第28話 雷霆

「『フルーメン雷霆』」


 プルクラが「竜の聲」を紡ぐと、世界が白に染まった。一拍遅れて、耳をつんざく轟音が体を揺らす。


 それは本当に一瞬のことだった。地に伏していた魔獣は勿論、騎士や歩兵の姿が跡形も無く消えた。後から駆け付けたキースランとその部下、乗って来た走竜も消えた。そこに残されたのは、プルクラ、アウリ、ジガンの三人だけである。


 一足先にこの場から去ったブレント・リーデンシア第三王子とその従者、近衛騎士団のミスティア・リープランドと二人の騎士、そして三人の歩兵は無事だった。魔導車の中にいた王子と従者以外の六人は、つい先ほどまで自分たちが居た場所に光の柱が立ち上がるのを見た。少し遅れて腹の底に響くような轟音が届いた。


「何事だ!?」

「殿下、危険ですから車内にお戻り下さい!」


 窓から身を乗り出して後方を確かめようとするブレント王子を、ミスティアが庇いながら諫めた。その直後、真っ直ぐ立っていられない程の暴風と、それに乗った熱波が襲う。剥き出しの肌がじりじりと灼けるようだ。


「くっ……一体何が」


 風から守るために腕の前に交差させた腕の隙間から見えたのは、光の柱が細くなって空に消えていくところだった。





「プルクラ様!?」

「おい、プルクラっ!」


 光が収まった時、プルクラは前のめりに倒れていた。ジガンがプルクラの横に膝を突き、体を上向かせる。鼻の上に手を翳すと呼吸しているのが分かった。


「生きてる」

「本当に? 良かったです……」


 下手に動かすのは拙いかもしれない。ジガンとアウリはどうしたものかと顔を見合わせて思案する。


「ん……」

「プルクラ様っ!」


 薄く目を開けたプルクラは、頭を少し動かして自分が地面に横たわっていることに気付いた。体を起こそうとするが、力が入らない。ジガンが背中に手を回して起こしてやった。


「魔力、切れた」

「魔力切れかよ……びっくりさせんなよ」

「良かった……」


 アウリがプルクラの手を取って涙を零した。


「アウリ、心配させてごめん」

「いいんです、プルクラ様。私のために怒ってくれたんですよね?」

「ん」

「喋って大丈夫なのか? 動けるか?」

「んーん、無理。ジガン、抱っこ」

「しょーがねぇなぁ」


 つい先日したように、ジガンはプルクラを横抱きに抱き上げた。


「しかし、全員殺しちまうとはな。確かにむかついたけど」

「ん? 殺してない」

「「え?」」


 ジガンとアウリが同時に聞き返す。


「殺すのは、殺さないと駄目な時だけ。もしアウリが怪我してたら殺したけど」

「え? でも跡形もないぞ?」

「遠くにぶっ飛ばした」

「は? 遠くってどこだよ?」

「んー、だいたいあっちの方」


 プルクラが指差すので、ジガンは彼女を抱いたまま振り返った。指の先を追って遠くを眺める。


「見えねぇけど?」

「あの山の辺り」

「…………はぁ!? あれはグレイシア山だぞ? ここから三百ケメルはあるぞ!?」

「だいたいその辺」


 グレイシア山とは、王都シャーライネンの南西約三百ケメルに位置する山岳地帯にある山である。


 プルクラが使った「フルーメン雷霆」はまるで転移魔術のようだった。雷の速度で対象を遠くへ飛ばす「竜の聲」である。飛ばす、というのは比喩ではなく、物理的に飛ばしている。ただし、殺すのが目的ではなかったのでふんわりと着地するよう気を遣った。これはキースランたちを気遣ったのではなく、騎士が乗っていた走竜を気遣ったものだ。ついでに水晶鼠たちもふんわり着地しているので元気一杯であろう。因みに「プロステルネーレひれ伏せ」は「フルーメン雷霆」の直前に解除している。


「だから死んでない筈」

「……お前、変な所で優しいよな」

「走竜に罪はない。けど、おかげで魔力が切れた」


 着地の衝撃を殺すためにかなりの魔力を消費したのであった。対象の数が多かったのもプルクラが魔力切れを起こした原因である。


「まぁ、とにかく殺してねぇってこったな」

「殺した方が良かった?」

「いや。これでいいと思う」

「私もそう思います。善意で助けに入ったプルクラ様に刃を向けたのは万死に値しますけど、彼らも一応騎士ですから。民を守る仕事を全うしなければなりません。死んだ方がいいですけど」


 アウリは一体どっちなんだろう、とジガンは首を傾げた。

 地竜車の方へ向かって歩き出すと、かなりの速度でこちらへ近付いて来ていた。


「おーい、あんたら大丈夫か!? すげぇ光と音だったが、何があった?」


 馭者の男性が心配してくれたようだ。地竜も同じく心配したようで、ジガンの腕に抱かれたプルクラに鼻面を寄せて来る。力が入らない腕を精一杯伸ばし、プルクラは地竜の鼻先を撫でた。


「チーちゃん、心配してくれてありがと」


 ジガンが「近くに雷が落ちたみてぇだな」と誤魔化し、三人は地竜車に乗り込んだ。





*****





「ここは一体どこだ!?」


 木々が生い茂る場所でキースラン・レイランド近衛騎士団副団長が吼えた。二十七名の騎士、二十八匹の走竜、十七名の歩兵が周囲に散らばり右往左往している。かなり多くの水晶鼠が近くに居り、半数以上は森の奥へ散ったものの、残りが襲い掛かってきた。それを早々に倒し、キースランは部下に現在地の特定を指示する。歩兵の一人が装備を外して一際高い木に登り、周辺を見回していた。


「副団長! あちらの方角に村が見えます!」


 木の上から、その歩兵が腕を一生懸命伸ばしてある方向を示した。太陽の位置から推測すると、恐らく北だろう。


「よし! とにかく村を目指す。ここがどこか分からねば話にならん」


 状況から考えると、あの少女が転移魔術を使ったように思えた。しかし、一瞬の移動の際に風圧を感じたし、流れる景色が見えたような気がする。転移とは違うのではないか。

 いずれにせよ、これだけの人数が未知の場所に飛ばされたのだ。本人は否定したが、相当腕のある魔術師に違いない。


 それにしても、とキースランは自問する。こんな芸当が出来るなら、何故自分たちを殺さなかったのか、と。

 それに加え、自分の一撃を顔色一つ変えずに受け止めた。剣や槍、盾で受けたのではなく、素手で止めたのだ。そんなことが出来る人間は、キースランが知る限り居ない。


「副団長、槍が……」

「何だ?」


 部下の一人に言われ、槍をまじまじと見つめる。穂先のすぐ下が凹んでいた。まるで子供が粘土に手形を付けたように、拳で握り込んだ形に凸凹になっていた。

 そこは丁度、あの少女が槍を止めた時に握った場所ではなかったか?


「この柄は鋼だぞ……」


 一般的に槍の柄は木が使われる中で、キースランは鋼製を採用している。馬鹿みたいに重くなるが、簡単に折れないし攻撃力が段違いになるのだ。愛用して十年近くになる。当然、柄のどこにも凹みなどなかった。自分がどれだけ力を込めて握り締めても凹むことなどなかった。


 キースランの脳裏に、ジガン・シェイカーの言葉が蘇る。


『事の重大性を案じているだけでございます』


 無様に地に伏した者たち。自分を同じように伏せさせた力。自分たちを未知の場所に一瞬で移動させた能力。鋼を事も無げに凹ませる膂力。キースランの背筋を冷たい汗が流れる。


『怒らせるわけにはいかない相手でして』


 あの少女の父親を怒らせてはいけない。ジガンはそう言っていた。少女を、ではない。その父親を、だ。娘ですら人外の力を持っているのに、その父親とは一体どんな人物なのか。


 キースランは固く決意した。もしあの少女と再会しても、決して近付かないことを。後で忘れないように部下にも周知しなくては。





*****





「一時はどうなることかと思ったが、やっと着いたな」


 王都シャーライネンの北門前広場で地竜車を降りたジガンが、凝った首を回しながら呟いた。


「あっという間でしたね?」

「どこがっ!?」


 ここに至るまで何もなかったかのように、アウリが笑顔で同意を求めた。ジガンは全力で否定する。


「チーちゃん……」


 魔力切れから復活したプルクラは、目に涙を浮かべて地竜の背中を見送っている。その地竜も、何度もプルクラの方を振り返っていた。


「プルクラ様、またきっと会えます」

「ほんと?」

「はい、きっとです!」


 地竜車に乗る度に、こんな茶番を見せられるのだろうか。ジガンは頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。


「ジガン、王都も詳しい?」

「それほどじゃないが、多少は分かる」

「じゃ、ご飯食べたら剣買いに行こ」

「そうだな」


 当初は昼前に到着する予定だったが、少しばかり面倒なことがあった為、今は正午を過ぎている。ジガンの記憶を頼りに、鍛冶屋や武具屋が集まっている区画へ向かいながら食事処を探した。


「やっぱ王都は人が多いな……あれ?」


 プルクラに喋りかけているつもりのジガンだったが、いつの間にか隣から彼女の姿が消えていた。振り返ると、アウリの袖を両手で掴んでおどおどしたプルクラが居た。


「お前が人見知りする塩梅が分からん」


 ジガンは苦笑しながらそっと呟いた。白金級討採者が相手取るような魔獣を倒したり、近衛騎士を軽く翻弄したりするプルクラが、知らない人が多いというだけで及び腰になるとは。未だに同じ人物とは思えない。


「プルクラ様、手を繋ぎましょう」

「ん……」


 アウリが右手でプルクラの左手を握る。プルクラは右利きなので、咄嗟の時に武器を扱える右手を空けておこうというアウリの気遣いである。しかし、プルクラは空いた右手も使ってアウリの右腕に縋り付いた。


 シャーライネンは余りにも人が多い。多過ぎる。見える範囲だけで、ファルサ村の全住民の数を軽く超えている。

 魔力は視ないようにしているが、それでもプルクラは混乱する。生後三か月から十五歳まで黒竜の森で育ったプルクラは、“気配”に敏感になっている。森で生きるために必須の能力だが、気配が多い場所では情報量が非常に多くなってしまう。結果的に必要以上に周りを気にするから、おどおどしているように見えるのだった。


 なお、知らない人と初めて話す時に発動するのは単なる人見知りで、慣れていないことが原因である。これに関しては、プルクラが戦闘態勢の時は戦いの本能が人見知りを上回る。何ともややこしい。


「プルクラ、アウリ。魚は食べたことあるか?」


 少し後ろに下がったジガンが、人の多さから気を逸らそうと話し掛けた。


「川と湖の魚は食べたことある」

「私は川魚しか食べたことがありません」

「ここは、海の魚が食べられるぞ?」

「「海!」」


 プルクラは「海」というものを物語の中でしか知らない。アウリも実際に見たことはなかった。当然海の魚介類を食べたこともない。

 さっきまでと別人のように、プルクラが生き生きと目を輝かせた。


「氷冷魔導箱ってのがあって、海から鮮度を保ったまま王都まで運ばれてくるらしい」

「ほぉー」

「ジガン様、海の魚を食べられるお店をご存知ですか?」

「俺が王都にいたのは十四年前だからなぁ。店がまだあれば良いんだが」


 そう言って歩くジガンの後ろを、プルクラとアウリが手を繋ぎながら付いていく。プルクラからはおどおどした感じがなくなり、足取りも軽い。きっと頭の中は海魚で一杯なのだろう。ジガンは、単純な奴で助かる、と胸の内で呟く。


「おー、良かった。まだあった」

「おぉぉ!」

「まぁ! 素敵なお店ですね」


 恐らく木で作られているのだろう、プルクラを横にしたくらいの魚が看板になっている店だ。元々色が塗られていたようだが色褪せ、所々剥げている。だが却ってそれが良い味を出していた。


 ジガンを先頭に店に入ると、一番忙しい時間は過ぎたのだろう。卓についている客は疎らだった。四人卓に座り、壁に掛かった木札を眺める。そこに料理名がずらずらと書かれているのだ。


「何にする?」


 恰幅の良い中年女性が注文を聞きに来た。


「こいつら、海の魚は初めてなんだ。お勧めはあるかい?」

「そうさねぇ、今日だったら、鱸のムニエルか鯵のフライ、黒海老の大蒜炒めがお勧めだよ」

「ほぅ。それじゃ、一つずつ頼む」

「はいよ!」


 プルクラは、女性が注文を取りに来た時点で借りてきた猫のように大人しくなっている。アウリは海魚について知らないのでジガンに丸投げだ。


 プルクラは海の魚が楽しみでソワソワしていた。幼い頃、ニーグラムが海の魚について色々と教えてくれたのだ。黒竜の森にある湖や川でも魚は獲れるが、海ではもっと多くの種類の魚が獲れる。中には人間を丸吞みするくらい大きな魚や黒竜よりも巨大な海月、とても深い場所に生息する海老や貝など、驚きの生物が海には居るという話だった。地上の魔獣とは比較にならないほど強大な海の魔獣についても話してくれた。


 森から出たら、いつか海に行ってみたい。プルクラはそう思っていた。その思いは変わらないが、海に行く前に海の魚が食べられるとは思っていなかった。


「はい、お待ちどうさま!」


 先ほど女性が出来上がった料理を卓に運んでくれる。


「プルクラの前にあるのが鱸のムニエル、アウリの前が鯵フライ、これが海老だ」


 目の前に置かれた見慣れない料理に、こわごわナイフを入れる。表面はサクッと、中はびっくりする程柔らかい。切れ目から湯気が立ち昇り、バターと胡椒、そして川魚と似ているが少し違う香りが鼻を擽った。ひと口大に切り分け、慎重に口へと運ぶ。


「んっ!」


 塩と胡椒をした鱸の身に小麦粉を塗し、香草と一緒にバターでじっくり焼いた料理。調理方法が単純な分、素材の味が強く感じられる。香ばしい表面、噛む力が必要ない白身部分、そこからじゅわっと染み出る旨味。プルクラの脳裏には、広大な海を悠々と泳ぐ鱸の姿がはっきりと浮かんだ。


 鱸という魚がどんな形なのかは知らないのだが。


 それから、アウリ、ジガンと料理をシェアして三種類の海の幸を存分に味わった。プルクラは、近いうちに海へ行く決意を固めたのだった。

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