長らく生活を共にしていたアウリが勝手をよく知る台所でいそいそと働き始めた。


「プルクラ。旅に出てどうじゃ? 不都合はないか?」


 長椅子に腰を下ろしたレンダルが、向かいに座るプルクラを愛おしそうに見つめる。


「だいじょぶ。森の外も楽しい」

「そうか、それは重畳じゃ。ところで、どうしてジガンといるんじゃ?」


 黒竜の森を出てすぐにジガンと出会ったことや剣術を教えてもらっていることを話す。


「あの暴れん坊が孫の師匠とは……縁とは不思議なものじゃのう」


 レンダルの言葉を受けてプルクラは隣のジガンに尋ねた。


「ジガン。暴れん坊だった?」

「お前にだけは言われたくない」

「むぅ」

「さ、お茶が入りましたよ」


 人数分の茶器を並べ、アウリはレンダルの隣に座った。


「レンダル、転移の腕輪ありがと」

「早速役に立ったようで何よりじゃ」

「魔力を隠す魔導具も作ってくれてるって、お父さんに聞いた」

「うむ。そっちはあと数日かかりそうじゃわい」


 プルクラたちが転移で移動してくるまで、その魔導具作りに没頭していたらしい。


「邪魔じゃない?」

「邪魔なわけあるか。好きなだけここに居ていいぞ」


 レンダルにとって、プルクラとアウリは二人とも可愛い孫である。


「レンダル、お願いがある」

「なんじゃ?」

「転移の腕輪、改造出来る?」

「改造?」


 プルクラは、直前までリーデンシア王国の王都にいたことを伝えた。レンダルの家や森の家に転移出来るのは便利だが、そこから元いた場所に戻りたい場合は距離の問題が大きくなる。


「レンダルみたいに、行ったことある所に行けたら凄く便利」

「それはそうじゃろうな」

「駄目……?」


 プルクラは顎の下で両手を組み合わせ、少し潤んだ目でレンダルを見上げた。


「駄目なわけあるか。儂に任せておけ」

「やった! レンダル大好き」


 大好き、と言われたレンダルは「うっ」と呻いて胸を押さえた。


「レンダル、だいじょぶ?」

「ああ、問題ない。そうとなったら先に例の魔導具を仕上げて、プルクラの腕輪を改造しようかの」

「ん!」


 左手首から腕輪を外し、レンダルに渡す。


「アウリ、この街にも討採組合ある?」

「ありますよ。どうされました?」

「せっかくだから依頼受けてみたい」


 レンダルの邪魔にならないよう、暇潰しも兼ねて何か依頼を受けようという心算である。


「なるほど。ずっと家に居てもレンダル様の気が散りますもんね」


 レンダルは既に転移の腕輪を改造することを考えているらしく、何やらぶつぶつと呟いていた。


「ん。ジガンもいい?」

「いいぞ」

「じゃ、行こ」


 一人の世界に没頭しているレンダルには置手紙を残し、三人はそっとレンダルの家を出た。





 アウリの案内で街の西門近くにある討採組合ブルンクス支部に向かう。


「プルクラ様、ブルンクスの街はいかがですか?」

「王都より人が少なくて、とてもいい」


 リーデンシア王国の王都シャーライネンは、人間世界初心者のプルクラには難易度が高過ぎた。

 シャーライネンで少しは慣れたのか、ここブルンクスではブルクラもおどおどすることなく普通に歩いている。アウリは、プルクラの成長が嬉しいような、手を繋ぐ大義名分がなくて寂しいような、少し複雑な気持ちである。


 そんなアウリの気持ちを察したように、プルクラがそっとアウリの手を握った。ハッとしてプルクラの方を見ると、何やらジガンとお喋りしている。特に意味があった訳ではないらしい。でも、それが却って嬉しかった。プルクラにとって、街中を散策する時はアウリと手を繋ぐのが自然だと思っているのが分かったからだ。


 上機嫌でしばらく歩くと討採組合に到着した。知らない人が確実に居ると分かっている建物に入るのはまだ緊張するらしく、プルクラの握る手に力が入る。


「大丈夫ですよ、プルクラ様」

「ん」


 ジガンが、まるで常連のような顔で堂々と中へ入るのに付いていく。討採者は数人しか居らず閑散としていた。プルクラの手から力が抜ける。

 右手に各種受付があり、その対面の壁に様々な依頼が貼りだされていた。三人でその掲示を見る。


『アリジーネ草の採集・十株 ※根と周りの土ごと』

『カトランの実の採集・三十個』

『卵蛍石の採取・二十ケーラム(キログラム)』

『水晶鼠、背中の水晶質・一個~ ※傷が少ない物は買取額上乗せ』

『長爪熊の肝・一個~ ※傷がある物は買取不可』


 この他にも多くの依頼があり、長く放置されて紙の色が変わっているものと真新しいものが混在している。


「水晶鼠、倒しとけばよかった」

「……遠くにぶっ飛ばしたからなぁ」


 騎士たちと一緒に百匹くらいの水晶鼠が目の前から掻き消えた情景を思い出し、ジガンが遠い目をする。


「あら? この顔は……」


 そう言って、アウリが一枚の依頼書を指差す。日に焼けて色が変わっているから、かなり放置されているのだろう。


『盗賊“鉄鬼団”、頭目ガルダントの捕縛または討伐』


 そこには、ガルダントなる盗賊の似顔絵が描かれていた。


「…………なんか、あいつに似てんな」


 ベルサス村でジガンが対峙し、駆け付けたプルクラが倒した鬼のような奴。アウリも倒した後の姿を見ている。


「似てない。あいつ、角生えてた」

「確かにそうだな。他人の空似か」

「そうですね。こちらには角がありません」


 三人がそれぞれ依頼書を吟味していると、後ろから声を掛けられた。


「こんにちは、アウリさん!」


 三人が声に振り返ると、声の主は驚いたように後退りした。アウリに声を掛けたのに、他の二人も振り返るとは思わなかったようだ。


「こんにちは、ベリンダさん」


 顔なじみの受付職員だったらしい。二年前に登録したアウリは、時々討採者として活動していた。完璧な仕事ぶりから職員の覚えがめでたいのである。


「アウリさん、依頼をお探しならこれなんてどうですか?」


 そう言ってベリンダが差し出したのは、真新しい依頼書。


『レスタリア遺跡に最近住み着いた魔獣の調査』


 “遺跡”という単語に、プルクラの目がきらりと光った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る