第26話 王都近郊

 インクライの街に着いたのは夕刻だった。地竜車の馭者が気を利かせて、乗客を降ろした後に街の南部にある討採組合の前まで運んでくれた。

 その頃にはプルクラも完全に回復して、地竜車の屋根に積まれた魔獣の素材をぽいぽいと組合の前に投げ下ろす。もちろんアウリとジガンも手伝っている。


「明朝は南門前の広場から出発だ」

「ん。ありがと」

「こっちこそありがとうな。仕事を失くさずに済んだよ」


 プルクラは最後に地竜をひと撫でし、名残惜しそうに去る姿を見送った。気持ちを切り替えて意気揚々と討採組合の扉を開き、そこで固まった。知らない人だらけである。

 ジガンが中からの視線を遮るようにプルクラの前に立ち、アウリがそっとプルクラの手を握った。


「行くぞ?」

「行きましょう、プルクラ様」

「……ん」


 素材買取と書かれた受付に並ぶ。この時間帯は仕事を終えた討採者が多く、列を成していた。近くにいる男たちがじろじろとプルクラを見る。敵意があるわけではなく、単に好奇の視線だが、不慣れなプルクラは俯いてしまう。


「じろじろ見るな、このくずどもが」


 突然毒を吐いたのはアウリである。相手を凍り付かせるような視線と声音にジガンがたじろぐ。周りの男たちは気色ばんだ。


「俺たちに言ってんのか、嬢ちゃん?」

「お前たち以外誰がいる? 頭だけじゃなくて目と耳も悪いのか」

「ああっ!?」

「まぁまぁまぁ。女子供相手に怒りなさんなって」


 ジガンが取りなそうと引き攣った笑顔を振りまいた。


「おっさんは黙ってろ!」

「気色わりぃ顔してんじゃねぇ!」

「ああぁっ!?」


 ジガンのこめかみに青筋が浮かぶ。一触即発である。


「おぉぃ。そこに積んであるの、大砂蠍と鋼棘蠍の鋏じゃねぇ?」


 その時、扉から暢気な声がした。その言葉に討採組合の中が騒然となった。


「大砂蠍に鋼棘蠍だと!?」

「騎士団が討伐したのか?」

「いや、ここに置いてあるんなら討採者だろ? 金……いや白金級の仕事か?」

「こんな場所に白金級がいるわけねぇだろ」

「んじゃぁ誰が倒したんだよ?」


 そして、周囲の視線がプルクラたち三人に集まる。アウリに煽られジガンと一触即発だった男たちが恐々尋ねる。


「まさか、お前――いや、あんたたちじゃねぇよな?」


 アウリが拡張袋から大砂蠍の毒針を一つ取り出した。


「私たち、ではありません。こちらにいらっしゃる、プルクラ様がお一人で倒したのです!」


 アウリが高らかに宣言すると、三人に分散していた視線がプルクラに集まった。


「嘘だろ……?」

「え、あんなちっこいのが?」

「一人で倒したって言ったか?」


 一瞬の静寂の後、「うぉおおおー!」と歓声が上がる。プルクラが益々縮こまった。


「うるせぇぞお前らっ!! 何事だっ!?」


 歓声を上回る怒声が響き、また静寂が訪れる。プルクラは「ひぃ」と息を吞んでアウリの袖を掴んだ。騒動の一部始終を見聞きしていた受付職員が、怒声の主に事情を説明した。

 怒声の主は大柄で、服の上からでも鍛え上げていることが分かる初老の男性だった。その彼がジガンに目を止めると、ジガンはそっと視線を逸らす。


「その三人、こっちに来い」


 ちっ、と小さく舌打ちしてジガンが初老の男に付いて行く。アウリは「大丈夫ですよ、プルクラ様。私がお守りします」と言いながら、涙目のプルクラを引っ張って行った。





「インクライ支部長のレブロだ。討採者証を見せろ。ジガン、お前もだ」

「プルクラ、アウリ。この人は大丈夫だ」


 応接室に通され、プルクラたちが並んで座り、その対面にレブロ支部長が腰を下ろした。

 ジガンが懐から銀色の金属片を取り出す。プルクラは金属片とジガンを交互に見てはくはくと口を開け閉めし、目を丸くした。


「ジガン様、銀級討採者だったのですね」

「まぁ、色々あってな」

「プルクラ様の模擬戦相手をして下されば良かったのに」

「俺がやったら面白くねぇだろ?」


 プルクラとアウリが素直に銅色の討採者証を提示した。


「それで? 大砂蠍と鋼棘蠍はどこに出た?」


 レブロ支部長の問いにはジガンが説明役を引き受けた。インクライの西門から約十ケメルの街道で遭遇したこと、プルクラが一人で四体を討伐したこと。

 アウリは騒ぎを起こしたことを謝罪した。プルクラが疲労で倒れる程の戦闘を繰り広げたのに、何の助けにもならない自分の不甲斐なさに苛立ち、それをぶつけてしまった、と。


「騒ぎは日常茶飯事だから別に構わない。それより、本当にお前が一人で? ジガンじゃなく?」

「……俺は今剣を持ってねぇんだ。持ってても役に立たなかったろうが」

「そんなことない。ジガンは強い」


 建物の中に入ってから初めてプルクラが言葉を発した。


「アウリもいつも頼りにしてる。不甲斐なくない」

「プルクラ様……」


 アウリは感極まって目に涙を浮かべた。


「一人で倒したってのは信じ難いが、嘘をつく理由もなさそうだな。ジガンは分かってると思うが、大砂蠍はともかく鋼棘蠍はインクライの駐屯騎士団じゃ歯が立たねぇ魔獣だ。早々に討伐してくれて礼を言う」


 レブロ支部長がプルクラに向かって頭を下げた。


「ん。お礼は別に要らない」

「そうか?」

「通り掛かりに倒しただけ」

「ふっ……そうか、通り掛かりか……ふっ……ふふっ、わーはっはっは!」


 レブロ支部長が突然大笑いし始めたので、プルクラはびくっと肩を震わせた。アウリがきっ、とレブロ支部長を睨む。


「あー、すまんすまん。ジガン、面白い仲間を見付けたな」

「……仲間じゃねぇ」

「ん、ジガンは剣のししょー」

「弟子か」

「くっ」


 自分より強い弟子がいてたまるか、という言葉をジガンは飲み込んだ。プルクラが何故自分を師匠と慕ってくれるのか、未だに分からない。


「まぁいい。まだ素材を持ってるならここに出してくれ。清算する」


 アウリが拡張袋から魔石を卓の上に、外殻を床に並べた。組合の職員が来て回収していく。


「他の素材は?」

「でかすぎて運べなかった」

「取りに行かせていいか? 手数料は差し引くが、ちゃんと買い取らせてもらうぞ?」


 討採者に依頼を出して運ばせるのだと言う。彼らに支払う報酬を差し引いて、正当な金額を支払うと支部長は言ってくれた。


「明日の朝には出発する。残りは好きにしていい」


 プルクラがそう答えた。倒したのはプルクラなので、ジガンとアウリは口を出さない。


「それは助かる。臨時収入はみんな喜ぶからな」

「ん」

「等級はどうする? 上げておくか?」


 鋼棘蠍の単独討伐となれば白金級相当だが、銅級以上は一つずつしか等級を上げられない。銀級には今すぐ上げられるぞ、と説明される。


「上げなくていい」

「そうなのか?」

「ん。アウリと一緒がいい」


 討採者になったのは身分証を手に入れるためで、積極的に活動する気はない。だからプルクラに等級への拘りはないのである。


「そうか。まぁ昇級は本人の意思を尊重する決まりだからな」


 そんな話をしていると、職員が木皿に硬貨を載せて戻ってきた。


「こちらが今回の買取金額でございます」


 そう言って職員が示したのは、大金貨四枚、金貨八枚、大銀貨六枚。


「アウリ、持ってて?」

「はい、お預かりしますね」


 プルクラはお金の使い方を知らない。それぞれの硬貨の価値は知識として知ってはいるが、どのように使ったら良いのか分からないのだ。市場など、あまり高額な硬貨を使わない場所で少しずつ使い方を教えていこうとアウリは思っている。


「ジガン。昨日魔獣の集団暴走があったのは知ってるか?」

「ああ。けど、途中で殆どばらけたんだろ?」

「その通りだ。ただ、そのばらけた魔獣があちこちに残ってるようだ。そのせいで、普段見ない魔獣がこの辺りにも出てる。気を付けろ」

「分かった」


 話が終わったと見て、プルクラたちが席を立つ。


「嬢ちゃんたち」


 その背中にレブロ支部長が声を掛けた。


「ジガンをよろしくな」

「ん。ししょーは守る」

「お任せください」


 プルクラが力強く宣言し、アウリは丁寧に頭を下げる。弟子に守られる師匠って、とジガンは苦笑しながら頭をがしがしと掻いた。


「じゃあな」

「ばいばい」

「失礼します」


 それぞれがレブロ支部長に挨拶し、討採組合を後にした。





「チーちゃん、おはよ」


 翌朝、プルクラたちが南門前の広場へ着くと、全部で四台の地竜車が既に待ち構えていた。


「お前、地竜の見分けがつくの?」

「ん。絆がある」

「へぇー」


 プルクラが話し掛け、撫でようとした地竜が僅かに後退った。プルクラが衝撃を受けた顔になる。


「ぐるるぅぅぅ」

「?」


 隣にいた地竜がプルクラに鼻面を向け、軽く喉を鳴らした。


「……チーちゃん?」

「ぐるぅぅ!」

「……間違ってんじゃねぇか。絆はどうした?」

「……『ノンヴルガリス・クム・ムルエリブス女の子にもてなくなれ』」

「ちょ、ちょっと待って!? 今物凄い寒気を感じたんだけど!?」


 プルクラは青い顔のジガンを無視しつつ、隣の地竜を撫でた。地竜は目を細めて気持ち良さそうにしている。


「ジガン様。“竜の呪い”です」

「……え?」

「私も詳しくは存じませんが、今のはたぶん、女性にもてなくなる呪いだと思います」

「はぁ!? プルクラ、地竜への優しさを少しくらい俺にも分けてくれよ!?」


 上機嫌で地竜を撫でるプルクラが、ジガンの方を見ずに呟く。


「他にも色んな呪いがある」

「やめてっ!?」


 そんな風に戯れていると出発の時間になった。なお、“竜の呪い”は乗車してすぐに解呪された。


 インクライからは進路を南へ転じた。二日目の夕刻にブーリゲン、三日目にバリホルンと、魔獣や盗賊から襲撃されることもなく、どこかのやんごとなき身分の方を危機から救出することもなく、順調に進んだ。


 道中、ジガンはプルクラに突然呪うのはやめるよう頼んだ。それはもう真剣に頼んだ。実は、プルクラが使える“竜の呪い”は“呪い”と言うより“まじない”のようなもので、大した効力はない。ただの鬱憤晴らしである。それでも、プルクラの実力と黒竜を目の当たりにしているジガンは戦々恐々だ。本当に呪われると思っている。


「な、頼むから気軽に呪うなよ?」

「私も呪うのは命懸け」

「そ、そうなのか!? じゃ、やめよう? な?」

「ジガンが気遣いを覚えたらやめる」

「そうか。うん、努力する」

「ジガン様、無理ではないでしょうか?」

「ぐぅ……ど、努力する」


 命懸けでも何でもないのだが、プルクラは「ジガンのために仕方なくやっている」とうそぶいた。これも師匠が女性への気配りや気遣いが出来るようになって欲しいという弟子心である。決してジガンを揶揄って面白がっているわけではない。


 オーデンセンを出発して四日目の朝、バリホルンを出発した地竜車は一路王都シャーライネンを目指した。

 正午前にはシャーライネンを囲む防壁が見えてくる。ジガンは何事もなく王都に到着しそうで安堵した。何故かプルクラたちと一緒に居ると厄介事に巻き込まれる頻度がやたら高い気がする。


「おいおい、嘘だろ……」


 ジガンがほっとしたのも束の間。一ケメルほど先に、魔獣と戦闘中の一団が見えた。


「ジガン」

「ああ」


 プルクラとアウリも疾うに気付いていた。


「ジガン様、他に道はないのでしょうか?」

「本当にそう。あればいいのにな」


 どう見ても、王都に続く道は一本道である。


「しばらく待っていればいい」

「お? 助けに行かねぇの?」

「?」


 ジガンの問いに、プルクラが小首を傾げた。


「だってお前、すぐ首突っ込むじゃん」

「そんなことない。不要な争いはしない」

「そうだっけ?」

「ん」


 ベルサス村が襲われた時にプルクラが駆け付けたのは、ジガンが危険だと思ったからだ。オーデンセンで魔導具を探したのはアウリの望みを叶えるため。道中で大砂蠍と鋼棘蠍を倒したのは行く手を阻んだから。地竜を怯えさせたのに腹を立てたのもある。

 こうして振り返ると、プルクラは自分から厄介事に首を突っ込んでいるわけではない。


「助ける理由、ある?」

「……ねぇな」


 大事な人が襲われているのなら、プルクラは躊躇うことなく助けに行く。自分の邪魔をするなら、容赦なく排除する。全く知らない者を助ける理由が見当たらない。


 地竜車が速度を落とし、やがて止まった。ここまでは戦闘の音も聞こえてこない。


「遠くてはっきりしねぇが、たぶん水晶鼠の群れだな。戦ってるのは騎士っぽい」


 頼んでもいないのに、ジガンが実況する。


「真ん中に魔導車がある。偉い人でも乗ってるんだろう。あー、ありゃ駄目だ。全然連携が取れてねぇ。下手すりゃ全滅だな」

「……ジガン、助けに行きたいの?」

「いや別に」


 自分が行けば全滅は免れるかもしれない。剣さえあれば、の話だが。元騎士のジガンは普段の言動に反して正義感が強い。ベルサス村が襲われた時も真っ先に駆け付けるような男だ。


「ししょーの頼みなら行くけど」

「別に何も言ってねぇ」

「呪う?」

「ばっ!? なんでだよっ」

「素直じゃない」

「ジガン様。プルクラ様にお願いすればどうですか?」


 ジガンは言葉に詰まった。見て見ぬふりというのは寝覚めが悪いではないか。


「……あれくらい、お前なら怪我もしねぇか?」

「ん。待ちくたびれた」

「そうか。頼めるか?」

「ん!」


 プルクラが勢いよく乗降扉から飛び出した。

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