第22話 プルクラの出自
そこにいた衛兵や騎士、魔導具に詳しそうな男たちは軒並み腰を抜かしてその場に頽れた。
「プルクラっ!」
ジガンは巨大な竜に一番近いプルクラを背に庇い、黒竜を睨み上げた。生憎と剣がない。仮にあったとしても役に立つとは思えないが。
全身から汗が噴き出し、膝から力が抜けそうになる。それでもジガンは、気力だけで黒竜と対峙した。見上げる黒竜の顔があまりにも高い場所にあるため首が痛い。
「お父さん!」
そんなジガンの決死の思いを知る由もないプルクラは、トテトテと駆け寄って黒竜の踝辺りにぽすっと抱き着いた。その瞬間、黒竜の体が眩い金色の光に包まれる。光が収まると、黒髪の精悍な男性が現れ、両腕をプルクラの背中に回していた。
「おと、おと……おと?」
ジガンの語彙力が崩壊し、近くに居たアウリに目で助けを求める。アウリはジガンに向けてこっくりと頷いた。見れば分かりますよね、と。勿論、ジガンには見ても全然分からなかった。
「プルクラ、その魔導具から不愉快な音がする。消滅させても良いか?」
「ん、お願い」
「うむ。『
ニーグラムが「竜の聲」を紡ぐと、魔導具は熱せられた鉄のように真っ赤になった。魔導具に触れていた草が燃え、魔導具の下にある土も夕日のような色に染まる。腰が抜けて尻餅をついていた者たちは、必死の形相で魔導具から離れていく。
赤熱した魔導具がぐずぐずと溶け、土も一緒に溶かしながら赤い水溜まりを作っていく。不思議なことに、近くに居ても熱を感じなかった。
プルクラが魔導具の魔力に意識を向けてみると、嫌な感じのした紫色の魔力は全く発生しなくなっていた。
「ん、完璧」
「音も消えたな。魔獣どもも大人しくなるだろう」
「?」
父に抱き着いてその顔を見上げながらプルクラが小首を傾げると、ニーグラムは黒竜の森へ魔獣を追い返したことを説明した。
「時にジガン」
「ひゃ、ひゃいっ!」
突然名を呼ばれ、ジガンの声が裏返る。
「娘を守ろうと庇う姿勢、見事だった」
「は、ははぁ~!」
ジガンはその場にひれ伏した。
「だが、娘はやらん」
「へ?」
「プルクラはやらん、と言った。お前では少しばかり歳を食い過ぎている」
「あ、はい」
これまでプルクラを嫁に欲しいと思ったことなど一切ないジガンである。どちらかと言うと、腕っぷしが自分より強い嫁はお断りだ。むしろ嫁にやると言われず、ほっと胸を撫で下ろした。
「あ、あの、ニーグラム、様」
「何だ?」
「ニーグラム様は、黒竜様でいらっしゃるのですか?」
「うむ。俺は黒竜ニーグラム・ドラコニスだ」
「……では、プルクラ、様も竜……?」
「お主の目は節穴か? どこから見ても可愛い人間の娘だろうが」
ジガンは混乱した。
「ジガン様、後ほど私が説明いたしますので」
「あ、お願いします」
アウリが助け舟を出し、混乱しているジガンはアウリにまで丁寧な言葉を使った。
「プルクラ、それにアウリ。レンダルから預かってきた」
プルクラが抱き着いているため、少々苦労して懐から二つの腕輪を取り出す。緑の縁取りの方を娘に、青い縁取りの方をアウリに渡した。
「これは、あー、二人とも、ちょっとこっちに来なさい」
そこで初めて、ニーグラムは尻餅をついた男たちに気付いた。転移の魔導具が貴重な物であることは彼にも分かっている。第三者の耳に入れない方が良いと、プルクラとアウリを連れて少し離れた場所に移動した。ジガンは「え、人間? 黒竜がお父さん?」などとぶつぶつ呟いているので放置だ。
声が届かない場所まで来ると、ニーグラムが二人に説明する。
「転移の腕輪だ。ただし、レンダルの家と森の小屋にしか転移できない」
側面にある二つの釦と使い方を伝えた。
「十日後に、プルクラの魔力を覆い隠す魔導具が出来上がるそうだ。それまでに危険なことがあれば森へ来なさい」
「ん」
「かしこまりました」
アウリは、せっかくニーグラムに会えたのだから思い切って相談してみることにした。ただプルクラが自分の出自を知らない可能性を考慮して言葉を選ぶ。
「ニーグラム様、ご相談があります」
「どうした?」
「実は……プルクラ様と縁のある方が、この国にいらっしゃるかもしれません」
アウリは慎重に言葉を選んだつもりだったが、その必要はなかった。プルクラがぽんと手を打ち、思い出したように告げる。
「そう。兄さんがいるらしい。ジガンが知ってる」
「ほう、そうなのか」
「プ、プルクラ様!? その、ご自身の出自をご存知だったのですか!?」
「ん? 言ってなかった?」
「聞いてません!」
「……ごめんなさい」
プルクラが頭を下げるので、アウリは慌てて頭を上げさせる。
「プルクラ様は悪くありません! 私の勝手な思い込みです!」
「レンダルから聞いてると思ってた」
実は、レンダルとニーグラムはプルクラが四歳の頃から、彼女が元クレイリア王国の第三王女マリーネール・クレイリアであることや、祖国がツベンデル帝国によって滅ぼされたこと、肉親が全て殺されたことを段階的に告げていた。
「出自は、プルクラがどう生きるかを決める一つの要素だ。本当のことを告げずに娘を騙すようなことは出来ない」
プルクラが成長し、知識も得て様々なことが判断出来るようになってからも、彼女の意思を事あるごとに確認してきたと言う。
「帝国を滅ぼしたいほど憎いと思うなら、俺が滅ぼしてやっても良かった。だがプルクラは憎しみを欠片も抱いていない。俺とレンダル、それにアウリが家族だと言っている」
大好きな家族がちゃんといる。帝国は肉親と故郷を奪ったかもしれないが、それがなければニーグラムやレンダル、アウリと出会えなかった。だから憎んでいない、とプルクラは言った。
「プルクラ様……」
家族、と言われたことで、アウリは感極まって涙ぐむ。
「帝国は嫌い。アウリに酷いことした。でも憎んではいない」
「そうだな。まぁ、プルクラが憎んでいないから帝国はまだ存在しているわけだ」
いつでも滅ぼせる、とニーグラムは淡々と続けた。それは虚勢や誇張ではなく、単なる事実だとアウリにも分かった。
「ね、お父さん。兄さんに会うべき?」
「お前はどうしたいのだ?」
「…………分からない。ただ、どんな人か興味はある」
「ふむ。お前がしたいようにすれば良い。お前は誰にも強制されないのだ」
「ん……分かった。少し考える」
「うむ」
アウリはもう一つの懸念を伝える。
「ジガン様が、プルクラ様の出自に気付いているようなのですが」
「ほう。殺すか?」
「だめ。ジガンは剣のししょー」
「そうか。まぁ、あの男ならプルクラの損になるようなことはせんだろう」
ニーグラムはジガンのことを存外気に入っていた。ヌォルの分体を潰した時、プルクラに助けられたことに感謝し、率直に褒めたからだ。先程も、プルクラを守ろうと後ろに庇っていた。黒竜を前にしてそんなことが出来る人間は稀だ。
旅をしている間の“保護者”としては適任に思えた。アウリはプルクラを大事に思うあまり周りが見えない時がある。ジガンくらいの年齢ならプルクラとアウリを教え導き、彼女らの言動を飲み込む度量があって然るべきだろう。
ジガンの知らない所で、彼はプルクラとアウリの“保護者”に認定された。
「それでしたら、ジガン様には全て真実をお伝えしてもよろしいでしょうか?」
「うむ。困ったことがあれば、俺かレンダルの所へ来るといい」
「かしこまりました」
話が終わり、ジガンの所へ戻る。彼はまだ混乱しているようで、何事かぶつぶつ呟いていた。
「ジガン」
「ひゃいっ!?」
「プルクラとアウリのこと、よろしく頼むぞ。プルクラ、また近いうちに会いに来る」
「ん。いつでも来て」
ニーグラムは目を細めて娘の顔をまじまじと見つめ、名残惜しそうに空へ飛び立った。プルクラは父の姿が豆粒より小さくなるまで空を見上げていた。
「街に戻ろ」
「そうですね」
「なぁ、ちゃんと説明してくれるんだよな?」
「ん」
「もちろんです」
そう言って三人は東門へ歩き出す。後には、夢でも見ていたような気分の男たちが、まだ腰を抜かしたまま残されたのだった。
「何の騒ぎ?」
「おい、お前たち! あの巨大な竜はどこへ行った!?」
東門には大勢の騎士が集まっていた。防壁の上から周囲を警戒していた兵が、黒竜を目撃して報告したからである。
「あの辺りに降り立って、ぴかっと光ったと思ったら消えた! 一体何があった?」
立派な口髭を生やした騎士から詰問され、プルクラが「んー」と考え込む。
「見間違い?」
「そんなわけあるか!? 何人も目撃しているのだぞ!」
「……みんなで見間違い?」
「なっ……」
プルクラが誤魔化すことを選択したので、アウリも助け舟を出す。
「恐らく、幻影魔術の類ではないでしょうか? 事実、私たちは巨大な竜など見ておりませんから」
ねっ、とアウリはジガンにも同意するよう促した。
「そ、そうだな。まぁ何にせよ、今は見えねぇし街に被害が出たわけでもねぇんだから、気にすることもないだろ」
「ん。万事解決」
そこへ、立派な金属鎧を着けたキウリが走竜に乗って駆けつけた。刀身に見事な装飾が施された長剣を抜き、完全な臨戦態勢である。
「竜はどこだっ! ……ジガン様?」
「キウリ。竜は幻影魔術だったから、だいじょぶ」
「おお、プルクラ殿にアウリ殿。幻影魔術、ですかな?」
「ん、たぶん」
プルクラはアウリが持ち出した設定に全力で乗っかった。
「魔導具は処分した」
「助かりました。防壁の上で警戒している兵から、こちらに迫っている魔獣の数が想定よりかなり少ないと報告がありました。やはり、あの魔導具が魔獣に作用していたのですかな?」
「ん、たぶん」
ニーグラムの話から考察すると、あの魔導具が魔獣の集団暴走に関わっていたのはほぼ間違いない。だが、それをキウリに明言することは避けた。何故それが分かるのかと問われるのが面倒だからである。
「では、
「手伝う?」
「いや、オーデンセンの騎士団だけで十分ですな。某は念の為に行くだけです」
「そう。気を付けて」
キウリが幻影魔術の話をそれ以上突っ込まなかったので、東門に集まっていた騎士や兵もそれ以上聞いてくることはなかった。ジガンが、魔導具を集めた場所に何人か残っているから迎えにいってやれと告げ、プルクラたちは街中に入る。
「何か美味しいもの食べて帰ろう」
プルクラが、全て終わったような清々しい顔で提案する。
「……帰るって、まさかファルサ村に、じゃねぇよな?」
「?」
「プルクラ様。この街に来た目的を、まだ一つも果たしていません」
魔導具騒動が解決したので、プルクラはすっかり用事を終わらせたような気になっていた。領都オーデンセンに来たのは、ジガンの剣を購入するのと、プルクラが討採組合に登録するためである。アウリがそれを思い出させた。
「……そんな目的もあった」
「“も”じゃねぇんだよなぁ。目的はその二つなの! 厄介な魔導具探したり、黒竜に会ったりするのは全然目的じゃねぇ……」
ジガンが溜め息を吐き、力なく告げた。
「じゃあジガンの剣買いに行こ」
「ジガン様、お勧めの武具屋はございますか?」
「ああ、うん」
ジガンがオーデンセンに住んでいた時、剣の整備を頼んでいた鍛冶屋があるらしい。そこで剣が買えるのだと言う。
鍛冶屋などが集まる職人街は、プルクラたちがこの街に来た際に使った北門の近く、街の北西部にあった。ジガンが先導して職人街を歩く。
「確かこの辺だったんだが……お、あそこだ」
看板もなく、一見民家のような普通の家だが、少し離れた所からでもカンカンカンと鎚で何かを叩く小気味良い音が聞こえてきた。
ジガンが勝手知ったる様子で扉を開き、中へ入っていく。プルクラとアウリも後に続いた。店内には剣どころか、武器の類が一切見当たらない。
「よぉ親父さん。久しぶり」
「お前は……ジガンか!? 生きてたのか!」
「勝手に殺すんじゃねぇよ。今日は剣を買いに来たんだが」
鍛冶場は奥にあるようでここからは見えない。ジガンに「親父さん」と呼ばれた男性以外に、鍛冶仕事中の人がいるのだろう。鎚の音はずっと続いている。
「あー、すまねぇジガン。せっかく来てもらったんだが、昼前くらいから騎士団の連中が在庫を根こそぎ買っていっちまった」
「はぁ!? 一本もねぇの?」
「そうだ。多分、他の店も同じだろう。何でもオーデンセンに魔獣が押し寄せてくるって話でよ。武器はいくつあっても足りないって言ってたぜ」
「なんてこった……」
魔獣の危険は殆ど無くなったのだが、それは今だから言えることである。その時の騎士団は必死だったと想像出来るので責めることは出来ない。
その後職人街の鍛冶屋・武具屋を巡ってみたが、殆どの店で剣や槍が買い占められており、僅かに残っていた剣はジガンが持っている予備よりも出来の悪い剣だった。
「まさか、オーデンセンまで来たのに剣の一本も買えねぇとは」
「仕方ない。悪いのは全部あいつ」
“あいつ”と言われてもジガンは帝国貴族のリーガルドには会っていない。それでも、件の魔導具を街に仕掛けた人間ということは聞いているので、確かに悪いのは全部“あいつ”だなと納得した。
「…………どこに行けば良い剣がある?」
「う~ん……確実にあるのは王都だろうなぁ」
「…………兄さんは王都にいるの?」
「あー、俺が知っているのは十三年前のことだ。その時は王都にいたが……って、お前、いや貴女様は、やはり――」
プルクラが口の前に両手の人差し指で「×」を作った。
「ジガン様、後でゆっくり説明いたします。今はお控えください」
「し、しかし」
「呼び方や接し方が変わったら悲しい」
「そ、そうで――そうか。分かった、今まで通りにする」
「ん」
プルクラが柔らかく微笑むと、その可憐さにジガンは目を丸くして驚いた。アウリがプルクラにつられるように微笑みながら告げる。
「さぁ、剣は後回しにして討採組合に参りましょう」
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