第25話 道中にて

 オーデンセンの東門を抜けると、地竜車は一気に加速した。東へ延びる街道は土が踏み固められただけで、凹凸や轍が多くある。それでも揺れは許容出来る範囲に収まっている。


「結構はやい」

「思った以上の速度ですね」


 窓際の席に陣取ったプルクラは、窓に鼻が付くほど顔を近付けて、後ろへ流れる景色を眺めている。


「ずっと外見てて飽きないか?」

「全然」


 アウリを挟んで通路側の席にいるジガンに聞かれ、プルクラは端的に答えた。窓から見えるのは、土の茶色、街道脇の草や木、遠くに見える森の緑色、空の青色くらいだ。今のところ取り立てて見るべき物はない。

 それでも、プルクラにとっては初めて見る景色である。飽きっぽい彼女にしては随分長く眺めてるな、とジガンは思った。


「……飽きた」

「だろうな!」


 やはり飽きたらしい。今度は前面の窓越しに、車を曳いて走っている地竜を眺め始める。右前足と左後ろ足を同時に前に出し、次は反対の組み合わせ、と体を捻るようにして進んでいる。地竜自体は上下方向に殆ど揺れない。それでいてかなりの速度で前進している。


「がんばってる。かわいい」


 地竜が、人を運ぶために一生懸命走る姿が、プルクラには健気に映っている。その健気さが「かわいい」という言葉に集約されるらしい。

 見た目はずんぐりとした巨大な蜥蜴で、大きさに目を瞑れば可愛いと言えなくもない……のか? とジガンは首を伸ばして地竜を眺めているプルクラを見て心中で呟いた。


「…………飽きた」

「今回は早かったな!」


 ずっと同じ景色・ずっと同じ動きを見ていたら飽きるのはプルクラも同じである。結局その後は、アウリの肩に頭を乗せて眠っていた。凡そ一刻ごとに停車して休憩を取る仕組みのようで、二回目の休憩の時間には外に出て、オーデンセンの露店で買った昼食を食べた。

 その時は地竜も水と餌を与えられていて、プルクラは地竜の横で食事を摂った。食後に「よく頑張りました」と労いながら撫でるのも忘れない。


 出発後はまたアウリの肩で眠る。


「そうやって寝てると可愛いもんだな」

「あら。プルクラ様は起きている時もずっと可愛いですよ?」

「……そうか?」


 プルクラを起こさないように、ジガンとアウリは小声で会話を交わす。陽が傾き始め、ペンタス領とその東にあるクルーデン領の領境に差し掛かっている。今日はクルーデン領のインクライという街が終着点だ。そこで一泊し、明朝に同じ地竜車で南へ向かう。


 今夜はどんな宿に泊まろうか、ジガンとアウリが小声で相談していると、地竜車が徐々に速度を落とし始めた。


「ん……着いた?」

「まだですよ、プルクラ様。もう少しお眠りになって大丈夫です」

「ん……」

「おかしいな。地竜車は襲撃を避けるために移動中はずっと全力疾走の筈だ。休憩場所は過ぎたし、ここで速度を落とす意味が分からねぇ」


 すると、小刻みな振動が車内に伝わってきた。地竜車の揺れとは明らかに違う。車内が少しざわつき、乗客が口々に不満や不安を漏らし始めた。遂に地竜車が完全に止まる。


 眠りかけていたプルクラの目がぱちりと開いた。


「プルクラ様?」

「何かいる」

「何かって何だよ?」


 前方の窓越しに地竜を見ると、馭者が綱を振るっても動こうとしないようだ。


「見てくる」

「私も行きます」

「俺も」


 最前列から乗客の間を通り、後方の乗降扉を開いて地面に降り立った。足の裏で僅かな振動を感じる。ジガンが前に回って馭者に話し掛ける。


「何かあったのか?」

「分からん。こいつが急に走るのを止めて……言うことを聞かないんだ」


 年嵩の男性馭者が困ったように首を振る。プルクラは地竜の横に立って、首の辺りを撫でていた。


「プルクラ様、何か分かりましたか?」

「んー、怯えてる?」


 プルクラの答えを聞いて、アウリはさっと周囲を見回す。街道脇は膝より丈の低い草地で、所々低木は生えているが何かが身を潜められるような場所が近くにない。左手遠方に林、そのずっと先には黒竜の森がある。右手は草原で、その先は何かの畑のようだ。前方には、微かにインクライの街の防壁が見える。後ろを振り返っても何も見当たらない。


 空? それとも地中?


「地面の下っぽい」

「……何か大きなものが動いているようです」

「ん」


 地面が小刻みに揺れるような振動がはっきり伝わってくる。そして、進行方向の百メトル(メートル)先の地面が突然爆発した。

 轟音に、地竜がびくっと震えて少し後退りする。


「ジガン?」

「ちっ、大砂蠍だ。四匹もいやがるぞ!」

「チーちゃん、だいじょぶ。ちょっと待ってて」

「チーちゃん?」

「アウリ、ジガン。車とチーちゃんを守って!」

「はい!」

「おい、チーちゃんって誰だよ!?」


 ジガンが叫んだ時には、既にプルクラは五十メトル先にいた。右手に鞘から抜いた黒刀を握っている。

 大砂蠍とは、地中に生息する大型の魔獣である。体色は砂色と茶色の斑模様で、外殻は岩のように固い。触肢(鋏)部分だけで人間の大人より遥かに大きく、尾節を含まない体長は優に八メトルはある。尾節まで含めると全長二十メトル近い。一匹だけ、他の三匹と色も大きさも違う個体がいる。


 一番近い大砂蠍の八つある目が怪しく赤色に光り、プルクラを捕食対象と認識して動き出した。


 プルクラは、走りながら身体強化を五十倍にして「サナーティオ癒し」を紡ぎ、黒刀に自分の魔力を流す。


「ちょっとあんた! あんな子供を行かせていいのか!?」

「あー、問題ないと思う」

「はぁ!?」


 馭者がジガンに文句を言っているのが風に乗って聞こえてきた。その時には、先頭の一匹がプルクラに向かって左の触肢を振り下ろしていた。突進と巨体の重さが乗った鋏の先端が迫る。

 プルクラは、その攻撃を受け流すつもりで黒刀を触肢に沿わせた。ところが、魔力を流した黒刀の切れ味が余りにも良過ぎて、大砂蠍の外郭をあっさりと切り裂き、触肢の四分の一程度を削ぎ切りにしてしまった。


 無事な部分の先端がずどんと地面に突き刺さる。あっさり削ぎ切りされた断面を見て驚くプルクラと、強固な外殻を何の抵抗もなく削ぎ切りされた大砂蠍が、一瞬見つめ合う。


――ギシャァァアアア!


 直後、耳障りな金切声を上げて大砂蠍が怒り狂った。毒針の付いた尾節が恐ろしい速さでプルクラの顔面を狙い、右の触肢が鋏を大きく開いてプルクラの胴体を切断しようと迫る。半身になって毒針を躱して尾節を真ん中辺りで斬り飛ばすと、横へ跳躍しながら襲い来る鋏の端に足を掛け、その勢いを利用して大きく跳んだ。


 しかし、プルクラが跳んだ先には二匹の大砂蠍が待ち構えていた。合計で四本の触肢と二本の毒針が落ちてくるプルクラに狙いを定めている。


「『フレル吹き飛べ』」


 プルクラは“自分”に向かって「竜の聲」を紡いだ。見えない何かに弾かれたように、プルクラは待ち構えていた二匹の後ろ側へ飛んでいく。二匹は慌てて後ろを向こうとするが、お互いがぶつかって一瞬遅れた。


 プルクラにはその一瞬だけで十分だった。


 一匹の尾節を根元から断ち切り、背中を三歩駆けて体の真ん中辺りを上から斬り付ける。


「『ソルビテアム切り裂け』」


 黒刀で三十セメル(センチメートル)の深さまで斬り付けた部分に「竜の聲」を叩き付ける。その瞬間、大砂蠍の胴体が真っ二つになった。そのまま隣の大砂蠍の頭上高く跳躍する。


「『イテ・イマジネム潰れろ』」


 巨人の手で押さえつけられたように、その大砂蠍が地面にひれ伏すが潰れるには至らない。これは“格”が影響しているようだ。つまり、大砂蠍とプルクラの“格”にそれほどの差がないのである。

 だが、プルクラも相手を“潰そう”と思ったわけではなかった。一瞬でも動きを阻害出来れば十分なのだ。

 押さえつけられる力に抗おうとする大砂蠍の真上から、落下速度も利用した渾身の蹴りを放つ。最も硬度の高い背中の外殻に罅が入った。そこから大砂蠍の体内に「ソルビテアム切り裂け」を放って止めを刺す。


 残りは手負いの一匹と、他の三匹より二回りほど大きな個体。大きな方は砂色ではなく濃い灰色だ。


「プルクラ、気を付けろ! 大きい奴は大砂蠍じゃねぇ、鋼棘蠍こうしさそりだっ!」


 最初に尾節を半分に斬ってやった大砂蠍が突進してくる。大きな鋼棘蠍は、まるで様子を伺うように動かない。

 大砂蠍は怒り狂っているのか、動きが滅茶苦茶だ。切断面から紫の体液を撒き散らしながら、触肢と六本の脚、胴体全てを使ってプルクラに攻撃する。押し潰そうと転がったり、脚を突き刺そうとしたり、鋏で千切ろうとしたり、何としてもプルクラを殺そうという執念が伝わってくる。


 大砂蠍でも怒ると攻撃が雑になるようだ。一見激しく素早い動きだが、一つ避けられた後の隙が大きい。プルクラは攻撃をなるべくぎりぎりで躱し、出来た隙に向かって丁寧に攻撃を加える。

 脚が次々と斬り飛ばされ、片方の触肢は根元から、もう片方は途中から切断された。傍から見ているとプルクラが大砂蠍を苛めているようである。


 全ての攻撃手段を失った大砂蠍が動きを止めた。いや、もう動けないと言った方が正しい。根元から切断した触肢の断面から、体内に「ソルビテアム切り裂け」を放って息の根を止めた。


「ふぅ」


 三匹の大砂蠍を倒し、プルクラが一つ息を吐くと、残った一匹、鋼棘蠍に目を向けた。濃い灰色の外殻はその殆どが鋭い棘に覆われている。触肢の鋏部分にある棘は特に長い。まるで一本一本が長剣のようである。

 地中を移動して折れないのだから、棘の硬さは相当なものなのだろう。尾節末端の針も太く長い。その先端から黒っぽい液体が滴っているが、外殻に触れても何も起こらないのに、その雫が土に触れると煙が上がっている。酸なのかもしれない。


 そうやってプルクラが観察していると鋼棘蠍の姿が一瞬ぶれて、突然目の前に現れた。


「速っ!?」


 左右の触肢が同時に迫る。プルクラは顔を守るように腕を交差した。瞬間的に、黒竜の鱗で作られた手甲に思い切り魔力を流す。

 直後に衝撃が襲い、プルクラは大きく吹き飛ばされた。また鋼棘蠍の体がぶれ、プルクラを追い掛けるように前に出ながら尾節の針が胸の中心を狙う。


 最初の衝撃で両腕の骨が砕けたプルクラは、針の攻撃を成す術もなく胸当て越しに食らった。肺の中の空気を全て押し出されて数十メトル後ろに飛ばされる。


「プルクラっ!?」

「プルクラ様っ!?」


 意識が飛びかけるが何とか踏ん張り、自分に「サナーティオ癒し」を掛けた。吹っ飛ばされても手放さなかった黒刀を支えにして立ち上がり、口の中に溜まった血をぺっと吐き出す。


 立ち上がったプルクラに、鋼棘蠍は僅かに戸惑ったように見えた。簡単には死なないプルクラより、もっと食べやすそうな“餌”が近くにある。鋼棘蠍は地竜車の方に向き直った。そして今までと同じようにその姿が一瞬ぶれる。


――ドゴォォオオオン!


 地竜車の前三十メトル辺りに、プルクラが右足を振り抜いた状態で立っていた。超高速でジガンたちに向かった鋼棘蠍を着実に捉え、回し蹴りを放ったのだ。鋼棘蠍は真横に吹っ飛んでいた。

 プルクラの全身から靄のように魔力が立ち昇り、ゆらゆらと揺れていた。肌表面に血管が浮き上がって、出血しては血が止まる。


 プルクラは身体強化を百倍に引き上げていた。同時に発動している「サナーティオ癒し」で治癒が追い付かず、全身から血が滲んでいる。


「もうちょっと待ってて」


 プルクラが振り返り、アウリとジガンに声を掛けた。そしてその場から消える。


 瞬き一つの間に吹き飛んだ鋼棘蠍に肉薄し、通り過ぎざま魔力を思い切り通した黒刀で撫でる。鋼棘蠍の右側触肢と三本の脚が切断され、濃い青色の体液が噴き出した。

 次の瞬間には尾節が根元から断たれる。


「『フリゴレ凍てつけ』」


 尾節の切断面から体内に向けて「竜の聲」が放たれた。一度びくっと全身を震わせた鋼棘蠍は、それきり動かなくなった。


「はふぅ」


 黒刀を鞘に納め、大きく息を吐いたプルクラは、アウリたちの方へゆっくりと歩き出す。しかし、三歩進んだところでカクンと膝が折れ、その場にぽてっと倒れた。


「プルクラ様っ!?」

「プルクラ!!」


 アウリが素早く駆け寄ってプルクラを抱き起す。


「……ちょっと疲れた」


 ヌォルの分体と戦った時は身体強化百二十倍を使ったが、直後にニーグラムによって「サナーティオ癒し」が施された。その為、疲労も含めてすぐに回復したのだ。

 プルクラの全身に出来た傷は自身の癒しによって既に治っているが、疲労までは回復しない。


「……地竜車で休ませよう」


 遅れてきたジガンが、プルクラの背と膝の下に腕を入れ、彼女を抱き上げる。予想以上の軽さにジガンは驚いた。


「……もっと飯を食え」

「ん?」

「軽過ぎる」

「…………ジガンのえっち」

「なんでだよっ!?」


 地竜車に戻ると、馭者や乗客が出迎えてくれた。


「嬢ちゃん、すげぇな!」

「助かったわ!」

「かっこよかったぞ!」


 口々に称賛され、プルクラはにへらと笑った。


「チーちゃんのとこに連れてって」

「チーちゃん?」


 プルクラが無言で地竜を指差した。


「……地竜のことだったか」


 プルクラを抱いたジガンが近付くと、地竜はぺったりと地面に伏せた。これは地竜にとって服従の意を表す姿勢である。プルクラは手を伸ばして地竜の頭を優しく撫でた。


「チーちゃんが止まったから、みんな怪我せずに済んだ。ありがと」


 その言葉を聞いた馭者や乗客がハッとした顔になる。地竜は怯えただけかもしれないが、止まらなければ大砂蠍や鋼棘蠍が地中から飛び出してきた場面に巻き込まれていただろう。馭者が地竜の背中をぽんぽんと叩きながら「ありがとうな」と礼を言い、乗客たちも遠巻きながら「チーちゃん、ありがとう!」と礼を言った。これまで名がなかった地竜の名前が決定した瞬間である。


「プルクラ様、魔石を取ってきました」


 アウリがほくほく顔で報告した。魔導具の動力源である魔石は魔獣の体内魔力が凝集し結晶化したもので、大抵魔獣の心臓近くにある。魔獣の強さに比例して魔石は含有魔力が大きくなり、討採組合での買取金額も高くなる。討採者にとっては収入源の一つだ。


「外殻も素材としては高額ですが、さすがにあの大きさでは――」

「地竜車で運べないか?」

「屋根に括り付ければ、少しは持っていけるんじゃないか?」


 アウリの言葉を遮ったのは乗客たちだ。プルクラが苦労して倒したのを見ていたから、少しでも報われて欲しいと思ったのである。

 全てを運ぶのは無理なので、最も価値の高い鋏部分と尾節を積めるだけ積めようという話になり、乗客たちが協力して地竜車の屋根に載せてくれた。プルクラとアウリの拡張袋にも入るだけの外殻を収納した。その間プルクラは地竜車の中で休むように言われ、大人しく従った。


 そうして一刻ほどかけて、地竜車は再びインクライの街に向けて出発したのだった。

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